捨てられていく本音
視界いっぱいに景色が広がっていた。
その光景はお世辞にも綺麗とは言いがたかった。
砂漠の中にひっそりとある岩場。
近くのオアシスの木々も先っぽのほうが枯れかかっている。

「見える?」

あどけない少年の声。見ると黄土色の髪の少年がこちらを見ていた。
そう、チルタ。そう名乗っていた。
私が考案し、そして捨てたはずの紅い印をその左手に宿した少年。
彼は私の魔力を幾分か封じ込めた銀の指輪を、私の右手の薬指に通した。

それをどうして彼が持っているのだろう。
私が死んだその時、一緒に滝に落ちてしまったはずのそれ。
代々、予知夢の君に引き継がれた、けれど失くしてしまったはずの、

「これ?レーチスさん…僕の養父に貰ったんだ」

レーチス。
その名に私は目を見開かざるを得なかった。
レーチス。私の、わたしの従兄弟。
私が死ねば、ミフィリと共に二人だけ、残っただろうノルッセルの血族。

彼が、まだ、どこかで生きている。

「貴方、チルタは、一体…」
「ああ、僕?僕はファナティライストの高等祭司。
といっても、まだ就任したてだけどね。
孤児集落に銀髪蒼眼の盲目の女の子がいるって聞いたから、来てみたんだ」

チルタはそう言ってあどけない表情で笑った。



チルタは何も見返りを求めなかった。
後から考えればこんな馬鹿な話はない。
だって、「ノルッセルの為ならなんでもしろってレーチスさんが言ったから」、なんて。
レーチスがそんなこと言うなんて信じられない。
あの人、いつも横暴だし、ノルッセルの自覚はないし、
人の好意を足蹴にするような人間だったのに。

けれどその時の私にとって、そんなことはどうでもよかった。
目が見える。
エルディ君やレインに伝えなきゃ。きっと心配してる。
「聖女以外に興味ない」なんて仲間内では言われてたこの私がここまで執着するなんて、
彼らはほんの子供のくせに。
このエルミリカ・ノルッセルを動かした、数少ない人間。

幸い世界戦争の時とフレイリアの場所は変わっていなかったから、
私はすぐに転移でラトメディアの首都に辿り着くことができた。
あの激戦区からは想像も出来ないほどに美しくなった町並み。
聖女は、クレイリスは、喜ぶだろう。ここは彼女の育った地だ。

神護隊の本部はどこにあるのだろう?
大通りの隅っこ、人目につかない辺りで途方に暮れていると、
道行く老婦人がおや、と声をあげた。

「エルディ様のご親戚かい?」
「え、…はい、まあ」
「そうかいそうかい。その髪に瞳、よく見かけるからね。
エルディ様に会いにきたのだろう?
あの方ならこのくらいの時間は、いつもこの辺の見回りをされて…
おや、噂をすれば」
「あ…」

老婦人の視線を追うと、大通りを二人の少年が歩いてきた。
一方は銀髪に瑠璃色の瞳の少年。
彼のことは一目で分かった。エルディだ。
彼が言ったとおり、自分によく似ている。
そしてもう一方は金髪にみかん色の瞳の少年。
…容姿は聞いたことがある。もしかして、レイン、だろうか。

エルディはしきりに話しかけてくる金髪の少年に鬱陶しそうに顔を顰めていた。
…孤児集落で、毎日のように優しく声をかけてくれた姿からは想像もつかない。
思わず、私は声をかけられずに、近くの物陰に隠れてしまった。
老婦人が首を傾げる。

「…エルディ様にお声をかけなくてもいいのかい?」
「あ、あの…その、いえ、これは…」

無意識の行動だった。私は頬が火照るのを感じた。
と、少年達が老婦人と身を隠した私の前を通りかかった。
レインと思われる少年がわめいた。

「エルディ!君、今なんて言ったんだよ!」

二人はちょうど、老婦人の前で立ち止まったらしい。
どうやら喧嘩らしい。あの二人はよくそういうことがあった。
やっぱり、あれはレインだ。

「別に」
素っ気なく返すエルディ。
キャンキャンと犬のようにレインは叫んだ。

「エルミのこと心配じゃないのか!?
あの子はエルディのこと今も待ってるだろうに、
なんで会いに行ってあげないんだ!妹だろ!」

どうやら話題は自分のことらしい。
老婦人がこちらをちらと見るのを感じた。
と、私が聞いたこともないような冷たい声でエルディは返した。

「どうでもいいよ、あんな奴」

頭を鈍器で殴られたようだった。
それだけじゃない、突然に足元が崩れたみたい。
私は彼が何を言ったのか分からずにただただ目を丸くした。

「エルディ!君って奴は…」
「うるさい、レインに指図されるいわれなんてないだろ」

エルディの声が遠くなっていく。レインもそれを追いかけていったらしい。
足音は遠ざかる。私の意識も遠くなった。
「……お嬢ちゃん」

私は今どんな表情をしているのだろう。
一国の女王に相応しくない、情けない顔をしているんだろう。
目の前に同情に満ち満ちた顔でこちらを見る老婆を見れば分かった。

「気を確かにお持ちよ。
あの方だって本気で言ったわけじゃないだろう」
「……そうですか?」

まさか。あれが本音だったんだ、エルディ君の。
それもそうだ、私は彼にとって重荷だったに違いない。
盲目で、女で、権力もない。ほら、なんて役に立たないんだ!

どんな顔してエルディ君に会えというんだ。
そもそも会って、それからどうするんだ?
フレイリアに家を借りてもらう?彼らがそう約束してくれたから?
馬鹿じゃないの、私、私は、

そうだ。私はそんな女じゃない。
自分の力でなんでもやろうとして、
誰にも頼らず独りで生きていく。
私の没落した女王としての立場がクレイリスに危険を与えると分かったとき、
私は真っ先に彼女を突き放したじゃないか。

今になって、

「あの、おばあさん」
「なんだね?」
「…男物の服を売っている場所をご存知ありませんか」

今になってそれができないわけがない。
エルディ君にもレインにも頼らずに済む、そんな女にならなければ。
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