乞うようにキスをする
雨が降っていた。

こんな日はギルビスの機嫌が悪い。
ソラ曰く、彼の妹が死んだ日も天気が悪かったからだ。

巫子の面々は誰しもが何かを失っている。
ラファは役目の放棄と引き換えに仲間を失い、
マユキはそのためにラファを失って。
他の者もきっとそう。巫子というものは、
きっと何か傷を作らなきゃ生きていけないのだろうから。

ユールはぼんやりと雨音に聞き入りながら、
ファナティライストでラファと別れたときのことを思い出した。
最後に言葉を交わしたとき、彼はいつもの仏頂面はどこへやら、
泣き出しそうに顔を歪めてユールに謝罪したのだ。

「俺に、もっと力があればよかった」
過去夢の君。
そう、彼の力をもってすれば、あるいはピルの記憶も元に戻るのかも。
けれどそうまでして彼が自身を責めることはないように思えた。

「…顔を上げてください、ラファ先輩」
「だけど!」
「多分、ピルは命があるだけ幸運だったんだと思います。
きっと、僕にも、彼女を守るためのチャンスを、もう一回与えられたんだと思うから」
「……っ」

ラファは顔を背けた。
互いに互いの顔を見ていられないのだろう。
ユールも同じように、ラファの表情を正面から確認することはできなかった。

「…俺が、巻き込んだんだよな」
「そうかもしれませんね。でも、僕が巻き込まれることを是とした。
だから、お互い様ってことにしませんか?
あのラファ先輩が僕に頭を下げてるってだけで、気持ち悪くてたまりません」

ユールは微笑んでみせた。彼が罪に苛まれることがないように。
そう、あの時からユールは笑ってばかりだ。
もう笑顔以外の表情が形作れなくなってしまったくらい。

「……あれ?」
そこまで考えて、気がついた。
手元のカード。一枚足りない。
…もしかして、先日ピルの家に持っていったときに、
忘れてきてしまったのだろうか。

「どうかした?」
ギルビスが医術書から顔を上げた。
ユールは立ち上がり、雨用の防水マントを手に取る。
「ピルの家に忘れ物してきた。ちょっと取ってきます」
「雨の日の丘はぬかるんでて危ないよ」
「…ちょっとだけの距離ですから、気をつけます」

ピルの家は丘を下ったすぐそこだ。
ユールは心配そうなギルビスの視線から逃れて家を飛び出した。

空から降る雨粒は容赦なくユールのフード越しの頭を叩いてくる。
早足に丘を下り、ピルの家の扉を叩く。
「ピル?」
反応はない。もしかして留守だろうか。
しばし迷ったあとでゆっくりと扉を開く。

鍵は掛かっていなかった。
薄暗い室内に灯りはついておらず、
椅子から前かがみになるように、ピルがテーブルに崩れ落ちていた。
一瞬、ぎょっとして息を詰める。
…が、彼女が単純に寝ているだけだと気づくのに、そう時間は必要なかった。

「…ピル」
声をかける。
彼女からの反応はない。
「ピル」

もしここで目を開いて、それで、
また昔のように、嬉しそうに微笑んでくれたなら。
もうユールには、他になにも必要ないのに。

そんな邪な考えを抱いて、すぐさまユールは首を横に振った。
今のピルだって、ピル自身に違いないのに、それを否定するなんて。
ユールは熟睡している彼女の身体を抱え込んだ。
昔から小食だった彼女は相変わらず軽くて、
見かけの割に力のあるユールは容易く寝室に運ぶことができた。

ベッドに少女を横たえて、ユールはもう一度ピルを見た。
…眠っている。
御伽噺ではきっと、王子様がキスすれば、
彼女は目覚めて微笑んでくれるに違いない。

そう思ったら勝手に身体が動いていた。
触れるか触れないかの位置で一瞬止まって、
それからゆっくりと重ねあわされたくちびる。
一秒くらいのその間、ユールには永遠に思われた。
そのまま、時を止めてしまえればよかった。

けれど唇を離しても、ピルは相変わらず目覚めない。
(僕は、ピルの王子様には、なれないのかな)
そんなくだらないことを思う。
ラファに話したらきっと笑われることだろう。

「ピル」
掠れた声。
「ごめんね、ピル」

もう彼女の前で自分は笑えない、ユールは思った。
彼女のためなら嘘だってつくし道化にもなると決めていたけれど、
たったひとつのくちづけですべてが崩れてしまった気がした。

「だいすきだよ、ピル」

ぽたりと落ちた雫は、シーツを掠めて消えていった。
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