36.占術師のジレンマ |
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46の円占い。 ユールの最も得意とする占術である。 占いというのは、彼にとっては遊びや迷信ではない。 れっきとした魔術のひとつなのだ。 神経を研ぎ澄まし、ぴんと緊張の糸を張り巡らして、魔力の流れを手繰り寄せ、 求めるものを引き出す…神秘的な、芸術の一種。 小さな円状のボードを宙に弾く。 それは眩い光を放って、机上を青く照らした。 広がるばかりのライトはしばらくして収束し、 いくつもの円を線で繋いだような、不可思議な図形を描き出す。 ぴたり。回転していたボードは、図形が完成すると宙に浮いたままで静止した。 ユールはすると数十枚の円いカードを取り出した。 表面は、皆同じ幾何学模様。 そして裏面には、それぞれが違った、細かな絵柄が入っている。 ざらざらと表にしてカードをかき混ぜて、カードをひとまとめに重ねる。 「それにしても、占いなんて初めて見たよ」 ロビが興味深げに声を上げた。 ユールは手早く、机に描かれた図形の、空いた円の中に次々とカードを並べていた。 「そうか、北方じゃ珍しいよな。 ラトメだと、割と一般的にみんなやるんだ。特に神官とか貴族は占いに頼るな」 「そういえば、ユールってラトメの出身なんだよね」 トレイズの言葉を受けて、ピルはユールを見た。 カードを並べる手を休めて、ユールは顔を上げた。 …皮肉っぽく、笑った。 「そうですよ。 …小さい頃、父がやっていたのを思い出して。 僕の両親、ラトメの神官だから。…いや、父親はもう辞めちゃったんですけどね」 「……それで、その母親っていうのは、今の"神の子"なわけだね」 さらりとロビが言うので、一瞬の間が空いた。 一同が、ゆっくりとユールを見る。 ユールは、小さく首をかしげた。 「どうして、そう思うんですか?」 「だって、マユキはフェルマータに行き映し出し差。 それにその占い方法…えーと、"46の円占い"、だっけ? ラトメの上流階級に伝わるものだって聞いたことあるよ。 …最後は君の雰囲気。 どんなに隠そうとしてても、ちょっとした仕草や態度はなかなか変えられないからね。 君達の動きはちょっと優雅すぎるのさ」 「…そ、そうなの?ユール?」 ピルの問い。ユールはしばし目を伏せた。 フェルマータと同じ小麦色の髪が、さらりと耳からこぼれた。 「……母には、会った記憶がありません」 ぽつり、つぶやく。 一同は静かに彼の涼やかな言葉に聞き入った。 「でも、父のことはよく覚えています。 姉さんは、父さんのことを嫌っていたけど、彼はとても優しい人だった。 …とても、儚い人でした。 ギルビスさん、あなたの髪よりも少し色素は薄いけど、 彼も青い髪と瞳をしていました。 僕と姉さんは、物心ついた頃からずっと、父と共に逃亡生活を送っていました。 …僕らの父は、ラトメではそれなりに有名な殺人鬼なんですよ」 殺人鬼。 殺人鬼の子供。 …もし、それが真実で…また、ロビの言った仮定も本当だとしたら、 マユキとユールは、神の子と殺人鬼の間に生まれた子供と言うことで…? いや、まさか。そんなことがあっていいはずがない。 あろうことか、ラトメの最高指揮者の夫が、殺人鬼であるだなんて。 「とはいえ、僕は父本人からそう聞いたわけじゃありません。 …父は、"神の子"を殺そうとし、失敗して、 ラトメから逃亡するときに多くの神官を殺そうとして、 挙句"神の子"を切りつけたと…」 「それ、聞いたことあるな。 神護隊が出来たのも、二度とこんなことが怒らないように、 っていう一種の対策だったらしい。 …マユキと、ユールの親父さんが?」 「少なくとも、周囲と、マユキ姉さんはそう思ってます」 「含みのある言い方だね」 ユールは目を細めた。 窓の外を見る。 夕暮れのやわらかい光が、彼の横顔を照らしていた。 「ある時…まだ父と一緒に旅をしていた頃、 僕が怖い夢を見て、そのあとなかなか寝付けなかったことがあるんです。 そのとき、父が話してくれたんです。 僕らの、母さんのこと」 ◆ ユールの父は穏やかに言った。 「君のお母さんはね、ユール。鳥みたいな人だったよ。 楽しそうに飛び回って、気ままで、怒ったかと思えば優しくなって… くるくる表情が変わって、本当に見ていて飽きない人だった。 でも…でもね。 あの人は、今暗いところに閉じ込められて、身動きが取れないんだ。 あんなに毎日が楽しそうだったのに、 いつの間にか彼女が浮かべるのは、悲しそうな笑顔だけになっていたんだ」 幼いユールは、まんまるに目を見開いて、無邪気に問うた。 「それって、おとうさんみたいに?」 切なそうに笑っていた男は、しばし目を瞬いて、 それからふと、またいつもの、悲しげな笑みに戻して言った。 「……私なんかよりも、もっとずっと綺麗だ、フェルの笑顔は」 ◆ 「フェル」 トレイズが呆然と繰り返した。 「まじかよ」 「さあ、たまたま同じ名前だったのかもしれない。 そのあとすぐ、マユキ姉さんが父さんの指名手配書を持ってきて、 僕を連れて、『あんな人が父親だなんて認めない』って、 レクセに逃げてしまったから。 …父さんとは、それから会っていないんです。 今はどうしているのかも、何も、僕は知らない」 ユールは再びカードを並べる作業に戻った。 最後の一枚を中央の円の中に置いて、 顔を上げて、彼は微笑んだ。 「得意な占いで、父の居場所を探そうとは思わないのかい? レクセに来たとき、僕らの位置を見つけたみたいに」 「おそらくできるでしょうけど…会いに行くことはできないから。 それは、マユキ姉さんへの裏切りになるから」 並べたカードの上に手をかざす。 真っ白な、やわらかいカードを照らし出す。 「会えないのなら、見つけても意味がないんですよ。 所詮占いなんて、一時の気休めに過ぎないんだから」 …では、はじめましょうか。 一連の会話などなかったかのように、 ユールは最初のカードをめくった。 ◆ 「占いはあくまで仮定です。完全な予知にはならない。 本当の予知は占いとは別領域。 それを忘れないでください」 最初のカードでは、美しい少女が腕一杯の花束を抱えていた。 詠い上げるようにユールが言う。 「一枚目のカードは運気をあらわす。 『花嫁』は未来の不確かと今の幸せを。 気を抜けばすぐに安心は崩れるから気をつけて」 花嫁のカードの三つ隣にあるカードを四方ともめくった。 右側は檻。 左側は天使。 上側は死神。 下側は天使。 「四方にひそむもの。 西側に吉があるみたいだね。 南からなにか助けがくるらしい。 北と東にはあまりいいことはないようだ」 「西…?というと、インテレディアか…?」 「延長戦上にファナティライストとクライディアがあるけど」 トレイズとギルビスがそれぞれ言った。 ラゼが眉を寄せる。 「まさか…ファナティライストって、敵じゃない」 「僕らが相手にしているのは国じゃない。たった一人の人間だよ。 神都に味方がいたっておかしくはない」 「もしかして巫子か?あとは十番目と六番目… …十番じゃないか?ロビの親父さんだろ」 「ああ、第十の巫子って"世界王"が代々引き継ぐんだっけ」 「…まあね」 珍しく渋い表情でロビは返した。 ピルがすっとんきょうな声を上げる。 「せっ…世界王が、お父さんって……まさか、世界王子様!?」 「あんまり言いふらさないでよ。そう知られたくないことなんだ」 「あ…ごめんなさい…」 素っ気なくロビは鼻を鳴らして、話を戻した。 「まあいいことに関してはどうでもいいよ。 北と東があまりよくないっていうのは…」 「北はシェイルディア?でも東はただの無国籍地帯で人は住んでないはずだけど」 「そこまで広い範囲とは限りませんよ。 ものによっては、それこそ隣の家だとか…あるいは隣の部屋だとか。 そういうこともあるんです。あくまで指しているのは方角。 距離までは細かく割り出せないんです」 ユールの指摘に、一同は顔を見合わせた。 「…お前達の隣部屋は?」 「わかんない、あいさつしてない」 「でも確か今まで話したこともない奴だよ」 「私はエピナの隣よ」 「うーん…短期間しか滞在しないつもりだったから、人付き合いなんて 大して必要ないと思ってたし…もっと情報収集すべきだったか」 トレイズが唸った。 「まあ、それは後回しだ。とにかく占いを続けてくれ」 ◆ それから順に四十数枚のカードをめくっていったが、 特に重要そうな事項はなかった。 「これで最後の一枚です」 最後にユールは、ひとつ残ったカードを裏返しにした。 それは、暗闇から伸びた片手の絵。 「詐欺師のカード」 ユールの顔から、もともと薄かった表情が消えた。 言われずとも、よくないカードであることがわかる。 「気をつけて、信じている人ほど、敵になって困るやつはいない」 ユールは、トレイズに「詐欺師のカード」を差し出した。 受け取る。 周囲で一同が不安げにトレイズを見ている。 ピルなどは青ざめて震える始末だ。 闇から伸びた手は青白く、 トレイズはその手に心臓をわしづかみにされるような底知れぬ重みを感じた。 |
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