54.潜在する産声
「お、おい、何言ってんだ、ラファ?」
「トレイズ。
グランセルドで、シエルテミナから依頼を受けたこと、なかったか?
"ノルッセルの眼"をもってこいって」

まっすぐに、トレイズを見た。
トレイズは記憶を手繰るようにラファを見て、
そして……その表情から、笑みを拭い去った。

「おまえ、まさか、あのときの」
「チルタが"紅雨のトレイズ"を憎んでたのは、トレイズ。
あんたがチルタの家を襲って、家族を殺したからだ。
そして…その原因を作ったのは、俺だ」

当惑した仲間たちの表情。
すると、眉をひそめたままロビが口を開いた。

「つまり、こういうことかい?
ラファは過去のチルタの元へ行って、
そしてどこかでノルッセルであることがばれた。
ノルッセルの瑠璃の眼は貴重だから狙われる。
それでグランセルドがチルタの家を襲って、チルタは家族を失った」
「ああ。…あいつの人生をめちゃめちゃにしたのは俺だ。
殺すなら、俺を殺せ」
「ラファ!そんなこと言わないで!」

マユキが大声で抗議した。
「チルタはラファのお父さんやお母さんや…リィナだって!
ラファにはあの人を庇う理由なんてないでしょう!」
「約束したんだ」
ラファは微笑んだ。
無性に、笑いたくなった。
あの約束を思い出すと、どこか胸の奥が暖かくなるのだから不思議だ。

「チルタや、ルナと、一緒に行こうって、約束した。
…もう、俺はあいつらを裏切りたくないんだ」

言葉が足りないが、これでいいんだ。
余計なことを言って彼女らを惑わすことはない。
目を伏せて、ラファはマユキたちからの怒声を待った。
……しかし。

「ねえ、ラファ。教えて。
チルタやルナはどうして、世界を壊そうとするの?」

沈黙を破り、水面に落ちた一滴の雫のような声を上げたのは、
今まで放心したように全く口を開かなかったラゼだった。
その瞳はひどくまっさらだった。
嘘もなく、真実もなく、善もなく悪もなかった。
いっそ空虚と言ったほうが正しいかもしれないその視線は、
ゼルシャの牢獄で初めて彼女と出会ったときと同じ光をまとっていた。
と、マユキが彼女をとがめた。

「ラゼ!あなた…」
「ねえ、お願いラファ。
私、彼らのことが知りたいわ。
彼らの過去を見てきた、他でもないあなたに。
…私、ルナにはああ言われたし、ルナには騙されてたんだって分かってる。
でもね、私、ルナとまだ友達なんだって、そう思ってる。
友達のこと、私、ちゃんと知りたいわ」

マユキは困惑していたようだったが、
他の面々はどこか感心したようにラゼを見ていた。
レーチスに至っては、口笛まで吹いている。

「へえ。なかなか見所のあるお嬢さんが仲間にいるんだな。
おいラファ、話してやれよ」
「だけど…」
「いいんじゃない?僕も聞きたいね。
どっちみち奴を殺すのはもう無理なんだし、
それならラファの情報はきっと役に立つよ」
「ロビ…」

それでもトレイズとマユキの表情は浮かないままだったが、
ラファは意を決して話すことを決めた。
…頭の中で、レナの笑い声が、儚く響いていた。



「なるほど、ね…」
「じゃあチルタは、そのレナって子を生き返らせるために、
第九の巫子になったのね…」

ラゼは眉尻を下げた。
ロビは気が抜けたとばかりに伸びをしながら気楽に言った。
「結局のところ、利己的なのはお互い様ってわけだ!
片や愛のために世界を壊そうと目論んで、
片や平穏のために世界を守ろうとしているってことかい。
あのぼーっとした顔で何考えてんのかと思ったら、
あはは!奴にも色々思うところがあったみたいだね」
「ロビ!笑い事じゃないよ!」

マユキはむっつりしていた。
だが、それをトレイズが制す。

「マユキ、お前、もしラファが誰かに殺されたら、どう思う?」
「…そんなの、わかんないよ。
だけど私、…チルタの考え方、わかんない。
おかしいよ、死んじゃってもういない人のほうが、世界より大事なの?」
「そりゃ、俺には耳の痛い話だな」

レーチスが苦笑した。見るとエルミも笑っている。
「僕もどちらかといえばマユキ様に賛成ですね。
世界の理というのは人間ごときが個人のために操れるほど容易くはない」
「でも、もう賛成とか反対とか言ってられないんですよね…
チルタに世界の破滅をあきらめさせる、
引いてはレナさんを生き返らせることを諦めさせることでしか、
巫子の役目を果たす方法はないんでしょう?」
「…ああ」

レインの台詞に、口ごもるラファ。
ギルビスには、「止められるのは君だけだ」とまで言われた。
だが、諦めさせると言ってもどうすればいいのか分からない。
自分に、その資格があるのかどうかすら。
すると、レーチスが首をかしげた。

「…なんだよ、ラファ。気づいてなかったのか?
お前、もう巫子じゃないんだぞ」

「………え?」
巫子じゃ、ない?
何を言ってるんだ、彼は。
「馬鹿言うなよ、俺、だってずっと巫子の力を使って、
マユキの髪だって、」

そこまで言って、気づいた。
マユキの髪が、紅い。
自分に、幻術を解いた記憶はないのに。
マユキは紅い髪をつまみあげた。

「これ?これ…この店に入る直前に気づいたの。ロビが言ってくれて…」
「嘘だろ!?」

ラファは両手を握りしめ、念じた。…第二の赤い印よ!
だが、あの骨を焼くような熱は浮き上がることなく。
そしてマユキの髪はいつまでも血色に染まったままだった。
問いただすようにレーチスを見ると、彼はにやにやと笑った。

「自分で言ったんじゃないか。
"守る"とかいう建前はいらないって」
「は…」

ギルビスが言っていた。
赤い印の発動源は、巫子自身の"思い"だと。
その思いが消えれば、巫子の力は失せるのだと。
そして、第二の巫子の条件は…

"守る"こと。

「だけど!チルタは世界を壊すのがこわいって言ったのに、
"印"は消えてないぞ!?」 「"こわい"程度じゃまだだめなんだよ。
"やりたくない"って、"やらない"って、心の底から思わなきゃ。
…まあ、今更ラファがどうこう言っても、
もしかするともう片がついてるかもしれないな」
「!?」 「どういうことだ?」

トレイズが問う。レーチスはにやと人の悪い笑みを浮かべた。
「ルナがもう行動を起こしてるってことさ」

世界の破滅。
それを止めるためにはどうすればいいか。
チルタが諦めるにはどうすればいいか。
レナの死を受け入れるか。
レナが、生き返る、か?

「まさか」
ラファは気づいた。
ルナは言った。「邪魔はさせない」と。
そうだ、あるじゃないか。彼女にしかできない方法。
巫子でなくてもできる、だけどルナにしかできない簡単な方法が。
レナを、生き返らせれば、

「あの馬鹿!」
「ラファ!?」

席を立ち、レストランの外へと駆けていくラファ。
わけが分からずに呆ける面々の中で、
エルミリカとレーチスだけが冷静だった。

「……相変わらず、最低ですね、レーチス」
レーチスはいっそ嬉しそうに、笑みを深めるばかりだった。



ファナティライスト神殿の一角、
その少女は静かにたたずんでいた。
ストレートの髪をまっすぐに背中まで垂らして、
なめらかな生地でできた、金糸の刺繍が入った白い女物の衣装をきちんと着こなして。
黒髪に黒曜の瞳の少女。
彼女は麗しきファナティライスト神殿の庭の中で、
静かに、静かに、穏やかに、天使のように、
ひとり、たたずんでいた。

そこへやってくる影が、ひとつ。
黒衣を身にまとったチルタ。
書類を小脇に抱え、廊下を歩き、
ひとつため息をつき、ふと顔を上げて、

少女を、見る。

その穏やかな雰囲気に、惑わされる。
まさか。
まさか。
まさかまさかまさかまさか、まさか。

「レナ?」

少女はゆっくりと立ち上がり、振り返って、
チルタを見て、微笑んだ。

ぱきん。どこかで、硝子細工が壊れる、音。
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