きみの「すき」はあのこのもの |
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レナとチルタが笑っている声が聴こえる。 それとは対称的に、ルナはひとり嘆息した。 このくすぶるような想いを感じ始めたのは、いつのことだろう。 そんなに昔のこと覚えていない…というのは、勿論嘘だ。ちゃんと覚えている。 チルタと初めて会ったのはほんとうに小さな時。 シエルテミナの護衛一族を母方の血に混ぜて生を受けたチルタは、 物心ついたときからルナやレナと一緒にいた。 当然、チルタにそんな認識はないはずだ。 ルナもレナも、不老不死の一族についての知識は全くと言っていいほどチルタには与えなかったし、 彼の父親はそういうことには疎い。 そして、母親はチルタを生んですぐ、シエルテミナの刺客に襲われた。 チルタは流行り病にかかって亡くなったと思っている。 だからそれを教える人間はどこにもいない。 そして、教える必要なんてどこにもなかった。 チルタは内気だったけど、ひどくまっすぐだった。 病弱なレナをいつも気遣っている。優しい、とてもやさしい子。 うじうじしているところも泣き虫なところも、見ていると酷く苛々したけれど、 何故だろう、不思議と嫌いにはなれなかった。 ルナにとって一番近くにいた男の子が彼だったのだ。 淡い想いを抱くのも、当然のように彼に対してだった。 けど、チルタはレナを選んだ。 レナもチルタが好きだと、いつも青白い頬をバラ色に染めてうつむいた。 ルナはチルタもレナも好きだった。 大切な幼馴染と、妹。 その関係で十分だ。 そう、それからだ。ルナは男の子のような格好をするようになった。 森を抜けて町に出ていっては粗暴な男の喋り方を学んで、 本当は可愛らしいリボンやレースが大好きなくせに、 そういう持ち物は全部レナに譲って、 小物の色も青や緑ばかり選ぶようになった。 最初は一人称を「俺」にしようとしたのだけれど、 そればかりはレナに泣いて止められたので変え損ねてしまった。 チルタは、病弱な妹を守るために男装しているのだっと思っている。 まさか。これは私が臆病なだけ。 チルタに女の子と絶対に見られないような人間になって、 完璧に見放してレナと幸せになってくれれば、諦められるから。 勿論のこと、ルナはレナをいつも守っていた。 シエルテミナで黒髪と黒目を持って生まれた最初の赤子は、 次代の当主を担うとずっと昔から決まっている。 だから次の当主となる者として、ルナは強くあらねばならなかった。 ちょっとしたことではへこたれない。 まして恋なんて。 そんなの気の迷い。私は一生、誰も愛したりしない。 きっと親の決めた男と夜を共にして、血族を絶やさないように仕組まれるのだ。 そうなることがわかっているならば、チルタへの想いは邪魔だった。 ルナは聡い子供だったけれど、それもレナの前ではいつもかすんでいた。 一個下の妹は頭がよくて、おしとやかで、 粗暴で口も荒いルナとは違っていた。 だから親戚も口をそろえてレナを褒め称えた。 その一方で、陰口はいつもルナの方へ行く。 頭は良くてもお人よしすぎるレナは気づかない。 蝶よ花よと育てられた生粋のお嬢様のレナは、 スラムや酒場に入り浸っていたルナとは違う。世の中の汚い部分を知らない。 同じ顔なのに。 どうしてこんなにも、私はチルタに好かれる要素がないんだろう。 それを決めたのはルナ自身であるはずなのに、 ルナはチルタとレナの談笑の声を遠くに聴きながら目頭が熱くなるのを感じた。 「……なあ、ルナ」 その時。 やさしくルナに声をかける、影。 座り込んだまま見上げると、綺麗な瑠璃色の瞳が目に飛び込んできた。 茶色い髪はどこにでもありそうに平凡なくせに、 彼の瞳はこれまで見たどんな宝石より美しいと思う。 瑠璃の瞳というのもどこかで聴いたことがあるが、 彼はどうせただの留学生だ。ルナが知る必要などない。 少年、ラファはルナの隣に腰掛けた。 チルタの家の居候。 シェイルの町並みについて研究するためにやって来たらしい。 どこにでもいそうな少年、瞳の部分だけを除いて。 彼もシエルテミナの屋敷に呼んでやったのはただの気まぐれだ。 チルタが世話になっているから。 彼のことをちらと話題に出したら、レナが会いたがったから。 本当はこんな素性も知れない奴を屋敷に入れるなんて死んでも御免だ。 「あいつら、仲いいよな」 ラファは仲睦ましげに話しているレナとチルタを見ていた。 くそ、こいつ。私の気も知らないで。 ぐらぐらと煮えたぎる内心を押さえ込んで、ルナは呟いた。 「…レナは、チルタのこと好きだし、チルタも、」 チルタも、レナのことがすきだから。 消え入りそうな声。こんなはずじゃなかった。 もっと自信を持って祝福しろ。 そして、このあとできっとラファは、二人がお似合いだと言うのだ。 みんなそう言った。 おしとやかなレナと、優しいチルタ。お似合いだって。 じゃあ、あまりもののわたしは、どうなるのよ。 「ふうん、まあお似合いかもな」 ほら、やっぱり。 ラファはルナの顔が暗くなったことも気づかずに言った。 だが、そのあとで続ける。 「でも、俺はルナとチルタも結構お似合いだと思うけど」 え、思わず声をあげてうつむけた顔を上げた。 ラファはまっすぐこちらを瑠璃の瞳で見下ろしていた。 「……別に、私、チルタのことなんてどうだっていいし」 なんだか気恥ずかしくなって再び俯くと、くすり、笑うラファ。 むかつく。 「なあ、ルナってどうして髪、伸ばさないの?」 「別にどうだっていいだろ、なんだよいきなり」 「伸ばせばいいのに」 彼は時々私を惑わすようなことを言う。 多分シエルテミナのことも何も知らないからだ。 こっちの事情などお構いなしに、彼は自由に自分の思うことを口にした。 「髪。伸ばせば、きっとレナより似合うんじゃないか?」 レナより、なんて。 そんなこと、はじめて言われた。 可愛いのはいつもレナだったから。 何でも似合うのはいつもレナだったから。 そんなこと、はじめて、 ◆ 長い髪をひとつにまとめる。 ポニーテールにした黒髪は私の自慢だ。 けれどその自慢の髪はすぐに黒いマントのフードに隠れてしまう。 だから私は大抵、出立ギリギリの時間までフードを被らずにいる。 …ただ、チルタ様に顔を会わせないこと、それが条件で。 懐かしい夢を見た。 あの瑠璃色のノルッセルは今頃暢気にラトメの連中と一緒にいるのだろうか。 ラファは、チルタ様と同じように、私にも刃を向けるのだろうか。 チルタ様は、あんなにもラファのことを慕っているのに。 多分彼は知らない。後で聞いた。彼は未来からやって来ていたのだと。 彼が私達に敵意を向けるということは、 きっと彼はまだ昔の私達のことを知らないのだと。 ならば私情は捨てて私は律儀に伸ばした髪を切ればよかった。 巫子狩りは冷徹でなければならない。 願掛けのように伸ばし続ける髪。 同僚の女には「恋でもしてるの?」なんて言われた。 恋?そんなの、 部屋の扉を開けて廊下に出ると、私はすぐにフードを被らなかったことを後悔した。 …こちらに向けて、チルタ様が歩いてくるところだったから。 「……あ、」 「………おはようございます、チルタ様」 するりとフードを被りながら、彼に一礼して脇をすり抜ける。 あの頃よりも随分と背の伸びた彼。 と、チルタ様はこちらに向けてお声をかけてきた。 「ルナ」 「…なんでしょう」 「髪、伸ばしたんだね」 一瞬、レナかと思った。 そう言ったチルタ様に、私は振り向けなかった。 そのままもう一度頭を下げて、私は歩みを進めながら滲む視界を押さえた。 ほら、ね。 恋なんて、そんなの、 不毛だ。 |
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