ラファの家は、どこにでもある住宅地の、ちょうど真ん中あたりに位置する。
レクセディアでは一般的な、二階建ての一軒家。
青い屋根、白い壁。
子供の頃、隣の家の幼馴染とちゃんばらごっこをして、
あっさり負けて大泣きした、少し広めの庭。
居間の柱に、小さい頃身長を測る為に父さんにつけてもらった傷は、
今も残っているだろうか。

ラファの、十七年分の記憶が、この家には詰まっている。

家の鍵は開いていた。

一瞬迷ってから、ラファは扉を開いた。
マユキの心配そうな視線を感じる。
奥へと伸びた廊下。
だれもいない。

ラファは家の中へと上がった。
一番手前の、左手にある部屋をのぞく。
広がるリビング。
だれもいない。
だれもいない。

「ラファ」
マユキが自分を呼びかける、声。
「…その辺で、くつろいでいていいよ。
俺、ちょっと自分の部屋に行ってくる」

顔は引きつっていやしないだろうか。
声は硬くなっていやしないだろうか。
ラファは階段を駆け上がった。
客間を見る。
だれもいない。
寝室を見る。
だれもいない。
風呂を見る。トイレを見る。物置を見る。
だれもいない。
だれもいない。
だれもいない…
自分の部屋。
扉を開く。
だれも…

だれかが、いた。

「………あ…？」
父さんじゃない。
母さんじゃない。
銀の髪を後ろでひとつにくくった、青年が、
ラファに背を向け立っていた。

扉を開く音に気付いた青年が振り返った。
吊り目気味の瑠璃色の瞳が、ラファを映した。

青年は、ゆっくりと微笑んだ。

「やあ」
どこかで聞いた声だった。
優しい声だった。
「…あんた、だれ」
「ちょっとね。お邪魔してるよ。
君にどうしても渡したいものがあって」

青年は懐から一通の手紙を取り出した。
ラファに押し付ける。
「これ、は…？」
「君の知りたいことが書いてあるだろう。
どうせエルミリカのヤツは何も話してないんだろ？
俺は、君には知る権利があると思ってる」

手紙から顔を上げると、青年は窓枠に足をかけていた。
にっこりと笑いかけられる。
「そうそう。君の両親はちゃんと埋葬しておいたよ。
町の西に丘があるだろう？
あのてっぺんの、見晴らしのいいところに、さ。
ちゃんと墓参り、行けよ」
「ちょっと待ってくれよ！！」

そのまま青年がどこかへと行こうとしてるので、
ラファは慌ててその腕をつかんだ。
青年がきょとんとして振り返る。
「なに？」
「あんた誰だ？なんで、俺に…」

ラファの台詞を遮るように、額に、青年の手が添えられた。
父さんよりも小さくて、
母さんよりも冷たい、手…

「おいおい、もう俺のこと忘れちゃったのか？」
青年は笑った。
「でも、お前まだ赤ちゃんだったもんな。
覚えてるわけねえか」
青年は、優しく言った。
「じゃあ、今度はちゃんと覚えておけよ。
俺の名前は、」

◆

「レーチス！！」

いきなり大きな音を立てて、大声を上げて、
階段を駆け下りてくるものだから、
マユキは驚いて、壁にかけられたラファとその家族の写真から顔を上げた。
「ど、どうしたの？ラファ」

ラファは答えずに、リビングの窓を大きく開けた。
だが、求める銀色の髪はどこにもない。
ラファは肩を落とした。

「………なんでもない」

ラファは、そして左手に握り締めた白い封筒に、視線を落とした。
青い、２羽の鳥が交差している印の押された蝋をはがすと、
三枚ほどの紙が入っていた。

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我が息子の息子、ラファへ



「孫」という表現は俺が年老いた気がするから、こういう言い方で失礼するよ。
俺の名はレーチス。君と、四分の一だけ血の繋がった存在だ。
そして、「ノルッセル」という、不老不死の血を引いている…
これでももう千年くらい生きてるんだ、と言ったら、君は信じるかな？

俺は世界創設時代、エルミリカ・ノルッセルの補佐をしていた。
世界創設を成し遂げた「聖女」とは腐れ縁でね…
会うたび言い争いをしては、エルミリカに叱られていたよ。
エルミリカには会っただろう？彼女が、自分の…予知夢の君の片割れである、
過去夢の君を放っておくわけがないからな。

さて、話を戻そう。昔話も色々と聞かせてやりたいけど、紙がいくらあっても足りなくなってしまうから。
君はきっと、"過去夢の君"が何なのか、よく分かっていないだろうと思って。
だから、前過去夢の君である俺が教えてやろう。
…そろそろ、俺の正体が見えてきたかな？
まあ、他人がつけた俺の呼称なんてどうだっていいし、
俺には俺なりの考えがあって動いているんだから、
人にそれをとやかく言われる筋合いはないと思うけどね。

双子神エルの話は知っているか？
未来を視ることのできる妹が、兄の死を知ってしまって、
その未来を変えるために、自分の命を絶ったという話だ。
けれど、結局兄は、妹を失った悲しみから、自らも死ぬことにする。
…矛盾していると、思ったことは無いかな？
「妹の予言は外れてしまっているんだよ」。
何故だと思う？

それはね、兄が「過去」を変えたからなんだ。
妹の予言は、「兄が生き残った」という"過去"を前提とした"未来"なんだ。
…言っていることが難しいかな。
未来というのはね、過去が、そして現在がなければ成り立たない。
とても不確定で、不安定なものなんだ。
対して過去は、変えることができないだろう？
何が言いたいか、分かってくれたかな。

"過去夢の君"は過去を、"予知夢の君"は未来を、変えることができるんだ。

まさかと思うか？でも事実さ。
それだけでも信じられないだろうけど、過去を変えられるということは、
すなわち未来をも操れる力を得たのと同じだということに、気付いたか？
勿論、そうそう簡単にいくものではないんだけど。
多大な魔力が必要になるしね。
…そう、だから俺は…いや、俺と兄貴は、「赤い印」を創ったんだ。
神に届くほどの魔力を、手に入れるため、と言ったほうがいいかな。

俺の変えたかった未来を、守りたかった過去を同封しておいた。
もっと聞きたいことがあれば、エルミリカに聞けばいい。
「レーチスに言われた」といえば、彼女だって何でも教えてくれるはずだ。

どうぞ、君の行く先に幸があらんことを。



世界に名だたる異分子・レーチス


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ラファは紙をめくった。
最後の一枚には、誰かの肖像が描かれていた。

二人の少女だった。一方は豪奢な椅子に座り、一方はその背もたれに手を掛けて立っていた。
二人とも、柔らかく微笑んでいた。
片方の少女には見覚えがある。
この虚ろな瞳…エルミリカ・ノルッセルだ。
立っている少女は初めて見る。短髪の明るそうな女の子だった。
エルミリカがふんわりとしたドレスを着ているのに対して、
彼女は召使のように質素な風貌だった。
裏返すと、端正な文字で、
「エルミリカ姫と召使ウラニア、ロゼリーにて」
とある。そしてその下に小さく、
「二人が最後の"予知夢の君"となりますように」
と書かれていた。

予知夢の君？最後の？どういうことだろう…
「……レーチスの願いは…"異分子"の願いは、」

予知夢の君を、なくすこと？

◆

手紙を読んでぶつぶつとなにやら呟いているラファを、マユキは困惑して見つめていた。
どうしたというのだろう。

ラファが顔を上げた。マユキは恐る恐る尋ねた。
「ど、どうしたの？ラファ…」
「ラトメに行こう。今夜の真夜中だ」
「えっ！？」

ラファが紙をめくった。
「見てくれよ」

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追伸


そうそう、"時計"があるから、今の君の魔力はもとの半分くらいしか発揮できないんだけど、
絶対に外してはいけないよ。
できれば寝る時も付けているのが望ましい。
その時計がちゃんと、普通の時計としての役割を果たせるようになるまでね。
でないと、わけのわからない過去夢を見る羽目になるよ。
経験がないかな？出会う人出会う人の過去を垣間見てしまうこと。
それと、上手な力の使い方を教えてあげよう。
今度ファナティライストの連中に、その時計の文字盤を見せてやるんだ。
そして極限まで魔力を込めてやる。
何が起こるかは、お楽しみだ。
面白いことが起こる、とだけ言っておこう。
込める力加減にもよるけど、そうだな。
初めて使うなら、最低でも一時間くらいは足止めが効くだろう。

あと、いつか「レフィル」と名乗るやつに会ったらよろしく言っておいてくれ。
俺のことを追ってるらしいんだけど、いずもすれ違ってしまってね。
俺はこれからエルミリカに会ってから、ファナティライストに渡ろうと思う。
また会った時は、無視しないで声をかけろよ。
元気で。

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「……時計って、それ？」
マユキがラファの左手首に巻かれた銀の時計を指した。
今、その針はゆっくりと反時計回りを繰り返している。
「だな。何が起こるかはわからないけど」
「それ、さっき叫んでた、レーチスって人の手紙？その人、誰？」

ラファはしばし黙った。
馬鹿正直に「異分子だ」と言ったら、
流石のマユキも怯えてしまうのではないか。
けれど、親友に、ただでさえ両親の死を黙っていたのだ。
これ以上、隠し事はしたくない。

「…俺の、爺さんに当たる人で」
「うん」
「……………"異分子"だよ」
「うん…え？」
「だから、"異分子"だよ。フェルマータが言ってただろ？
最初に赤い印を作った異分子だ。
フェルマータは『死んだ』って言ってたけど」

生きていたのだ。
レーチスは、現に自分の目の前に、姿を現した。
異分子は生きていた。
そして、エルミリカも…

「エルミリカ・ノルッセルに会わなきゃならない」
ラファは言った。
「それで、今度こそ、ちゃんと全部聞くんだ」

マユキは黙ってラファを見ていた。
「間って、じゃあ、異分子も、エルミリカさんも、まだ生きてるってこと？」
「ああ」
「ラファは、その異分子の…レーチスさん？の、
血を引いてるってことだよね」
「そうなるな」
マユキは口をつぐんだ。
…この友情も、ここまでだろうか。
溜息をこらえた、そして。

「…それって、すごいよラファ！」

ラファの心配は、杞憂に終わった。
マユキはラファに詰め寄り目を輝かせた。
…いつもどおりの、夢見がちな、マユキだった。
「すごいすごい！死んだと思ってた人が生きてて、
しかも不老不死で、ラファのおじいさんが赤い印を作ったってことで！
…ああもうっ、私もそのレーチスさんに会いたかった！」

このままだとマユキが、
「レーチスさんに会いにファナティライストに行きたい」
とでも言い出しかねないので、ラファは先手を打った。
「言っておくけど、ファナティライストには行かないからな。
…とにかく、レクセはさっさと出なきゃ。
一体何が起こるのかはわからないけど、
ここはレーチスを信じるしかないな」

自分の言いたいことを先読みされたからか、
単にレーチスに会えないことを悔しがっているだけなのか、
マユキはすこし口を尖らせた。
やがて、口を開く。
「…じゃあ、夜に備えて寝ようか」
「そうだな」

ラファはちょっと笑った。
大丈夫。
この家にはだれもいなかったけど、
今は隣にマユキがいる。
…そして、レーチスがいた。

俺はまだ、一人じゃない。

みんなと一緒に、生きていけるんだ。