アンチ・リアリズム
まるで、透明な糸のように細く鮮やかに光る運命は、
何故だろう、とても儚く美しく、そして恐ろしく見えたのだ

「あら、ギルビス。一人?リィナとおじさんおばさんは?」

建前のような短いノックのあとで了解もなしにずかずかとギルビスの家に上がりこむソラ。
彼女はリビングのソファに一人掛け、本を積み上げ読み漁るギルビスを見て顔をしかめた。
ギルビスは無遠慮な客人を気にも留めず、
本に目を落としたまま、ぱらりと一枚ページをめくりながら言った。

「父さんと母さんは薬草刈り、リィナもそれに付いていった」
「…ギルビス、あんたは行かなかったの?」
「今ちょうどいいところなんだ、薬草刈りに行く時間も惜しい」

抑揚のない声で言うギルビス。
彼のことだ、きっとソラの言うことも話半分にしか聞いていないに違いない。
ソラは盛大な溜息をついて(別に彼に聴こえていたって構わない、どうせ聞いちゃいない)、
腰に手を当てて怒鳴った。

「ちょっとギルビス!あんたそれだから村の奴らに『根暗』とか言われるのよ!
子供なんだから外に出て遊びなさいよ!」
「んー」
「ああもうっ、ほらギルビス!フェイ連れて丘に遊びに行くわよ!」

瞬きもせずに本を食い入るように見つめるギルビスに痺れを切らしたソラは、
とうとう地団駄を踏んでギルビスの腕をひっつかみ、
(あれ、思ったよりもしっかりした腕だ、鍛えているとは到底思えないのに)
彼から分厚い本を取り上げてテーブルに投げ落とした。
と、ギルビスは途端に眉を吊り上げて抗議してくる。

「ちょっ…おい!大事な本になんてことするんだよ!」
「本より友達付き合いを大事にしなさいよ!ほら!」

ぐいぐいと引っ張るソラ。扉を開け放つと、眩しい昼の日差しが目を刺した。
ギルビスは目を細めて叫ぶ。
「別にいいだろそんなこと!エルフに言われたくないよ!」
「ふふーんだ、エルフも人間も関係ありませんー!
ねえねえギルビス、フェイの家まで競争しよう!
負けたほうが東のお菓子屋さんで三人分のカラメルアイス奢るの!」
「はあ?」
「よーい、どん!」

唐突にギルビスの腕を離したソラは、勝気な笑みを浮かべて駆け出した。
一瞬呆けるギルビス。
やがてむっつりとしたまま、彼もまた全速力で、駆けた。

し あ わ せ な ひ び

不意に、浮かぶ一節。先ほど読んでいた本の文章。

しあわせなひび
くずるはいっしゅん
はてしなきこどくのたびのなかで
なぜにひとはそれでもそのかがやきをうるのだろうか

子供達の笑い声、それは歌声のように丘によく響いた。
ページをめくるように刹那的なそれはだからこそ美しく、
なのに少年はその美しさも知らずに地を蹴った。



「………」
「ふふっ、人に奢ってもらうアイスは格別ねー」
「ギルビス、ごめんね俺の分も…あ、お金払おうか?」
「……別にいいよ、負けたのは僕なんだし」

晴れやかな緑の丘の上。
琥珀色の冷たい菓子を頬張る子ら、三人。
一人だけ渋い顔のギルビスなど気にも留めず、ソラがにこにこしながら問うてきた。

「ねえねえギルビス、あんなに本を読み漁ってるってことは、
あんた将来作家にでもなるつもり?あ、それとも研究者?」
「別に…あんまり考えてない」
「ソラは将来何になりたいの?」
「私?決まってんじゃない、うちの宿屋を継いでもっともっと繁盛させるのよ!
で、世界一の宿屋にするの!」
「どんな宿屋だよ……フェイは?」
「うーん、俺もあんまり…でも、父さんの手伝いが出来たらなあ」

フェイの父親は旅医者だ。
フェイが幼い頃からあちこち旅に出て回っていて、
ギルビスたちは彼が帰ってくるたびにいろいろな土地の話を聞いた。
宗教都市で知られるラトメディアや、学生たちの多いレクセ、
巨大なスラムのある神都ファナティライスト…
そういえば、今日はフェイの父親が帰っている日だった。

「ねえ!久しぶりにフェイのお父さんにお話聞きにいこうよ!」

思ったところで案の定、ソラが立ち上がった。
ギルビスは顔をしかめる。
「いきなり行くと迷惑だろ」
「あはは、大丈夫だよギルビス。行こうか。多分父さんも喜ぶよ」

丘を下るのは楽だった。
ソラやフェイと他愛もない話をしながら草原を下る。
…そういえば、そろそろリィナたちも帰っている頃ではないだろうか。
ふと思い出して顔を上げ、なんとなしに自分の家を見た刹那…

「え…?」

自身の目を、疑った。

燃える邸宅。
悲鳴、怒号、泣き叫ぶ少女の声。
少女……妹の、リィナ、の。
自分の家の周囲を、真っ黒なマントを着た男達が取り囲んでいる。
「な…」
「何事……?」
立ち尽くすソラとフェイ。
だが、止まるわけにはいかなかった。
反射的に、ギルビスは自分の家に向かって駆け出していた。

「ギルビス!?」

ソラが呼び止める声も聴こえなかった。
駆ける、駆ける、駆ける……
表口は火の手が上がり、黒服が取り囲んでいて近寄れない。
裏に回って裏口のドアを勢いよく開ける。

「リィナ!父さん、母さん!!いないの!?」
「ギルビス!」

三人の顔は煤だらけだった。
母が真っ青な顔で詰め寄りギルビスを抱きしめた。
「ああ…っ、よかった、無事だったのね、
家にいないからもしかして、と…!」
「母さん、何なの!?外に黒い服の奴らがたくさん…!」
「話はあとだ、ギルビス、逃げるんだ!」

父も表口のほうからやってきた。
泣きじゃくるリィナをギルビスに押し付けて、厳しい表情で言う。
「どうして…!」
「詳しいことを説明している暇はない。
さあ、リィナを連れて早く…父さんたちはここで奴らを食い止めるから」
「父さん!嫌だ!!二人も一緒に逃げるんだよ!」
「ギルビス、賢い私達の子…
私達はここで奴らを食い止めるから、あなたたちはお逃げなさい…」
「母さん…」

両親の表情は決然としていた。
ギルビスは呆然と彼等を見上げる。
二人は微笑んでいた。…まるで、死に行く者のように。

「……やだ…」
「ギルビス、」
「嫌だ!嫌だよ、なんだよ、そんな…そんなことっ、
父さんと母さんを置いてなんて行けないよ!!」

「いたぞ!こっちだ!」

第三者の声。奥から現れた黒いマントの男。
なにやら細長い筒のようなものを構えて…

ああ、死ぬのかな。
そんなことを思った。
死にたくない、死にたくない、なんで死ななきゃならない?
だって、自分は何も知らない、何も知らないままで、訳も分からないままに死ぬのか!?

…僕に、もっと力があれば、


――救いたいか?


唐突に、頭の奥の奥で響いた声。
気づいたら、

すべてが、はじけていた。
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