32.レクセ・ルイシルヴァ学園
「学校なんてはじめて通うよ」

真新しい、糊のきいた制服に身を包んだロビが、ネクタイを緩めながら言った台詞に、
ギルビスは首を傾げた。

「君、ファナティライストで学校とか行ったりしなかったの?
ファナティライストには学校があるんじゃなかったっけ?」
「巫子狩り育成用の神官学校は、ね。
僕は世話してくれた女官に家庭教師じみたことをしてもらったんだ。
やたら博識だし一問間違えるごとに『おしおきです』とか言って魔術飛ばしてくるし…
教師としては最悪の奴だったね」
「でも、その人のおかげで、ロビは今そんなに頭がいいのね」

屈託なくラゼが笑うので、ロビは肩をすくめて目を伏せた。
…どうやら少し照れているらしい。

「ギルビスは?君こそ学校に行っていないのかい?」
「そんな金があるように見えるかい?僕は独学だよ。
医術と巫子の本ばっかり読んできたから、そのほかに関してはさっぱり。
興味ないことには手をつけようとしないから」
「…でも、いいなあ、ふたりとも。
私は勉強とは縁がなかったもの。
ゼルシャの村では、文字が読めてお金の計算ができればそれでよかったから」
「普通はそうなんじゃない?
少なくとも、それさえ分かれば日常生活に支障はないし」
「そうそう。それに大丈夫だって。
僕らの中には壊滅的な馬鹿が一人いるじゃないか」
「……おい、それはもしかしなくとも俺のことか?」

トレイズが、一人の女性教師を引き連れてやってきた。
教師は眼鏡のレンズ越しにきりりと一同を見渡した。
「初めまして、新入生のみなさん。
私は歴史教師のメアルです。
あなた方のクラスへ案内するので、私についていらっしゃい」
「はい」

メアル先生はどことなく沈鬱な表情だった。
少しやつれていたし、厳しそうな顔つきなのに、その視線に覇気は無い。
ぎょっとしてラゼが尋ねた。
「あの、先生?どこか具合でも悪いんですか?」
「え…?あ、ああ、ええ。ごめんなさいね。
何ヶ月か前に生徒が二人いなくなってしまって、どうも調子が、ね。
片方はとんだ問題児だったのだけれど、いざいなくなると…」

おそらく、ラファとマユキのことだろう。
一同は顔を見合わせた。
まさか、今レクセに彼らが戻ってきていることなど、
彼女は予想だにしていないだろう。

「…あなたたちにこんな話をしても仕方ないわね。
さあ、ここがあなたたちがこれから勉強するクラスよ。
最近入学した子がもう一人いたはずだわ。
みんなと仲良くなさいね」

障子開きの扉のむこうに、二十人ほどの少年少女たちが各々の時間を楽しんでいた。
見慣れない人間が入ってきたことに、好奇の視線が突き刺さる。
黄土色のおさげの少女が声を上げた。

「先生、その子たち、新入生?」
「ああ、エピナ君。そうよ。色々教えてあげなさいね」
「はーい。私エピナだよ。よろしくね、なんでも聞いてね。
…あ、待って先生。マユキとラファ、まだ帰ってきてないの?」

ぴくり。
メアル先生が去ろうとしている背中に呼びかけたエピナの台詞に、
トレイズたちの表情が動いたが、メアルもエピナも気付くことはなかった。
メアル先生は溜息をつく。

「ええ…」
「ねえ、本当に、何か事件に巻き込まれてるんじゃないんですか?
マユキもラファも、"無人廃墟の館に行く"って言ったきり戻ってこなくて…
そりゃラファはよく問題起こしてたけど、自分から学校から逃げ出すような子じゃないです!
まさか…誰かに連れて行かれちゃったんじゃ…」

トレイズの視線が泳いだ。
「誰か」もなにも、彼らを連れて行った張本人がここにいるのだ。
居たたまれないことこの上ない。

メアル先生は精一杯微笑んだ。
「きっと二人とも家出気分で出て行っただけよ。
そんなことを考えるのはおよしなさい。
あの二人は先生が探しておくから、エピナ君、
あなたは自分の、学生としての本分を果たしなさい」

そしてメアル先生は今度こそ去っていった。
トレイズとラゼが顔を見合わせる。
二人の無事を教えてやりたいのはやまやまだが、どこに敵がいるとも知れないこの状況で、
勿論そんなことができるはずもなく。
エピナは困ったような笑みを見せて言った。

「……ごめんね、寮に案内するね。あっ、そうだ」
エピナが教室を振り返った。
一人、窓から外を眺めている少女に声をかける。

「ルナ!寮に帰ろう!」

ルナは、黒髪をポニーテールに結い上げた少女だった。
焦げ茶の瞳が、トレイズたちをひとりひとり映す。
「ルナはね、最近この学園に入ったばっかりなんだよ。
だからあなたたちよりもちょっとだけ先輩だね」
「初めまして、ルナって呼んで」
ルナは右手を差し出してきた。トレイズが握手に応じた。

「よろしくな」
「ええ、同じ時期に他にも来る人がいて安心したわ」

ハスキーな声。ルナは深く笑んだ。



ルイシルヴァ学園の裏にある、学生寮の一室。
ベッドに腰掛けて、ロビは口を開いた。
「意外と簡単に入り込めたね」
「ユールたちがあの先生に『この人たちを推薦する』って言っただけですぐ通してくれたからな。
けっこう信頼されてるみたいだったし」
「僕達はいいとしても…ラファ達は見つかったりしてないかな」

ギルビスの台詞にトレイズは眉を寄せた。
確かに気になるのは、別行動を取っているラファとマユキのこと。
かといって、ここにいる誰もラファの家の位置など知らない。
様子を見に行くことはできないということだ。

ロビが窓から、日の沈んだ濃紺の空を見上げた。
世闇を、数多の星屑がきらめいて、彩っていた。

「新月か…」



ラファ達は深夜零時に事を起こした。
人気の無い、レクセディアの小道を駆け抜け駆け抜け、
月の無い闇に紛れて彼らは走った。

「ラファ」
マユキが声をひそめて、ラファを呼ぶ。
「どうせだからトレイズたちのところに行かない?
寮に忍び込めば、一緒に逃げることもできるんじゃ…」
「いや、駄目だ。ルイシルヴァは大通りにあるから…見つからないとも限らない」

現在位置は、レクセディアの入り口から、またルイシルヴァ学園から、
大体同じくらいの位置にある住宅街の端の小道だった。
もしここで学園に寄るとなると、必ず大通りに出なくてはならない。

「向こうにはロビとかギルビスがいるし、ラゼも強いし、トレイズだっている。
俺たちよりも楽に逃げられるはずだ。」

マユキが納得したように頷いて、小さく歌を口ずさみ始めた。
ゆったりとした旋律。子守唄のようなやさしい音色。
ラファは大通りの手前で立ち止まって、
マユキの唄が終盤まで差し掛かるまで待った。
目指すは入り口のゲート。
逃げることは予測済みとばかりに、
十人ほどの巫子狩りが、暗闇に同化するように立っていた。

「……行くぞ!」

あとワンフレーズで唄が終わる、というときに、ラファは叫んで飛び出した。

ロッドをひとつ大きく振って、
一瞬不意を突かれて震えたあとで魔弾銃を構えた巫子狩りに、なぎ払うように叩き込んだ。
ガンッ、盾にされた魔弾銃と、ラファのロッドが鈍い音を立ててぶつかり、離れた。

「マユキ!」
「…第五の赤き刻印よ、謡え!!」

謡い終わったマユキが、最後に高らかに命じると、
幻術をかけて小麦色だった髪の魔術が解け、一気に紅く染まりあがった。
前に差し出した右手のひらに光があふれて、
それはいくつにも散らばって、矢のように巫子狩りに襲い掛かった。

「チッ」
巫子狩りが舌打ちして、近場にいるラファに銃を向けてきた。
見ると他のものもこちらへと向かってくる。
…今だ!

ラファは時計に全神経を集中させた。
レーチスからの手紙に綴られた文面を思い出す。
時計に魔力を、溜めて……
巫子狩りに、向ける!

きゅんっ!

一周、時計の長針が時計回りに、勢いよく回転した。
鎖状のベルトがやけどしそうなくらいに熱くなる。
文字の無い盤面が光って、数字が浮かび上がって、巫子狩りめがけて、強く放たれた。

「ぐあぁっ!!!」
巫子狩りが悲鳴を上げた。
目にゴミでも入ったかのように反射的に手でおおって、後ずさった。
見ると、他の者もそれは同じで。

「……?」

光が完全に収まっても、巫子狩りたちはうめいていた。
ラファが不審に思って、一歩前に出た。
ブーツのかかとが小さく音を立てる。
すると一様に、巫子狩りたちの肩が大きく震えた。

「ひ…っ」
「や、やめろ、来るな!!
俺にこんなものを見せるなあぁっ!!」
「……どうなってるんだ…?」

今や、巫子狩りたちは魔弾銃を取り落とし、
必死で何かから逃れようと首を振っていた。
何が起こったのかわからないラファ達は、彼らの姿に恐怖すら沸きあがってきて。

「と、とにかく行こうよ。今なら逃げられるよ」
「あっ……ああ」

もがき苦しむ巫子狩りの脇を難なくすり抜けて、入り口のゲートを越える。
…すぐに、足を止めた。

後ろから来たマユキが、突然立ち止まったラファに首を傾げて声をかけた。
「ラファ?どうしたの…」
その視線の先を追って、彼女もまた息を呑む。

セント・クロスの森。少し手前に黒い人影。
微笑みを浮かべた少年は、ラファに和やかに声をかけた。
「やあ。インテレディアで会ったきりだったから…一ヶ月半ぶり、くらいかな?」
「チルタ…!」

チルタは、ラファ達の背後で悲鳴を上げている巫子狩りたちを一瞥した。

「へえ、なんだか面白い魔術を覚えたんだね。
流石は過去夢の君…魔力も半端ない、か。
ますます味方に引き込みたくなっちゃうよ」
「駄目!」

マユキがラファの腕にしがみついて、チルタを睨みつけた。
「ラファをそっちに…ファナティライストなんかには、渡さないんだから!」
「マユキ…」
「"ファナティライストなんか"、ねえ…」

チルタはつまらなそうにマユキを見て、ラファを見た。
「ラファ君、まさかとは思うけど、その子、君の友達?」
困惑しているかのような問い。
ラファはマユキを守るように一歩前に出て、答えた。
「そうだよ。……なんでだ?」
「本当?本当に?へえ…」
チルタはもう一度マユキを見た。値踏みするような視線だ。
「なに…?」
「いや、君の一族と、ラファ君の一族は確かものすごく仲が悪かったような…
よく親が止めなかったね。特に…マユキ、だっけ?君のほう」
「はあ?」

マユキの一族?
ラファは振り向くが、マユキも目を丸くしている。
「どういう、こと…?」
「だってさ、」
チルタは首をわずかに傾けて、心底納得がいかない、とでも言いたげに、
悪気もなしに尋ねてくる。

「君、"神の子"の娘だろう?
その髪といい目といい、憎らしいくらいにフェルマータの奴と瓜二つじゃないか」
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