38.ノルッセルとソリティエ
ラファとマユキがいなくなってから、
エルミリカはフェルマータに向き直った。

「……そういった強がりは、見苦しいと思いますが」

冷え切った目でフェルマータを見据え、エルミリカはさらりと言い放った。
"神の子"は苦笑した。

「…本当に、エルミリカ様は私には優しい言葉をかけては下さらないのですね」
「ソリティエ一門の者は嫌いなのです。
愛国心の欠片も持ち合わせていないあなた方は」
「私からすれば、国のためならば命さえ捨てられるという
貴方達ノルッセルの気が知れません」

エルミリカはちらと背後の女性を見たが、
ふとその瑠璃色の瞳を伏せて、仕方ないとばかりに言った。

「……そうして、満足なのですか」
「はい?」
「そうやって、自分も相手も傷つけて、
全てを壊してしまうことが、
あなたのしあわせだとでもいうのですか」
「っ」

エルミリカは、フェルマータを振り返らずに歩き出した。
立ち尽くした女性は顔をゆがめたが、
その顔を見ようともしない"予知夢の君"は、穏やかに言った。

「逃げたいのなら、逃げればいいでしょう、"神の子"。
どの道私にそれを止める権利はありません」
「――――!!」

ゆっくりと歩くエルミリカの脇を、一人の女性が追い越していく。
動きにくいマントも、ゆったりとした上着も脱ぎ捨てて、
彼女はその称号も置き去りに、全速力で駆けていった。

エルミリカは立ち止まった。
神護隊の隊服。銀の髪。瑠璃の瞳。
未来を視る、この力。
――自分は、捨てられるだろうか。

「……逃げられないのは、私も同じですね。…レーチス」

過去夢の力を断ち切ってラファに預けたレーチスと、
その力を受け入れ、チルタの手を払いのけたラファと。
自分はそのどちらにもなれない。
所詮、自分はこの力に囚われ続ける運命なのだから。

だから、自分はそのどちらにも…ならない。



「……マユキ」

ラファはマユキに追いついて、彼女の小さな背を見て、
ふと、初めてこの街にやってきた時のことを思い出した。
あの時自分は、巫子の運命を受け入れたくなくて、
フェルマータの元から逃げ出して、
マユキの手も振り払って、なにもかもを投げ出そうとした。

今のマユキと、丁度、逆の立場。

「マユキ」
もう一度声をかけると、マユキは顔を上げた。
真っ赤に腫れた瞳が、ラファを映した。

「ラファ、冗談だって言ってよ」
「マユキ」
「あのひとが、フェルマータ様が、私のお母さんだっていうんなら、
お父さんは、お父さんはフェル様を、自分の妻を、
こ、殺そうとしたってことで…!!」
「マユキ、聞けよ!」
「っ!!」

マユキの肩をつかんで強く揺さぶると、彼女はぎょっとしたように口を閉ざした。
ラファはゆっくりと、告げる。

「お前が、お前の父さんのことで気に病む必要はないだろ。
お前は…マユキは、マユキだ。
マユキの父さんじゃない」
「ラファ…」
「マユキは、フェルマータが母さんだって分かって、嫌だったのか?」

マユキはきゅっと眉を寄せたが、
やがて、ふるふると首を横に振った。
こらえていた涙をはらはらとこぼして、首を横に振った。

「い、やじゃ、ないよ」
「…」
「嫌じゃないよ!いやじゃないよ、
私のおかあさんが、フェル様なら……う、うれしいよ」
「なら!」

ラファはずいとマユキに詰め寄った。
「ちゃんとそれをあいつにも言ってやれよ!」
マユキの唇が引き伸びたのが先か。
それとも、いつの間に出来たのだろう。
背にした広場の人だかりからどよめきが起きたのが先か。

「どういうことだ、"神の子"!」

その単語に、ラファとマユキは弾かれたように顔を上げた。
広場に集まった人々は、一様に困惑したような表情を浮かべ、
青ざめる者も、怒りに顔を赤く染め上げている者もいた。
人ごみを掻き分け進むと、
輪の中央に、一組の男女が向き合っているのが見えた。

女のほうはフェルマータ。
マントも上着も着ておらず、息を切らして、
目の前の男を見据えていた。

対する男は、以前神宿塔ですれ違ったエッフェルリス公だった。
裕福そうな小太りの顔を青を通り越して真っ白にして、
身体を震わせてフェルマータを見ていた。
その表情は、恐怖のそれにも似ている。

フェルマータは、凛とした声で言った。
「何度でも申し上げましょう。
…15年前の事件、
わが伴侶エルフェオが、多くの神官や、私に刃を向けたという事件は、
濡れ衣だと言ったのです」
「な、な、な…」

隣で、マユキが息を呑んだ。
彼女はエッフェルリスよりも強く震え上がった。
フェルマータが続けた。

「全ては、私の咎。
私が彼に変装して、彼をラトメから追放するために、 多くの神官を手にかけました」
「まさか…」
「フェルマータ様がそんなこと…」
「嘘でしょう、フェルマータ様!」
「そうだ、フェルマータ様がそんなことをなさって何になると…」

聴衆がざわめいた。
けれどフェルマータは顔色一つ変えずに淡々と続けた。

「事実です。
凶器のナイフも、変装に使ったかつらや衣装もここにあります。
…エルミ」
「はい」

エルミが前に進み出た。
手には麻袋。それをエッフェルリスに差し出した。
エッフェルリスは怯えたように一歩後ずさった。

「お受け取りください、エッフェルリス公」

有無を言わせぬ口調でエルミは言うと、エッフェルリスに麻袋を押し付けた。
彼は、袋の中身を確認し、ぐっと息を詰めた。
その表情が、全てを物語っていた。

「……本当に貴公が、神宿塔に多くの被害をもたらしたあの事件の犯人だと言うのなら、
私は貴宿塔塔長として、あなたを裁かねばならない」
「覚悟はできております」
「……死刑も、可能性は否定できませんぞ」

再び、群衆が息を呑んだ。
ラファもさすがに目を見開いた。
と、隣にいた少女が、いつの間にかいなくなっている。
見ると、聴衆を押しのけてマユキが輪の中心に向かっていた。
人々の頭上を、澄んだフェルマータの声が駆け抜けた。

「構いません。
いっそこれを機に、"神の子"の制度自体廃止してしまえばよいでしょう。
そうすれば、エッフェルリス。
あなたが望む、ラトメディアの権力を与えてもいい」
「フェルマータ様……何故…」

騒ぎを聞いて駆けつけてきた神護隊。
その最前列にいたクルドが呆然とつぶやいた。
エッフェルリス公は吐き捨てるように、
フェルマータに言葉を投げかけた。

「あなたには御子がいる。
彼らを探し出して、"神の子"の座に据えるより他にないでしょう。
"神の子"は、世界創設以前より続く伝統の王座…
そうやすやすと廃止してはならない」
「っ、」

フェルマータの顔がこわばった。
彼女が声を張り上げたのと、
マユキが輪の中央に飛び出したのとは、ほぼ同時だった。

「私の子供達を、ラトメの暗い神殿に縛り付けることは許しません!!!」

マユキが立ち止まった。
エルミがふとマユキに視線を走らせた。
瑠璃の瞳は語っていた。「今は出るべきでない」と。

「あなたにそれを決める権利はない!!
…神護隊、今すぐフェルマータ・M・ラトメの御子二人を探し出して、お連れしろ!」
「やめて!!」

エッフェルリスの台詞にフェルマータが反論するが、彼は背を向けて、言った。
「……その者は、ラトメディアを大きく揺るがした大罪人だ。
牢に入れておけ」
言うが早いか、割れた人ごみを突き抜けて去るエッフェルリス。
人々も、神護隊も、立ち尽くしたまま。
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