かみさま、特別をください |
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ある日ピルの家に行くと、彼女は泣きはらした目でユールを迎えた。 彼女が泣いているところなんて数えるほどしか見たことがない。 尋常ならざるその様子に、ユールは思わず、 手にしていたおすそ分けの果物を取り落とした。 「どうしたの」 「なんでもないの」 「なんでもないわけないだろ」 埒が明かない。 とにかくもユールはピルを無理矢理座らせて、 とびきり甘いお茶を淹れるために台所に立った。 昔から泣き虫だったユールを慰めるときは、 姉はこうして大量の砂糖をぶちまけたお茶を淹れてくれたものだ。 「…甘いよ、ユール」 やはりかつてのユールと同じように、 お茶を一口飲むなりピルは苦笑した。 冷えた指先を暖めるために両手でカップを包み込むピルは、 やがてぽつりとつぶやいた。 「ねえ、ユール」 いつも明るいピルは、しかしそのときばかりは静かな声音で、 ユールを上目遣いに見上げながら尋ねてきた。 「ユールは、あたしに嘘をついてるでしょう?」 はっと息を呑みそうになったのを寸でのところでこらえた。 悟られるのが怖かった。 今までひた隠しにしてきたユールとピルの傷を、 包帯越しに見つめられているような気がした。 「…なんのこと?」 「とぼけないでいいんだよ、ユール。 ねえ、あたしたち、もしかして… あたしが記憶を失くしちゃう前から知り合いだったの?」 いつかこんなことを聞かれる日が来るんじゃないかと思っていた。 覚悟していた分、いざピルがその言葉を口にしたとき、 ユールはいつものようにぼんやりとしていられた。 「…どうしてそう思うの?」 「……あのね、夢を見たの」 ユールがあたしに駆け寄ってくる夢だよ。 消え入るように言った彼女。 ユールは目を見張った。 駆け寄って、それで、ユールはどうしたのだろう。 ピルを突き飛ばして、魔獣に体当たりでもされたのだろうか。 思わずユールは自嘲的に笑った。 口元をゆがめるのを抑え切れなかった。 その様子にピルは息せき切ったように叫ぶ。 「ねえっ、ホントのこと話して! あたしがどうして記憶を失くしちゃったのか、ユールは知ってるんでしょ? ユールは、あたしの記憶を元に戻すためにこの村に来たんでしょ? 答えてよ!」 「…ピルは、昔の記憶がほしいの?」 微笑んだまま問うてやると、ピルは俯いた。 「なんでそんなこと言うの…?」 「僕はピルの記憶は戻ってほしくないよ」 目を見開くピル。 ユールは内心で彼女に謝り倒した。 ごめん、ごめん、ごめんね、ピル。 「記憶が戻ったら、ピルはきっと僕の前から消えてしまうから」 カップを下ろしたピルの手をぎゅっと握った。 そう、ピルは今ここにいる。 全てを思い出して、彼女が罪悪感に囚われてユールを見れなくなって、 崩れてしまうなんて、ユールには耐えられないから。 また前みたいに笑いあいたいと思うけど、 また前みたいにこっちだけを見て欲しいと思うけど、 だけど、駄目なんだ。 「ピルは幸せになるんだよ」 「…昔のあたしは、しあわせじゃなかったの?」 「わからない。 でも、君はもう、僕のために辛い思いをする必要なんてないんだ」 今、自分はどんな顔をして彼女を見ているのだろう、 ユールはぼんやりと考えた。 目の前の彼女がこんなにも辛そうな顔をしているのだから、 きっと自分も似たり寄ったりの表情なのだろう。 「あたしは、ユールのせいで記憶をなくしたの?」 「そうだよ。だから君は僕を恨んでいいんだ」 いっそのこと恨んでくれればいいとすら思った。 もうピルが手の届かないところにいるんだと思えば、 自分も楽になれるんじゃないかって。 …なんて傲慢だ。 ピルはまた泣き出した。ユールも泣きたくてたまらなかった。 こんなにも近くに彼女がいるのに、心はあまりにも遠すぎた。 「…だけど、あたし、ユールが好きだよ」 「……」 「ユールのことなんて、恨めないよお」 嗚咽交じりに言うピルを、ユールは思わず抱き寄せた。 縋るように抱きしめた。 もうこのまま世界が終わってしまえばいいのに。 どうして神様は人間のために、誰もが手放しで喜んでいられる、 ハッピーエンドを残してはくれなかったのだろう。 人はいつだってがむしゃらに生きるしかできないのだから、 せめてそのくらいの慈悲はくれたって、罰は当たらないはずなのに。 |
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