28.「黒い本」さえなければ |
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ロビの過去を聞いて、ギルビスはロビへの考えを改めたようだった。 ラファからしてみれば、 今のトレイズの話のどこに彼への評価を変える要素があったのかさっぱりだったが、 ギルビスには分かっているらしい。 もう、彼が怒り出すことはなかった。 「それにしても、その、ティエラ…さん?その人はどこにいるのかしら」 ラゼが口火を切った。 すると、イデリーが唸る。 「実は、私にもさっぱり。 何か餌になるものがあればいいのですが」 「餌って…そんな、ペットじゃあるまいし」 マユキが呆れたように言うが、イデリーは大真面目だった。 「いえ、あの方のロビ様への溺愛ぶりは異常です。 ロビ様に何かがあったと知れば、 例え地の果てからでもすぐに飛んでくるでしょう」 ペット以上の忠誠心だった。 一同が沈黙してしまうと、 イデリーはにこやかにトレイズの肩を叩いた。 「………なに?」 「と、いうわけで。 一芝居打ってティエラを呼び出す役は、お前に任せたからな!」 「なあ!?嫌だってそんなの、自分でやれよ!」 「ロビ様が"黒い本"を、初対面の人間に探させるわけがないだろう? そもそも見つかる保証もないのにそんなことはさせない。 だとしたら、トレイズ、ロビ様はお前なら出来ると信頼なさっているんだ。 期待に応えるのも幼馴染としての役目だろう」 「なんでそんな役目が!」 「私はただの手伝い役だからな」 「理不尽だ!!」 しかしどんなにイデリーに物申そうとも、彼は折れなかった。 ロビに対してはすぐに諦めたくせに、他の人間には頑固らしい。 渋々、人気の無い道に入って、トレイズは深く溜息をつくと、叫んだ。 「たいへんだー!!!!」 ◆ その叫び声に、書類の山を片付けていたロビとナエは顔を上げた。 外から聞こえてくる、ロビが大怪我をしたという、めいっぱいの音量の声。 それに、無傷で、ここ一年ほど風邪ひとつ引いていないロビは笑い声を上げた。 「あっはは!まさか本気でこんな手を使う奴がいるとはね! 僕も一緒に行けばよかったなあ、 トレイズの奴、絶対に顔真っ赤だろうに!」 「イデリーさんの策略でしょうね…トレイズも気の毒に」 「いやあ、でも確かにこれが一番手っ取り早いのは確かだし。 うんうん、トレイズが戻ってきたらからかってやらなきゃね」 「………ロビ様、イデリーさんがこの手を使うって、分かってたんですね」 「うん?なんのことだい?ナエ」 「いえ、なにも。……本当に策士ですよ、あなたは…」 ◆ 忠誠心の強い「ペット」はすぐに網にかかった。 イデリーに縄でぐるぐる巻きにされた、緑の髪の少女。 ルシファの村で会ったのと、やはり同一人物である。 ギルビスが、足元に落ちた黒い革表紙の本を拾い上げて砂を払うと、 少女が甲高い声で叫んだ。 「あ…ああっ、何をする貴様!! それはお兄様の大切な…!!」 「そんなに大切なものなら、 おまえが盗むことがいけないことだということも知っているだろう?」 「うっ…」 イデリーに言われて、ティエラは言葉に詰まった。 「…だって、黒い本さえなければ、 お兄様は第八の巫子としての役目を果たせなくなるから、…だから……」 「……どういうことだ?」 本一冊でそんなに変わるものなのだろうか。 トレイズを見上げると、彼はちょっと首を傾げた。 「あれ、言ってなかったか? "黒い本"っていうのは、 エルミリカ・ノルッセルが巫子の創り方を記したという禁忌の秘術書のことだ」 「えっ!?」 「じゃあ、その本、巫子の創り方が載ってるのか!?」 「すごい!ねえねえ、見たいよ!」 ラゼとラファとマユキが、それぞれトレイズに詰め寄った。 本を片手に、ギルビスが呆れたように溜息をつく。 「……まさか君達、"巫子の創り方"がそのまま正直に書いてあるとでも思ってるの…? 料理の本じゃないんだよ? 暗号化されてるに決まってるだろ。 確か、一見すると、召喚術か何かの魔道書に見えるって、 そう聞いたことがあるな… 精霊を使役する手順だったかな」 「精霊!」 マユキは大興奮だった。 ギルビスの手から黒い本を奪い取りたいと、手がぴくぴくしている。 ラファは、いつぞやのフェルマータの言葉を思い出した。 「…あれ?だけどその秘術書って、 エルミリカの…なんだっけ、ノルッセルの一族だっけ? そいつらにしか開けないんじゃないのか?」 「原書はね。だけどこれはエルミリカの研究の手伝いをしていた、 第八の巫子の印の主が持っていた複製…レプリカだよ。 原書は行方不明だって聞いてる。 …マユキ、言っておくけど、この本も第八の巫子しか開けないよ」 「なんだ」 口を尖らせて、マユキは残念そうに声を上げた。 ギルビスが続けた。 「そして、第八の巫子の力を発揮するためには、 黒い本が必要不可欠なんだ。 逆に言えば、"本"がなきゃ、巫子の絶対魔力が使えない…ということかな」 「なんてことを!」 イデリーが憤慨してティエラを見下ろした。 ティエラはというと、むっつりと不機嫌そうな表情で、 イデリーから目をそらした。 「ティエラ、ロビ様は大変お怒りだぞ! どう償うつもりだ!?」 「……」 「そんなに怒っているようには見えなかったけど… 私たちがこの人を探すのを"ゲーム"って言ってたくらいだし」 「あいつにとっては大抵のことはゲームだよ」 「本当に嫌な奴だな」 ラファは、どうも彼を好きになることはできないのではないかと 薄々感づいていた。 過去の話を聞いても、それはあくまで過去の話だし、 ロビのあの性格の理由がわかっても、どうも納得できなかった。 幼馴染であるトレイズには悪いが、言わずにはいられない。 トレイズは苦笑しただけだったが、ティエラはいきり立った。 「お兄様を侮辱するな!!」 「侮辱してるんじゃなくて、褒めてくれてるんだよね。 えーと……ラピー?」 「だからラファだ!それに褒めてない!!……って、あれ?」 反射的に返したはいいが、今、 これまでここにいた人々のどれでもない声がしなかったか。 ラファは振り向いた。 薄い笑みをたたえて、エルフの少女をひとり引き連れて、 黒い軍服の少年がこちらへとやってきた。 「ロビ」 「やあ。なんだか面白いことをやっていたみたいだから来ちゃった。 無事"黒い本"を見つけてくれたみたいだね」 「お、お兄様…」 ティエラが、蒼白を通り越して真っ白な顔色で縮こまった。 ロビは笑みを浮かべたまま、ティエラを見下ろした。 その瞳からは、温かさも冷たさも感じなかった。 「やあ、無様だね、ティエラ。 "黒い本"を持ち出すなんて、僕や、僕らの親愛なる父上の顔に泥でも塗ったつもり?」 「そ…そんな、そんなことは…!」 「だろうね。やるならもっと派手なことやらなきゃ」 そして、ロビはティエラの脇にしゃがみこんだ。 やさしくやさしく、笑んでそのオリーブグリーンの髪を梳いてやる。 「ねえ、ティエラ? 君、黒い本を僕の執務室から盗んだ時、 なんて言い訳したか覚えてるかい?」 「……っ、…その、それは……」 「"ナエにそそのかされました"って言ったね。 ね、ティエラ。そう言ったよね?」 「お、おい、ロビ…?」 だんだんと、ロビの纏う雰囲気が険悪なものになってきたので、 トレイズは止めようと一歩前に出た。 すると… 「答えろ、ティエラ。 お前はナエに罪を着せようとしたな?」 ぶるり。ティエラがひとつ大きく震えた。 ロビは立ち上がり、笑みという笑みを消し去って、 ティエラをまっすぐに見下ろした。 繰り返す。 「答えろ」 「………は、はい……」 ナエの肩が跳ねた。 直後、ロビが目を細めて、ちらとギルビスを見た。 「その本、ちょっと貸して」 「……何するつもり」 「なんにも。いいから貸して」 ギルビスは迷ったようだった。 このまま渡して、ロビはこの本をどう「使う」のか。 実の妹に対して、どんな仕打ちをするつもりなのか。 最悪の予測が、頭をよぎる。 ロビは溜息をついた。 「あのね、心配しなくても、 体罰なんて柄じゃないからやったりしないよ。 人が苦しんでるのを見るのって嫌いなんだ」 「……」 ギルビスは、遂に黒い本を差し出した。 ティエラが大きく息を呑む。 ロビはぱらぱらとページをめくり、とあるところで止まった。 詠うように読み上げる。 「"歌わずの堕天使の罪"の章・序文」 「!」 「さて…いつだったかな。 君にも聴かせたことがあったよね? 覚えているかな」 「……」 ティエラはうつむいた。 ロビは構わず続けた。 「"歌わずの堕天使の罪"の最期の詩… 『生きる生きとし生けるもの、我らがこの世に生きる以上、 いかなるものも我らが同胞(はらから)。 なんじ我が身の同胞よ、我らがこの世に生きる以上、 いかなるものの命も尊し。 同じ命の持ち主よ、我らがこの世に生きる以上、 いかなるものを疑ってはならぬ。 信じよ生きよさもなくば、 我らの内には涙も残らぬ。 信じさせよ生きさせよさもなくば』… このあと、なんて書いてあったか、忘れるわけがないよね?」 ティエラは黙ったままだった。 他の者は首を傾げている。 ラファだって勿論そんな知識は無い。 …けれど。 「…『我らの内には涙を残さん』」 「!」 「ラファ…?」 口をついて、知りもしない詩の一節が飛び出してきた。 頭の中で、誰かが答えを囁いてくれたかのようにすんなりと。 ロビは、こちらに視線だけを向けた。 「…博識だね、ラファ。その通りだよ。 エルミリカ・ノルッセルの遺した詩の中でも、 一番はっきりと自分の主張を記したものだ。 そして、僕が一番守りたいと思っているものだ。 皆に守ってほしいと思っていることだ」 エルミリカ・ノルッセル。ラファは気付いた。 もしかして、ラファにその詩の最期の一節を教えてくれたのは、エルミリカ…? 指輪を見下ろす。いつもとなんら変わりない輝き。 「ティエラ。…君は僕の信頼を裏切った。 僕に自分を"信じさせ"なかった」 ロビは、すがるように自分を見上げる実の妹に背を向けた。 「……僕は、それを許すつもりはないよ」 ラファ達以外に人気の無い路地は、ひどく静かだった。 ずんと重い静寂。動く者はいなかった。 うつむいて震えるティエラに声をかける者はなく。 やがて、ロビがいつもの調子で声を上げた。 「さてと!それじゃあ城に戻ろうか。 僕疲れちゃった。 トレイズ、久々に君の淹れたお茶が飲みたいな。淹れてよ」 「……はあ…本当に変わってねえなあお前は…」 しょうがないとばかりに肩を落として、 ティエラを気にしながらもトレイズは踵を返した。 ラファとマユキ、それからラゼの背を押す。 イデリーもロビについて、歩き出した。 |
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