53.崩壊の足音 |
|
黙りこくるラファとルナの沈黙。 その空気を突き破るかのように、陽気な声が響いた。 「あれ、ラファじゃないか。 奇遇だなあ。こんなところで何やってるんだ?」 彼はいつだって、助けが欲しいときに来てくれる。 それを彼自身が理解しているとは思えない。 だがレーチスは、頼もしい笑顔と共に駆けてきた。 「レーチス…」 「よお。…うん?そちらはシエルテミナのお嬢さん。 大層な人と知り合いになったもんだなあ、ラファ。 流石は俺の息子の息子だ!」 「…失礼ながら、その家名はあまり口に出していただきたくはありません、 レーチス・ノルッセル卿」 「レーチス、彼女はルナ。チルタの幼馴染だよ」 ルナの肩が跳ね、恨がましげな視線を向けてくる。 彼女はチルタとの繋がりをあまり口に出したくないようだったが、 それでも、今のルナには、こういう紹介が一番合っている気がした。 するとレーチスは眼を丸くしてルナを見た。 「へえ。そりゃ、ウチの不肖の息子が世話になってるな」 「…どうも」 「あ、怒るなよ、ラファ。チルタが"ああ"なるように育てたつもりは俺にもないからな。 俺は手塩をかけて大事に大事に育てたんだ! 素直でいい子だろ?子育てが苦手な俺にしちゃ、上出来だと思わないか?」 「親馬鹿はどうでもいいよ、レーチス、巫子のことで話したいことがあるんだ」 「…長い話になりそうだな。 どこか落ち着ける場所を探そうぜ。立ち話もなんだしさ」 ◆ そう言うレーチスに連れてこられたのは、小さな宿屋のレストランだった。 こじんまりとした雰囲気の静かな店内には古っぽいメロディが流れていて、 それは少し焦りだしていたラファの心を、ゆっくりと鎮めていった。 「ここ、前にエルと一緒に来たんだ。 えーと…2、3年前だったかな。いい店だろ?」 「ああ。…それで、レーチス」 「分かってるよ、チルタに世界の破滅をあきらめさせるためにはどうしたらいいか、だろ?」 ラファは思わず口をつぐんだ。 まったく、彼にはなんでもお見通しというわけか。 レーチスはからから笑った。 「そんなもん、無理だろ!」 「…!そんな簡単に言わないでください!」 激昂するルナに、レーチスは肩をすくめてみせた。 「無理だよ。あいつがレナちゃんの死を受け入れるか、 それこそレナちゃんが生き返りでもしない限りはな」 「…!」 レーチスのその台詞は、なにか含みがあるように聞こえた。 ルナの顔が歪む。 二人の間に、眼に見えない火花が散った。 「お、おい二人とも…」 「まあ、落ち着こうぜ、ルナ。 まずは問おう、ラファもだ。 ……二人は、チルタを殺してまで、世界を守りたいか?」 「いいえ」 ルナは即答した。当然の返答だった。 だが、ラファはしばし迷った。 「…俺は、別に世界を守るために、 チルタを殺すべきだって考えたことは一度もないよ」 「へえ?」 面白がるようなレーチスの声。 ぴきっ…頭の中のどこかに、不自然な亀裂が入った。 「なんていえばいいのかな… 確かに巫子になったときは、ひたすら自分とマユキを守らなきゃ、とか… そんな"守る"ことばっかり考えてたけど」 その"どこか"の亀裂はどんどんと深くなる。 まるで自分の一部が壊れてしまうような。 だけど何かに背を押されるように、ラファは言い切った。 「"守る"とか、そんな大それた建前はいらなかったんだ。 俺はただ、自分が生きたくて、 チルタにもこの世界で生きて欲しくて、 いつかはチルタとの約束を果たしたいって、 一緒に世界中を旅して回りたいって、 ぱりん。 小さな小さな、ラファの中に潜む硝子細工が、かすかな音を立てて、壊れた。 「…………そうか」 レーチスは満足げに笑った。 「流石は俺の息子の息子。いい答えを見つけたな」 「いや…って、そんな、俺のことはどうでもいいんだ。 それよりもレーチスの話を、」 「そこにいる男が、 あなたの望みの答えを与えてくれると思ったら大間違いですよ、ラファ様」 どきり。心臓が大きな音を立てるのと、 レストランの扉が開かれるのとはほぼ同時だった。 入ってきたのは、男物の旅装の少年…否、少女。 銀髪に瑠璃の瞳。エルミだった。 だが、彼女に声をかける前に、 ラファは頭を金棒でぶん殴られたような衝撃と共に固まった。 エルミは一人ではなかった。 次に現れたのはレイン、彼も動きやすそうな旅装束に身を包んでいた。 そして二人は扉を開けたまま立ち止まり、残りの人間を中へと促した。 前から、トレイズ、ロビ、ラゼ、そして…マユキ。 「よお、エル。久しぶり」 「レーチス、お久しぶりです。ラファ様もご無事で何よりです」 「れ…レーチス!?」 マユキが眼を丸くした。 …そういえば、なぜか幻覚をかけていたはずの彼女の髪が紅くなっていた。 過去に渡っていたせいで効果が切れたのだろうか。 彼女はこちらに駆け寄ってきて、レーチスとラファ、 そしてルナを見回して、最後にラファを見る。 「ラファ!心配してたんだよ? いきなりラトメからいなくなっちゃって、どうしてファナティライストに? なんでレーチス…さん?と、一緒にいるの? それに、その人…そのマント、み、巫子狩り!?」 「マユキ、落ち着けよ。ちゃんと説明するから」 マユキは厳しい顔でルナを見たが、 彼女のほうはマユキなど見てはいなかった。 まっすぐに、愕然と頬の筋肉を突っ張らせて、ラゼを見ていた。 「ラゼ…」 「る、ルナ、なんで…」 ラゼが言い終える前に、ルナが盛大な音を立てて席を立った。 「…帰る」 「えっ!?おいルナ、待てよ、」 「世界王子がいらっしゃるのだから、 ファナティライストの中でも私がいなくても大丈夫でしょう。 私はチルタ様のところに戻るわ」 「だけど、」 ルナがフードを目深に被って、ラファを見下ろした。 黒いフードの隙間から彼女の黒い瞳がぎらりと光った。 「こんなところで言うのは誤解を生みそうだけど一応言っておくわ。 ……チルタの友達は、ラファ、あんた一人。それは間違いない。 でも、付き合いが長いのは私のほうよ。 あんたの気持ちは分かるけど、 私に同情してくれるなら譲って頂戴。 邪魔は、させない」 なんの、邪魔だろう? チルタの邪魔だとは思えなかった。 まるでルナ自身が意思を持って何かを画策しているようだった。 …それも、なにかろくでもないことを。 ルナはレーチスに目礼すると、 立ち尽くすトレイズたちを押しのけてレストランを出て行こうとした。 呆ける一行の中で、ラゼだけが叫ぶ。 「ルナ!」 「……まだ私の名前が呼べるのね、心底馬鹿なひと」 冷たい視線で、ラゼを射抜く。ラゼは震えた。 ルナは鼻を鳴らし、今度こそ立ち去っていった。 その背中は、やけに小さく見えた。 ラファはため息をついた。 「何考えてんだ、あいつは…」 「ラファ!ちゃんと説明してよ、どういうことなの?」 「マユキ、少し落ち着けよ。…ラゼも。とりあえず座ろうぜ」 トレイズが、ここに来て初めて口を開いた。 ラファは思わず唇をかみ締めた。 …彼の眼を、正面から見られる自信がなかった。 「とにかく、よかった、ラファ。 急に行方不明になるもんだから心配したんだぞ」 心配。その単語に、再び胸がうずいた。 とすると、エルミは彼らに何も説明していないらしい。 うつむいたまま、ラファは席に着く面々に問うた。 「あれから…どうなった?ラトメは」 「何も代わってないよ。 フェル様…ううん、母さんは新しい"神の子"が見つかるまで、 牢に入ったままだっていう話だし、 だけど巫子としての務めは果たさなきゃいけないしって、 ひとまず第十の巫子であるシェーロラスディ世界王陛下にお会いしようって話に… そうしたらクルドが、ラトメがあんな状態だから、 ファナティライストとラトメの関係についても、 話し合わなきゃならないって言ってね、 エルミとレインも一緒に」 「本当に大変だったんですよ! エルディが自分も行くって駄々をこねて! エルミとトレイズさんがなだめて、どうにかラトメに置いてきたんです」 レインが胸を張って誇らしげに言うので、 思わずラファは上げまいとしていた顔をレインに向けてしまった。 「え…なんでエルディは置いてきたんだ?」 「エルディは事情に詳しくないんですよ、ラファ様。 エルミが過保護なもんだから何も説明してないんです。 …あ、ちなみに僕は全部エルミから聞いてますよ」 「え!?」 「あはは、何驚いてるんですかラファ様。 エルミって実はそんなに口が堅いほうじゃないんですよ。 …ああ、勿論あなたのこともお伺いしてます、 レーチス・ノルッセル卿。僕はレインといいます」 レーチスはしばし目を瞬かせ、それから笑った。 「へえ、じゃあエルが神護隊でやっていけてるのはキミのおかげってわけだ。 エルが世話になってるな」 「……失礼だけど、あんたは?」 トレイズが問うと、レーチスは肩をすくめてなんとなしに答えた。 「ああ、自己紹介がまだだったな。 俺はレーチス・ノルッセル。 まあ分かりやすく説明すると…"異分子"って言ったほうがいいか?」 「"異分子"って…第九の印を創った!?」 「冗談にもほどがあるね」 「残念ながら冗談ではないんだよ、 ロビ・シェーロラスディ・ファナティライスト王子殿下。 なんならキミのお父上に聞いてみるといい。 きっと食えない顔して笑うに違いない」 ロビのポーカーフェイスが瞬く間に怒りに染まった。 不機嫌丸出しの幼馴染の様子に嫌な予感を悟ったのか、 トレイズがあわてて話を戻した。 「そ、それで、ラファは? 今までどこで何をやってたのか教えてくれるよな?」 ラファは、ちらとエルミを見た。 彼女は穏やかな水面のように冷静だった。 「……過去に、行ってきた。 今から十年くらい前の、シェイルディアに」 「過去!?ラファ、それ本当?」 「なるほど、"過去夢の君"の能力ってわけだ」 「ああ。…そこで、過去のチルタと一緒に、暮らしてた」 一瞬ざわめいた席が、突如凍りついた。 ラファは深く頭を下げた。 「ごめん。 チルタが第九の巫子になったのは、俺のせいだ」 | |
BACK TOP NEXT |