16.リィナ |
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チルタ達が去ったあと、 ギルビスは震える冷たい指が自分の左手に触れるのを感じて、慌てて下を見下ろした。 リィナが薄目をあけて、ギルビスを見ていた。 「リィナ!」 「に、さ………」 茂みから、ソラと、次いでフェイが飛び出して、 癒しをかけるギルビスと、倒れたリィナの元へひざをついた。 ラファとマユキも顔を見合わせ、彼女の元へ駆け寄る。 「リィナ、リィナ!」 「おいギルビス、なんとかなんないのか!?」 「なんとかする……なんとかするから!」 ギルビスは爪が食い込むほど強く肩をつかんだ。 血が出たのか、服から小さく赤が滲んでいる。 見かねたトレイズが、その手を押さえた。 「……なにするんだよ」 「やめとけ、…もう助からない。 苦しませるだけだ」 「そんな…そんなの分からないだろ!?離せよ!」 「にい、さん……」 か細い声。一同はリィナを見下ろした。 彼女は青白い顔を精一杯微笑みの形に変えて、ギルビスを見ていた。 「にい、さ……ごめ、ね…」 「リィナ、何を、」 「ごめん、ね……にいさん、ひとりに、して……ごめん…ね…」 「何言ってるんだよ!!そんなこと言うな!」 「トレイズさ……ラファ、さん…マユキさ………ん… わたし、の……おにいちゃ、ん…を……おねがい、しま…………」 リィナの声は、雨に溶けて、途切れて、消えて。 ずんと重い静寂が、丘の上に圧し掛かっていた。 やがて、ギルビスが囁いた。 「リィナ?」 眠りについた少女に、呼びかける。 「リィナ?ねえ、起きろよ……リィナっ!」 ギルビスは、目を閉じた眠り姫に癒しをかけた。 少女は動かなかった。 「リィナ、……リィナ、頼むから、起きて……っ」 ギルビスは、目を閉じた妹に癒しをかけた。 彼女は動かなかった。 「リィナ………っ!!」 ギルビスは、目を閉じた唯一の肉親に癒しをかけた。 リィナは、動くことはなかった。 ◆ 「リィナの"赤い印"は刺青なんだ」 次の日、フェイはゆっくりと語りだした。 「ギルビスを守ってあいつらの父さん母さんが亡くなったとき、 本当はギルビスはラトメに行くって言ったんだ。 リィナを危険にはさらせないって言って、さ。 そしたら、リィナは自分が代わりに巫子になるって言い出したんだ。 自分が身代わりになれば、 ギルビスはここに残ってやりたかった医者の勉強が続けられるし、 どこにも行かずにすむってさ。 ……馬鹿みたいだろ? そうなったら今度はリィナがファナティライストに行かなきゃならなくなるんだから。 ……あいつ、頭悪いんだ。ギルビスとは正反対で」 そうして苦笑したフェイになんと言ってやればいいのか分からず、 ラファ達は口をつぐんだ。 フェイは続けた。 「………でも、ギルビスにも俺たちにも、 リィナは止められなかったんだ。……頑固、なんだよ。 だから、ギルビスはあんたたちが来た時さ、 ほんとは全部ばれちゃえばいいって思ってたんだよな、きっと。 だからリィナに会わせたんだ。 ファナティライストにばれて殺される前にって。 ……結局、間に合わなかったけどさ」 自分のためを思ってくれたのにって言って、 ギルビスからはどうしても言い出せなかったんだ。 そう付け足したフェイ。ラファは思った。 自分には兄弟はいないが、 そのつながりというのは切っても切れないものなのかもしれない。 マユキにも弟がいるが… ちらとマユキを見ると、彼女は唇を引き結んでうつむいていた。 朝早くの、インテレディアの名もなき村の入り口で、 少し冷たい風がそよりと吹いた。 雨は、降っていない。 ソラが尋ねた。 「…ねえ、本当にギルビスを置いていくの? ギルビス……きっとあなたたちについていくと思うけど」 「あの状態のまま連れて行くわけにもいかないだろう。 しばらくしたら、また出直してくるさ」 トレイズが肩をすくめて言った。 この輪の中に、ギルビスはいない。 すると、丁度入り口の前を通りがかった村人の会話が耳に飛び込んできた。 「ねえ…聞いた? 丘の上のあの兄妹が住んでる家にファナティライストの兵が来たって…」 「聞いた聞いた。妹のほうが死んだんだって? 本当に呪われてるんじゃないか、あの一家… 兄貴の方にも近づかないほうが……って!!」 村人の片方が、急に膝を折った。 その後ろから、一人の小柄な少年が現れる。 濃紺の髪の少年……ギルビスは、 冷たい瞳で、自身が膝裏を蹴りつけた相手を見下ろした。 「じゃあ、今すぐ呪い殺してみせようか?」 「ギルビス!」 村人たちが尻尾を巻いて逃げていったあと、 ソラが彼に駆け寄った。 ギルビスは肩に担いでいた麻袋を抱えなおして、 ソラを無視してトレイズを睨み上げた。 「僕を置いていくなんていい度胸してるね」 「ギルビス…」 「お前、だって…」 「僕も行くよ、当然ね。 君達だって僕がいなきゃ困るんだろ? あの高等祭司が、巫子が揃わなきゃ駄目だとか言ってたじゃないか。 ……それに、君達はリィナに僕をよろしくされたんだから、 ちゃんと保護する義務があると思わない?」 ギルビスは、自嘲気味に口端を上げた。 フェイが一歩前に出た。 「ギルビス…」 「…止めるとか、言わないでよ」 フェイは、しばし黙って、首を横に振った。 「……言わない、言わないよ。 ギルビスがそう考えて、決めたことなら」 「フェイ…」 「ギルビス!」 ソラが目に一杯涙を溜め込んで言った。 ギルビスは呆れたように、ようやくソラを見た。 「…エルフが人間の門出を悲しむなんて、おかしくない?」 「いいの!そんなことどうでも!」 ソラはギルビスにがばりと抱きついた。 ギルビスは少しよろめいたが、倒れるのをすんでのところで留めた。 「……許さないから」 「…ソラ、」 「死んで、骨になって帰ってきたら、許さないから! 絶対生きて帰ってくるの! あ、あんたが、…死んじゃったら、 リィナがあんたを守ろうとした意味も、 な、なくなっちゃうんだからね!」 「…」 ギルビスは表情を消してソラを見た。 目を伏せ、言う。 「……約束する」 ◆ 「それで」 名もなき村を出て、南北に分かれた道に出たとき、 ラファはトレイズを振り返った。 「これからどうするんだ? フェルマータに"赤の巫子"のこと、聞きに戻るのか?」 「うーん…」 トレイズは口元に手を当てた。 考える。 チルタの言ったあの台詞…巫子が"完全な"不老不死で、 巫子を全員集めなければ第九の巫子は倒せない。 これらのことは、トレイズにとって初耳だったらしい。 「フェル様が知らないはずはない……フェル様は、 前にも巫子の役目を果たしたことがあるんだ。 それに、巫子を集めなきゃならないなら、 そもそもどうしてラファやマユキを巫子にならないようにしようとしたのか…… それも、おかしいだろ?」 そう言っていたトレイズ。 しかし彼は、問うたラファに向かって首を横に振ってみせた。 「いや、シェイルに向かおう」 「…いいのか?」 「確かに、チルタが言ってたことは気になる…けど、 それを聞いた俺たちがラトメに向かって時間を潰させることが目的なら、 このままシェイルに行って巫子を集めたほうがいいだろ。 …といっても、あいつは多分チルタに付いていく、 なんて言い出したりはしないだろうけどさ」 「二手に分かれて、片方がラトメに戻れば?」 「二人だけ…っていうのは、少人数が過ぎる。 いいさ、なんにせよ俺たちの目的は変わらない。 巫子を保護して、ラトメに連れて行くこと。だろ? なら、それを成し遂げなきゃな」 マユキの提案を一蹴して、トレイズは言った。 ◆ 「……よろしかったのですか?」 ラトメディア神宿塔、ソリティエ神殿。 ブーツのかかとを鳴らして、麻のコートをなびかせて、 凛とした声で、問う影が、ひとつ。 対する小麦色の髪の女性は、 普段となんら変わらぬ微笑をたたえたままだった。 「何が、ですか?」 「巫子たちに、きちんと正しい説明をしなかったことです。 ……信用を失われては、第九の巫子の思う壺でしょう、 "神の子"フェルマータ」 カツ。ひと際大きい音を立てて、 「彼女」はフェルマータの一歩手前で立ち止まった。 「……だから、ラファ様にレーチスからの時計と、 あなたからの指輪を?……エルミ」 「あなたが動かないからです。 上手く事が進んで、あなたは嬉しいでしょう?」 「ええ、とても。……けれど、エルミ。 あなたも人のことは言えないでしょう? 過去夢の君に、その力の恐ろしさを何も伝えていない」 「……」 エルミは黙り込んだ。 フェルマータは追い討ちをかけるように続ける。 「あなたには、この物語がどのように"視えて"いるのですか? ――予知夢の君」 エルミは顔をしかめて、フェルマータに背を向けた。 ホールへと続くはしごの前で立ち止まり、 不敵に笑んで、顔だけ振り向く。 「終焉の、赤い光が」 |
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