48.裏腹の後悔
「チルタ!伏せろ!」

叫んで、そして、咄嗟に身体を床に貼り付けたチルタを見止めると、
ラファは全神経を銀時計に集中させた。

直後、トレイズの悲鳴が、響く。

「うああああああああああああああああああっ!!!!」
「っ!?な、なに…!?」
「チルタ!はやくこっちに!」

当惑するチルタとレナをよそに、
ラファはポケットから白いチョークを一本取り出すと、手早く魔方陣を描いた。
その間も、トレイズは頭を抱え、うずくまって涙ながらに叫んでいる。
「あ…ああっ、やめろっ、俺にこんなもの見せるな!!」
「レナ、チルタ、陣から出るなよ…」
「や、やめてくれ…もうやめる、やめるよ、グランセルドなんてやめるから!!」

血の雨の中で懇願する紅雨を無視して、ラファは唱えた。

「『我らを照らす天空の覇者よ!
今この地に恵みの光を与え我らを助けよ!

導け我らが望む地へ…転移(ワープ)!』」

燃え盛る屋敷に取り残されたのは、無力な殺人者の悲鳴だけだった。



「はあ…はあ…」
「ラファさん…大丈夫ですか?」
「ああ…、大丈夫、ちょっと、疲れただけ…」
二回連続の銀時計による魔術に加え、高度な転移呪文の使用で流石に魔力を使いすぎたらしい。
息切れを整えながら、チルタの返り血で真っ赤に染まった肩に手を置く。

「チルタ…」
「……ラファおにいちゃん…」

チルタの顔は酷い有様だった。
煤と血にまみれて頬は薄汚れていたし、涙で目元はてらてらと妙に光を帯びていた。
彼は情けない表情でこちらを見上げた。

「あいつ…あいつ、お父さんを斬ったんだ…」
「うん」
「お父さん、真っ赤になってて…だんだん冷たくなって、
血はとっても熱いのに、人形みたいに動かなくて、重くなって…」
「うん」

「……お父さん、死んじゃった」
「ごめん、チルタ、ごめんな」

思わず、ラファはチルタを抱きしめていた。
自分の所為だ。そう言ってやってもどうしようもないのはわかっていた。
自分のこの血が、チルタの家を襲った。
なんだ、自分だってのちのチルタと同罪じゃないか。

俺は、チルタの親を殺したんだ。

弱弱しくしゃくり上げながら泣くチルタ。レナもすんと鼻を鳴らした。

周囲に広がる、スラムの町並み。
薄汚れ、血にまみれたラファ達に、貧民達の奇異の視線が突き刺さる。
ここにも長居は出来ない。
ひとまずスラムを抜けて、レナをシエルテミナに帰して、
安全な場所に行こうとチルタたちを見下ろすと、背後から怒声がかかった。

「テメエェッ!!見つけたぞ!」

見ると、グランセルドが何人か、こちらをぎらぎらと睨んで追ってきていた。
手にはそれぞれの得物。
不吉な予感を察知して、ラファは子供二人の手を引いた。
「走れ!」
「逃がすかあァッ!!」
「よくも仲間をヒデエ目に遭わせやがって!」

後ろを盗み見る余裕はなかった。
ガシャッ、何かを構える音がする。
ぞわりと底知れぬ恐怖に全身の毛が逆立った。

「ヒッ、ヒャハハハハ!!喰らえェッ!!」

ダンッ!!

ラファが左手を握っている、レナの身体がふと重く感じた。
視線を走らせると、彼女の小さな体躯がのけぞって、
黒い目をまんまるに見開いて、髪をふわりと舞い上がらせて…
「レナ!!!!」
チルタが金切り声を上げた。

倒れこんだレナを抱え込んで、ぐるりと振り向く。
眼球が飛び出るほど大きく目を見開いて嘲笑うグランセルド。
その手には、黒い筒が煙を上げていた。
――魔弾銃。
すっかり見慣れてしまった、その武器。

ぶちり。
ラファの中で、何かが盛大な音を立てて、切れた。

この感覚は知っている。
この張り詰めた静寂。
静かな水面のような怒り。
とくん、波打って。

頭の奥深くで、巫子となったときに聴こえた青年の声が、
そっとラファを包み込むように響いた。


――…第二の赤の巫子の力は、"守る"こと…

…誰だよ、お前は

――幻術、守護陣…君の持つ力は刃を持たない

…うるさい、俺はあいつらを…!

――殺す?できるのかい?君に。ふふっ、

…うるさい!

――だって君は、

以前そうやって、チルタを殺せなかっただろう?



「うるさいうるさいうるさい!!!」

叫ばずにはいられなかった。
自分の力が"破壊の力"を持たないことを、これほどにも憎いと思ったことはない。

「こんな、小さな子を…!!」
責任転嫁だということくらい分かってる。
それでも、当り散らしたくてたまらなかった。
「一人守れずにいて、何が"世界を救う赤の巫子"だ!」

駆け出す。
突然わけのわからないことを叫ぶラファに、グランセルドが一瞬、怯んだ。
…お前ら全員、動かなくなってしまえ!!

その時、ぴたり、グランセルドは石にでもなったかのように、
訝しげな表情のままで硬直した。
…そういえば、初めてチルタと対峙したときも、同じことが起こった気がする。

しめた。
ラファは懐から護身用のダガーを取り出して、振り上げて――

「ラファおにいちゃん!!!!!」

チルタの悲痛な叫びに、ラファはばちりと目が覚めた。
――ほら、やっぱり君には殺せない。
くすり、優しげに青年の笑い声が響いた。



どうやってあのスラムから逃げ出したのか、よく覚えてはいない。
気づけばそこはシエルテミナ家の前で。
腕に抱えたレナの亡骸。
どうしたものかと一瞬迷ってから、ラファはシエルテミナの門をくぐろうとして、

「入っちゃ駄目だ」

前方から、声。
ラファは足を止めた。
見ると門の向こう側で、ルナが蒼白な顔色で立ち尽くしていた。
「ルナ…」
うよろけながら、門の鉄柵越しにレナに手を伸ばす、彼女の姉。
すべらかな頬を撫ぜた。彼女の美しい黒曜はもう見れない。

ルナは一瞬これでもかと顔をゆがめるが、すぐにラファを見て、硬い声音で言った。
「今すぐレナをここに置いて、逃げろ」
「なんだって!?」
「…ルナ、どういうこと?」

男二人が問うと、ルナが目を伏せた。
「どういうことだろうと何でもいいだろ、シエルテミナの敷地に入るな。
…お前達はレナに会わなかった。
自分達は命からがら屋敷から逃げ出して、
レナはお前達を心配して後を追ったけど、お前達とは行き違いになった。
レナの亡骸は、私がチルタの屋敷から連れてきた。
お前達はここへは来ていない。…いいか?」
「よくないよ!」
「そうだ、なんでこんなことになったのか…家族にちゃんと説明して…」
「駄目だ!」

ルナは今度こそ顔をぐしゃぐしゃに歪めてラファを見た。
…ラファの、瑠璃色の瞳を。

「…グランセルドの奴らを、チルタの屋敷に送ったのは…
依頼人は、シエルテミナ家だ」
「………え?」
「ラファ、お前をここに連れてきちゃいけなかった。
屋敷の奴が父さんに…ウチの当主に言ったんだ。
"ノルッセルがいる"って」
「!!」
「ど、どういうこと?」

チルタ一人が話についていけずにいたが、
ルナはちらと悲しげに彼を一瞥しただけで、再び口を開いた。

「シエルテミナは、不老不死一族には危険なんだ。
あいつら、お前を手に入れるためならなんでもする…
私の友達だからって言い訳はきかない。
もしここに入ったら、お前は…チルタと一緒に、さんざ利用されて、
最後には魔弾銃で殺されるだけだ」
「おい…待てよ、一体なにに利用されるっていうんだよ…」

ルナは、ラファよりも十近く年下のはずなのに、
その姿は畏怖すら感じるほどに威厳があった。
彼女はゆっくりと首を横に振り、話を戻した。

「さあ…はやくレナを置いて、逃げろ。チルタも一緒に」
「いやだ!レナをこのまま置いていくなんていやだよ!」
「チルタ…」

ルナは笑った。ひどく自虐的だった。

「レナは…チルタのそういう優しいところが好きだって、いつも言ってたよ」
「……!!」
「さあ、行け、ラファ!チルタを連れて」

ラファはしばし立ち尽くしていたが、
やがてゆっくりと、レナを地面に下ろし、横たわらせて、
チルタの手をしっかりと握った。

「ラファおにいちゃん、…やだ、やだ!僕、行きたくないよ!」
「行くんだ、チルタ。無事を祈ってる。…もう会うこともないと願ってるよ」
「ルナ…っ、いやだ!いやだあぁっ!!」
「行こう、チルタ」
「うっ…うわあああああああああああっ!!!」

最後には彼を抱き上げて林の奥めがけて走る。
小さな少年は、ラファの肩に顔をうずめて泣いた。
その姿を、ルナが悲しげな黒の瞳で見つめていたことも、知らずに。



チルタは泣きつかれて眠ってしまった。
クレイスフィーを抜け出して針葉樹林帯を駆け抜け、
ようやく見えてきた草原を歩くも、逃げるアテなどこの時代のどこにもない。
チルタを負ぶって歩けど、見えるのは少ない養分を奪い合いしなしなになった草ばかりで、
その道程は途方もないものに感じられた。

そういえば、この辺りだったか。
ゼルシャの森を抜けて、気絶したラファが目覚めた場所。
エリーニャを庇って腹を刺された。

あの時感じた疑問。
巫子が人々を助けるために存在しているのだとしたら、
巫子のことは、誰が助けてくれるのか。

そんなの決まっている。
ラファは足元の踏み潰した草を見て一人ごちた。

巫子が人々を救ってくれるだなんて方便に過ぎない。
誰も救えない巫子を、誰かが救ってくれるはずもない。

暗い夜空。ふと見上げていると、
背後からのんきな声がかかった。
「ん…?お前、こんな夜中にピクニックか?」

聞いたことのある声。ラファは弾かれたように振り返った。
ひとくくりにされた銀の髪。
釣り目気味の瑠璃色の瞳。

青年、レーチス・ノルッセルは、ラファの目を見て少々驚いてみせた。
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