寂しいと言っては駄目ですか
ファナティライスト高等祭司になるのは簡単だった。
なぜなら、僕は第九の巫子だったから。

第九の巫子は文字通り「破壊」の力を持っている。
強い力は僕の記憶や思いすらを蝕み、
僕はその底知れぬ狂気に、幾度も苦しむ羽目になった。

それでも。
それでも、みんなのいる、幸せな未来が欲しかったから。

皆で旅に出るのだ。
ラファおにいちゃんと、レナと、ルナと、僕。
四人、いつだって一緒。

シェーロラスディ陛下…シェロ様はよく僕を気遣ってくれた。
優しい人。
そういえば息子のロビ様と不仲らしいけど、僕にはどうしてこの方を嫌えるのか不思議だった。
この方ほど素晴らしい人間なんて、そうはいないだろうに。

僕はレーチスさんとの旅の間に多くを知った。
ラファおにいちゃんが未来から来た「過去夢の君」だということ。
赤の巫子のお伽噺の真実。
レーチスさんの思い、願い、ぜんぶぜんぶ。

この世界って、どうしてこんなに悲しいんだろう。
なんで、もっとみんなが笑える未来が来ないんだろう。
エルミリカさんは、未来を変える力を持ってるなら、
どうして僕たちが幸せに生きられるような未来をくれなかったんだろう。

酷い。
でも、もっと酷いのは、僕自身だ。

レナを守れなかった。
ラファおにいちゃんがいなくなるのを、止められなかった。
それを人のせいにして、僕は駄目な子だ。

こんな自分だから、みんないなくなってしまったんだろうか。

そういう不安に毎夜駆られる僕は、ベッドで丸くなってうずくまった。
でも、それでも死にたくないと願う僕は、愚かだろうか。
巫子狩りを使って、一人でも多くの巫子を、捕まえて、
僕を殺す儀式を食い止めなきゃならない。

でも。どうなんだろう。
ラファおにいちゃんが僕のこの姿を見たら、どう思うかな。
時々くじけそうになる。
ラファおにいちゃんは、僕が死んだほうがいいって言うかな。
僕が死ねば、レナと同じ場所にいけるかな。
…なんて。

「……ばかみたい」

夜空を見上げる。今日は新月だった。
空は真っ暗。まるでレナの髪みたい。
そう思うともっと近くで見たい気がして、僕はベッドから起き上がり、
自室から出てファナティライスト神殿の庭園に下りた。

ファナティライストの神殿は、綺麗だ。
見たことはないけれどラトメの神殿も綺麗だって話。
でも、多分こんなに素敵な場所は、ラトメの神殿だって敵わないだろう。
レナ、こういうところ、好きだろうな。
レナがもしも生き返ったら、一番最初に連れてきてあげたい。

そんなことを考えていると、庭の奥のほうでなんだか言い争いのような声が聴こえてきた。
気になって近づくと、どうやら一組の男女が唾を飛ばしあっている。
これ、レーチスさんの言ってた「痴話げんか」ってやつかな。
こちらからは男のほうの顔しか見えない。女のほうはこちらに背を向けていた。

けれど。
その少女の髪に僕ははっとした。
背中をさらさらと流れるまっすぐな漆黒。
綺麗に手入れしてるんだろうな、そんな風に思わせる長い髪。
レナ?そう呼ぼうと思った。
もしかして、レナが、生きていたんじゃ。助かったんじゃ。
でも、彼女がどうしてここに?

呆然と立ちすくんでいると、男女はこちらに気づくこともなく言い争いを続けていた。

「ハッ、お高く留まってんじゃねえよ!
テメエみたいなインラン女こっちからお断りだね!
誰にだって脚開くくせに!」
「失礼なこと言わないで!アンタみたいな下品な奴、最低!
流れ弾に当たっても文句は言えないわよ!」
「うるせえっ!お前なんて、シエルテミナっていう家柄がなきゃ、
誰も見向きしないブスのくせに!」
「…ッ!」

女が感極まったように片手を振り上げたので、
僕は慌てて仲裁に入った。
右手、手袋の奥に紅い刻印の入った右手で彼女の手をつかむと、
彼女ははっと息を飲み込んだ。
男のほうも僕の顔を見て途端に青ざめる。
この男、見たことがある。確か巫子狩りの一人だ。

「何をしているんだ。夜中なのに騒々しい」
「チ…チルタ様…!」
「喧嘩なら昼間だって出来るだろう。時と場所を選べ」
「も、申し訳ありませんっ!」

男はいそいそとその場を走り去っていった。
夜闇に包まれた気が遠くなりそうなほどに静かな庭園には、
少女と、僕だけが残された。

「……大丈夫?」
「………」

少女は答えなかった。それどころかこちらを見ようとすらしない。
僕の部下のくせに。
彼女の顔は、どんな風をしているのだろう。
顔もレナみたいなんだろうか。
先ほどの会話はレナからは想像もできないほど清楚とは言いがたかったけど。

無理矢理肩を引っつかんで振り向かせる。
僕は今度こそ呼吸が止まったかと思った。

黒い瞳。長い睫。
張り詰めるような空気。
レナにそっくりなのに、レナじゃない。
レナはこんな顔しない。

ああ、そうだ。君は、
「ルナ?」

名を呼ぶと、ルナは幾筋か涙が通っててらてらと光る頬を袖で拭った。
凛と響く声で、僕を射抜いた。
…本当に、胸を魔弾銃かなにかで射抜かれたかと思った。
彼女の声を聴くと、それだけ苦しくなった。

「…夜中にこのような騒ぎを起こしてしまい、申し訳ありませんでした」
違う、そんなことが聞きたいんじゃない。
「ここがチルタ様の御自室の近くだとは知らず…
処分は如何様にもお受けいたします」
僕を「チルタ様」なんて言うな、反射的にそう返そうとした。
けれど、彼女の黒い双眸が僕を見たから、僕は二の句が告げなくなってしまった。

「……いや、処分は考えてないよ」
「…そうですか」
ルナの目は暗かった。
男勝りで、意地っ張りで、それでも明るかった少女からは想像もつかないほど。
レナみたいな可愛さは、元々なかったけど、
でも僅かに被っていたレナとの類似点も、なりを潜めてしまったかの、ような。

「それでは、失礼いたします。良い夢を、チルタ様」

僕はそれまでずっともう一人の幼馴染のことを忘れていた。
そうだ、ルナだって、黒い髪に黒い目をしていたのに。
レナと同じ、髪と目。
レナも、生きてたら、ルナとますますそっくりになってたかな。
…いや、もっと、可愛いかな。

そうやってルナをレナといつも比較していたことが、
生きているルナをどれだけ傷つけているか僕はまだ知らなかった。
…そして、そのことを一生後悔するだなんて、
僕は、予想だにしていなかった。
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