孤児集落 |
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その少女が呆然と座り込んでいる姿を見て、僕は何を思っただろう。 細い銀の髪はなめらかな絹のようで、虚ろな瑠璃の瞳は深い深い海の底のよう。 僕とそっくりの顔をしていたのに、彼女は僕とは違ってまるで天使のように美しかった。 ◆ 「エル」 孤児集落。 そんな名前で呼ばれるラトメ唯一のスラムは、孤児たちにとって「楽園」だと言えた。 暖かく裸足でも生活できる気候、すぐそこの森に入れば果物や木の実がたくさん手に入ったし、 親のいない子供達は皆「家族」であり、同じ傷を舐めあう仲間だった。 寂しくはない。 それでも無一文の生活は野性的で、道行く旅人からは疎まれたし、 着ているものはぼろぼろ。 そんな出で立ちをこの少女が見ることがなかったのはかえって幸運と言えたのかもしれない。 この少女は名前を覚えていないらしい。 というのも、半年前、朝早くにエルディが洞穴の外に出ると、 森の入り口付近でただただ呆然と座り込んでいた彼女は、 エルディが名前を問うたときに困ったように口をつぐんだからだ。 彼女の身なりは孤児だとは思えないほど上等な布でできた神官服だったが、 何故かだぼだぼでサイズが合っていなかった。 そう、まるでこの服のなかで身体が縮んでしまったかのように。 そして、まだ極めつけの問題があった。彼女は盲目だったのだ。 きっと目が見えないからって親に疎まれて捨てられたんだ… それが孤児集落内での彼女への見解だった。 名前がないのも不憫だと思って、エルディは彼女に「エルミ」という名前をつけた。 僕の生き別れた妹の名前なんだよ、そう言うとエルは虚ろな瞳のままでふんわりと笑った。 エルは盲目のわりによく動いた。 壁伝いになら、洞穴の奥の泉から水だって取って来ることができたし、 止めるエルディなど気にも留めずに、ナイフでさらさらと果物の皮だって剥けた。 食べ物だって誰が手伝わずとも一人で食べられる。 ある時同じ孤児集落の仲間、レインがぼやいた。 「エルミって、エルディによく似てるよね。 もしかして本当に、君の生き別れた妹なんじゃないの?」 勿論、それを否定することはエルディにはできなかった。 そうだったらいいと思っていた。いや、心のどこかでそうに違いないとすら。 だけどエルミは自分の過去のことに関しては何も話そうとしなかったし、 無理強いして話させるほど彼女にひどい仕打ちをしたくなかった。 素直にそれを言うと、レインは溜息をついた。 「まあ、どうでもいいんだけどさ、そんなの。エルミはエルミだもんね」 ◆ レインはとてもエルミと仲がよかった。 彼女の腕を引っつかんで毎日のように森に駆けていったし、 最初は妙に大人びて素っ気なかったエルもやがては楽しそうに彼と遊んでいた。 ある日の夜、子供達が寝入った頃、エルミとレインの姿が見えないと思って洞穴の外に出ると、 彼等がなにやら深刻な表情で話しこんでいるのが聴こえた。 「…まさか!」 困惑したレインの声。エルがゆっくりと頷いた。 「本当だよ。…だからね、私はこの、…"時代"じゃ、 名乗ることも過去を打ち明けることもできない。 …きっと、誰も信じてなんてくれないから」 「そんな!僕は信じるよ!エルミは嘘なんてつかないじゃないか!」 するとエルミはくすくすと笑った。 「レイン、君は私を買いかぶりすぎだよ。 …私、実はとってもうそつきなの。 私が本当に正直者だったら、エルディ君から妹さんの名前を貰ったりしないし、 本当のこと全部打ち明けてたと思うの。 …前の私なら、きっとそうしたはずなのに…… なんでかしら、私、家族って呼べる人がずっといなかったから、ここでの生活がすごく好きなの。 エルディ君がいて、レインがいて、みんながいて、 目は見えなくても、私、ここにいれば、幸せな気がするの」 エルミはいつになくつたない言葉でそう言った。 岩陰に隠れながら、エルディは首を傾げる。 …話がよくわからない。一体彼等は何の話をしているんだろう? すると、エルが言った。 「…エルディ君には今の話、内緒だからね」 ◆ エルはよく未来を見透かすようなことを仄めかした。 例えばリンダが森で迷子になったとき。アンディが孤児集落にやってきたとき。 それとなくいろいろなことを言い当てて、彼女はもしかして予知でもできるのではないかと思った。 ある冬のはじまりの日の朝、エルミは飛び起きて、 パニック状態でエルディにこう言った。 「ねえ、エルディ君は近いうちここを出ることになるかもしれない。 そのときのために、今から荷造りをしておかないと駄目だよ」 彼女の言ったとおりだった。 それから七日ほどが経ったとき、ラトメの首都フレイリアから大勢の神官と、 そして一人の青年が現れたのだ。 赤い錆色が混じったブラウンの髪の青年は孤児集落の子供達を集めてこう言った。 「今度、ラトメディアの"神の子"フェルマータ様直属の機関、 ラトメディア神護警備部隊が設立される。 フェルマータ様は、そのメンバーを親のいない子供達で作ろうと仰った。 この孤児集落からも隊員を募ろうと思う。 希望者は今日中に俺のところに来てくれ。 …ただし、神護隊は女性禁制だ。男の希望者しか受け付けない」 エルディは、エルミの勧めに猛反発した。 「女性禁制だって!?エルを置いていけるわけないだろ!」 「だけど、エルディ君… 神護隊は住み込みだからちゃんとした家に住めるし、 お給料だってたくさんもらえるって話だよ。 旅人からもヘンな目で見られることもないし、 それにきっと楽しいと思う。ねえ、エルディ君も入隊しなよ」 「それでエルを置いていけって? 嫌だよ、家もお金も、エルがいないならいらない!」 「エルディ」 レインがやって来て、エルディの肩を叩いた。 「エルミが困ってるよ。 それに、神護隊に入って給料溜めれば、 フレイリアに家を借りられるかもしれないよ。 そうしたらエルミを呼んで、また一緒に暮らせるじゃないか」 「レイン、君は行くの?」 「僕?もちろん!いっぱい稼いで、エルディと一緒に君を迎えに帰ってくるよ」 「僕は行くだなんて言ってないだろ!」 だが、根気強いエルミの勧めにとうとう折れたのか、 最終的にエルディはレインに引っ張られてフレイリアへと旅立っていった。 その背を見送れなかった。 だってエルミは盲目だったから。 よくよく考えればレインやエルディの顔も知らない。 知っているのは彼等の手のぬくもりと声のあたたかさくらい。 エルミは、もしも彼等が帰ってきたときに声変わりでもしていたら、 もしかすると彼等のことがわからなくなってしまうかもしれない。 そんな不安に胸を疼かせた。 |
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