何もかも熱に掻き消されて(くれれば、良かったのに)
「……まずった」 レクセ・ルイシルヴァ学園。
その寮の一室、ルナは火照る額を押さえながら溜息をついた。

暮らす環境が変わって体調を崩すなど、情けない。
こんなところで寝込んでいる暇などないというのに。
いつ巫子たちがやってくるかもわからない状況なのだ。
常に気を張って、巫子たちの転移を察知しなければならないのに。

なんにせよ、1人部屋でよかった。
学園では何かと世話を焼いてくるエピナに捕まったら確実に体調不良がばれてしまう。
ルナはふらつく身体を叱咤して、制服の上に黒いマントを羽織った。



「それで、ルナ。
まだ巫子たちは来ていないのかい?」

無人廃墟の館。
埃を落としたソファに腰掛けるチルタはのんびりと問うてくる。
いつもはどんなに遠くても鮮明に届くその声すら、
今のルナにはぼやけて聴こえた。
ルナはフードで真っ赤に染まった顔を隠して頷いた。
「はい。結界にはまだ反応はありません」
「そうか。じゃあ君はこれからも学園内に潜入して機を待つように」
「かしこまりました、チルタ様」

荒い息を押さえ込みながら低めの声音で返すと、
チルタが僅かに眉をひそめる。
…この幼馴染、実のところ、人の感情の機微にはかなり鋭いのである。

「……ルナ、なにかあった?」
「いいえ、なにも!」

思わず大きな声を上げてしまったことは自負している。
しかしこのお優しい上司のことだ、風邪をひいたなどと間抜けなことを言えば、
大慌てに慌ててルナに休むよう勧めるだろう。
…レナと同じ顔の女が風邪を引いて、黙っているチルタではない。

「失礼します……、っ」
「ルナ!!」

大声を出したのが効いたのだろうか。
途端に暗転する視界の端っこで、慌てたように手にした書類を取り落とすチルタが見えた。



毎日のようにチルタのもとへと通った日々。
その最後の数日、たった数日だけれど、ルナたちの日々に深く割り込んできた1人の少年。
ラファはいつもルナを見ていた。

「ルナって、どうしてそんな格好してるんだ?」
「こっちのほうがいろいろ都合がいいからだ、文句言うなよ」

ラファだけ。
彼だけがルナに「女の子らしい格好をすればいいのに」とぼやいた。

少年のような衣装を纏っていても、凛とした態度のルナを、
皆は似合うと世辞を言うか、貴族のくせにと蔑むか。
チルタなどは自分よりも男らしくなってしまった幼馴染に、
ある種尊敬じみた視線まで送ってくるし、
女の子の格好のほうが似合うよ、なんて言ったのはラファくらいのものだった。

「嫌いなのか?女の子の服」
「…別に」

勿論好きである。おしゃれだってしてみたいし、可愛い服だって着てみたい。
少しでも着飾ってチルタに振り向いてほしい。
…でもそれが出来ないのだから、しょうがない。

そっぽを向くと、ラファはふうん?と納得してなさそうな声を上げた。
「見てみたいけどなあ、ルナの可愛い格好」



ここはまだ夢の世界だろうか。
薄っすらと目を開くと、額にはなにやら冷たいものが乗っていて、
それはラファと話したあの日の風の温度によく似ている気がした。
ぼんやりと茶色い髪が視界の隅に見える。
焦点の合わない瞳を凝らすと、少年の声がゆっくりと彼女の名前を呼んだ。

「ルナ?」

ラファ。
思わず呟いてしまった。



「らふぁ」
舌足らずな声でそう言ったルナに、チルタは握ってやっていた彼女の右手を強く握り締めてしまった。
彼女はまだ夢でも見ているのだろうか、
チルタを見て、かつて永遠にも似た数日間を過ごした少年の名を呼ぶ彼女に、
チルタは何も言えずに口をつぐんだ。

「ラファ…わたし、」

いつもルナは凛としていて、かっこいいなあと、いつもそればかり考えていた。
自分よりも頼もしくて、こんな人になりたいと、憧れて。
けれど、何故だろう、珍しく熱に浮かされているルナが、
そのあどけない表情が、可愛いと思うなんて。

「わたしだって、」

おんなのこなんだからね。
つぶやいたルナを、誰よりも愛おしく思ってしまうだなんて。
…自分のほうが熱でもあるんじゃないだろうか。
チルタは考えながら、ルナの右手を口元に寄せた。
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