またねと言って別れて、また
別にレクセに用事があったわけじゃなかった。
そもそも根無し草で、知り合いというほどの知り合いもいない
(そしてその知り合いの最たるところである彼の弟とは、
面白いくらいに全く遭遇することがなかった)
彼にとって、別段用事という用事など存在しない。

そんなレーチス・ノルッセルが、それでもレクセディアにやってきたのは、
なんと言うこともない、ただ単に通りがかったからである。

世界創設戦争時代、この都市の軍には散々手を焼かされたものだが、
あれから千年近く経った今となってはそれもまたいい思い出だ。
どうせあんな時代から飽きずに生きている者など自分と弟くらいのもの、
そしてその弟と会わない以上、その思い出を共有する者もまた彼には存在しない。

確かあの頃、この国の王子はすげえ我侭だったんだよなあ…
しみじみと噛み締めていると、唐突にぐいぐいとマントの裾を引っ張られて、
レーチスは思い出から現実に引っ張り戻された。

「…ん?」
「だー、う!」

見ると世界に名だたる異分子、レーチスの回想を中断させた勇者は、
まだほんの赤ん坊だった。
母親とはぐれたのだろうか、まだ満足に歩けもしない子供は、
大きな目でじい、とレーチスを見上げていた。
レーチスは思わず目を丸くして彼を見下ろす。
この赤ん坊の瞳は、今となっては自分以外に存在するはずのない瑠璃色だった。

「……おまえ、何処の子?」

ひょいと抱き上げて瞳を間近でのぞきこむ。
まさかこんな子供に瞳の色を変えるような幻術がかかっているワケもあるまい。
髪こそ銀髪ではなかったが、間違いなく彼の目はノルッセルの証だった。

「俺もミフィリもエルも、子孫なんて遺してないはずなんだけどなあ…」

そしてその三人さえ子孫を遺さねば、
ノルッセルの末裔など他に誰も生まれないはずなのだ。
実の兄であるミフィリも、従姉のエルミリカも、
子供を遺すどころか結婚もせずに逝ってしまったのだから、
子孫を残した可能性がある者などもとよりレーチスくらいしかいないのだが、
あいにくと三人の中で最も色恋沙汰と無縁だったレーチスである。
兄ミフィリに「お前に性欲と言う単語は存在しないのか」とまで言わしめた男だ。
まかり間違って子供が出来たなど万に一つもありえない。

もしかして、まだ他にもノルッセルの生き残りが存在していたのだろうか。
首をひねると赤ん坊もレーチスのまねをしてこてんと首を傾けた。
…なかなか可愛い奴である。

「ラファー?ラファくんー?どこにいるのー?…あらあら」

そんな時、子供がいなくなったには悠長に歩いてきた1人の女性。
見るからにおっとりとしている彼女の髪は子供そっくりのブラウンで、
まん丸の亜麻色の瞳が彼女を童顔に見せている。
レーチスに抱かれたラファ、と呼ばれた赤ん坊と、そしてレーチスを見比べて、
にこにこと笑ってこちらにやってくる。

「こんなところにいたのねえ、ラファくん。
ごめんなさいねえ、お兄さん。この子ったら目を離すといつも外に飛び出していっちゃうのよお」
「……」

全くもって謝る態度ではない女性はのほほんと笑うと、
このご時世、レーチスを誘拐犯呼ばわりでもしてもいいだろうに、
彼の腕からラファを取り戻すことすらせずに頬に手を当てた。

「可愛いでしょう?思わず攫っちゃいたくなるくらい可愛いでしょう?」
「言っとくけど攫ってないからな」
「あらあら、残念ねえ。
もし本当に誘拐犯さんだったら、『うちの子は攫われるくらい可愛いのよ』ってご近所に噂できたのに」

この母親、もしかして天然か。
妙に納得していると、ようやくゆっくりと母親はラファを抱き上げた。
レーチスはさりげなく問うた。
「その子の目は父親譲り?」
「ああ、これ?素敵な目でしょう。でも残念ながらそうじゃないの。
うちの家系も夫の家系も瑠璃の目の人なんていないのよねえ。
ただ、うちのお姑さんって結構な遊び人だったのね、
この子の父親のさらに父親…だからラファくんのおじいちゃんかしら、
その方が誰なのか分からずじまいなのよお。
だからもしかしたら誰とも知らぬおじいさんからの隔世遺伝かしらねって」
「……」

そんな身の上話を初対面の怪しい男に話してもいいのかは甚だ疑問だが、
ラファと鼻先をつき合わせて「でもまあなんにせよ綺麗な目に生まれてきてくれたんだから
なんでもいいわよねえ」と楽観的なことを言ってる彼女に他意はないのだろう。

しかし、遊び人の姑、か。
まさか自分がその姑と一夜を共にしたとはとても思えないが、
もしかして自分が覚えていないところでそういうこともあったのだろうか。

「…まさかねえ」
「もしかして、お兄さんがこの子のおじいちゃんだったりして」
「……」

にこにこと言ってのける女性よりも、外見年齢は明らかにレーチスのほうが年下だ。
彼女の素直な笑顔は、冗談のつもりなのか本気なのかは判別がつかない。
レーチスは口端を引き攣らせた。

「…まさかねえ」
「ふふ、まさかねえ」

それでもしっかりと否定できなかった。
…いっそ認めてしまった方が楽ではなかろうか。

「で、仮に俺がラファ君のおじいちゃんだったらお姉さんはどうするんだ?」
「うふふ、お姉さんだなんて久々に言われたわあ。
そうねえ、それじゃ、」

子守でもしてもらおうかしら、おじいちゃん。
その台詞が妙に癪に障ったレーチスは、
「どうせ言うならラファの父親の父親とでも呼んでくれ」、
そうげんなりと返したのだった。
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