01.幕開け
多分、今なら分かる。俺は信じたくなかっただけなんだって。
俺たちにはいつまでも「永遠」があって、
それはきっと幸せで儚くて、だけど心の奥に根ざした確かなもので。
崩れるはずはない。
俺と、レインと、ルナ。三人一緒に過ごした日々は、
決して嘘じゃないんだって、俺は、真実を信じたくなかっただけなんだって、分かる。



「バカッ、ラファの馬鹿馬鹿馬鹿!」
「うるせえなあ…そう馬鹿馬鹿連呼すんなよ」

夕方のレクセディアを、その瑠璃色の瞳の少年ラファは、
親友レインやルナと共に並んで歩いていた。
メインストリートにはずらりと露店が並び、
さまざまな品物を売っているのは皆レクセの学生だった。
この都市が「子供の国」と言われる所以は、
学生たちが一般階層の人々の中心となっていることにある。

そんなにぎわうストリートを曲がるなりいきり立ったレインに、
ラファは半眼で返した。
ラファの瑠璃色の瞳と、レインの蜜柑色の瞳がかち合う。
にらみ合う二人に我関せずを貫き通す、ラファの左隣で暢気にアイスキャンディーを頬張るルナは、
特典つきの当たり棒を期待して木片に目を凝らすが、
そこに何も書かれていないことを見てそばの公共屑籠に投げ捨てた。
からん、空っぽの籠を跳ね回る木片の音を皮切りに、
ラファとレインは互いのシャツの胸倉をつかみ合った。
レクセディア・ルイシルヴァ学園の四回生である証、
青いネクタイがだらりと垂れ下がる。

「うるさいっ、ラファの馬鹿!」
「んだとこの阿呆レイン!」
「やめろよてめえら。俺をあんまり退屈にするな」

鶴の一声。ラファからしてみればただの女顔、
されどクラスの女共にとっては学園きっての美男子ルナの黒曜の流し目で、
ラファとレインはシャツを握り締めあったまま硬直した。
ルナという奴は世にも珍しい黒髪に黒目も、白くてきめ細かい肌に刻み込まれた端整な顔立ちも、
勿論すらりと長い脚も(だがしかし奴は身長が低い。彼よりは身長が高いのがラファの自慢だ)
周囲の視線を思いのままに集めてみせるのだが、
しかし口を開けば言葉遣いは粗暴だし、口より先に手が出るタイプだ。
つまり、かなり暴力的な奴なのだ。
ラファとレインはこの男にいつまで経っても彼女が出来ないのは、
ひとえにその性格ゆえだと踏んでいる。

そのためラファとレインはこの暴力男ルナの(畜生、女みたいな名前しやがって!…とは勿論言えない)
喧嘩両成敗を恐れてひとまずは互いのシャツから手を離して距離をとった。
だがレインは諦めたわけではないらしい、
まっすぐに指をこちらに突きつけて、ルナに言う。
「だってルナ、ラファってば、二年間も片思いしてた一個下の学年のエピナちゃん、
一言でバッサリ振っちゃったんだよ!?ありえないでしょ!」
「別に俺がどう振ろうと勝手だろ!」
「いいや駄目だね!君はもうちょっと女の子の扱いってものを…」
「女の子の扱い、ねえ」

ルナは相も変わらず退屈そうに繰り返した。
見えてきた廃墟のてっぺんを眺めながら、心底つまらない表情でぼやいた。
「そうだなあ、確かにラファは女心ってモンを分かってねえよなあ」
「そういうルナだってわからねえだろ」
「あっはっは、俺?俺はいいの。一生分からなくていいから」
「…ルナも、そんなだからカッコイイのにモテないんだよ」

世話焼きレインはおずおずと言う。
しかしルナはひとつ嘲笑すると廃墟の窓からするりと中へと滑り込んだ。
「別にモテたくねえし。
残念な話だが俺に彼女なんて必要ないんだよ」

そう言う姿もまた夕陽に照らされて美しく気高く見えるのだから、
つくづく世界というものは不公平である。
ラファは嘆息して、彼もまた屋敷の中へ飛び込んだ。



その屋敷は、レクセディアのはずれにある。
屋根の緑色は雨風にさらされてくすんでいたし、壁はところどころ崩れ落ちている。
草花は主がいないのをいいことにぐんぐんと伸びはびこって、
見るからに幽霊屋敷、というような大きな館の雰囲気を更に際立たせていた。

名づけて、「無人廃墟の館」。

ルイシルヴァ学園の生徒達の中で駆け巡る噂は、
所謂ありがちな幽霊スポットと似たり寄ったりなものばかり。
ラファであれば一笑して次の瞬間には忘れてしまうところだが、
しかしその話を最初に聞きつけたレインは嬉々としてラファ達のところへやって来て、
「ここを僕らの秘密基地にしようよ!」と、
罰当たりにもほどがある台詞を吐いたのが発端だった。

大概の好奇心旺盛な生徒はすでにこの館に出入りして、肝試し気分は満喫したとのこと。
丁度学校の教師も、親も、寮監も目の届かないような場所が欲しいと思っていたところに、
レインのこの思いつきはまさに棚から牡丹餅。
早速今日、ラファ達はこの屋敷に門限ギリギリまでお邪魔することに相成ったのだった。

「へえ…こりゃ確かに"いかにも"って感じだな」

わくわくと高揚感溢れるルナの台詞にはラファも同感だった。
ラファは幽霊なんて信じちゃいない。勿論ルナもレインも同じだろう。
それでもその荒れ果てた部屋内を見れば笑いのひとつも浮かんでくる。
箪笥や椅子は倒れているし、床は埃まみれ。
天井近くにはくもの巣のヴェールがかかり、
廊下へと続く扉は、金具が片方外れて不安定に半開きになっていた。

レインが後ろから部屋に入ると、ふわりと埃が舞い上がった。
「…秘密基地の前に、これは掃除だね」
「いいんじゃね?汚ぇままで。
そっちの方が秘密基地っぽくていいじゃん」

幼少の時分はラトメ南部にある孤児集落で清潔の欠片もない生活をしていたはずのレインは、
実は三人組の中では一番の潔癖症である。
これは彼が相当のフェミニストであることにも影響しているのだが、
どうやら孤児集落に貴族下りの女の子がやって来て、
その子に出来る限り不便をかけさせないようにと努力していたら、
いつの間にかこんなことになっていたらしい。
ラファが思うにその女の子というのは居丈高で我侭な、没落した貴族の小娘に違いない。
しかしことあるごとに夢見る口調でその少女のことを振り返るレインには、
いくらラファでもそんなことを口にしようとは思えなかった。

すると、ルナがうきうきとこちらを振り返った。
「なあ、どうせだから幽霊様のお顔も拝んでやろうぜ。
レイン、その幽霊ってのはどこに出るんだ?」
「はあ?どうせガセだろ。幽霊なんているわけないじゃん」
「いいだろ!ガセならガセで。
もしも誰かのヤラセだったとしたらその犯人とっ捕まえてやればいいんだよ」

ルナはやる気満々だ。レインも同じ気持ちらしい。
聞きつけた情報を朗々と語り上げる。
「一階の居間。ここの向かいの部屋だったかな。
日没ちょうどに出るんだって」
「ふうん、日没ね…」

ラファは窓の外を振り返った。
西向きの窓から名残惜しく輝くオレンジの光がいっぱいに入ってくる。

「あと十分くらいじゃない?」
「よし、じゃあそれまで、」

城の探検だ!とでも言おうとしたのだろうルナが不意に言葉を切った。
左右対称かと見まがう吊り気味の目をぐっと細めて、
さらさらの黒髪をふわりと靡かせて、勢いよく半開きの扉の向こうを振り返る。
レインが眉をひそめた。
「…ルナ?」
「しっ」

細い人差し指を血色のいい唇に立ててルナは制した。
そして声を出来る限り低くして尋ねてきた。
「…なにか聞こえる」
「はあ?」

ラファがルナの悪ふざけを止めようと一歩前へ出たときだ。
突然感じた、ぞわり、とした冷気に、ラファはぶるりと背筋が震えた。
…なん、だ?

………………………くす、

そうそれは、鈴のような。

くす、くすくす。

あどけない少女の、笑い声。
気味が悪いほどに、美しい、恐ろしさすら感じる、声。

「誰だ!!」

ルナが叫んで、半開きの扉を盛大に蹴破ると、声の出所らしい向かいの居間へと向かっていった。
向かいの、居間。
ラファは思わず不安になって振り返った。
レインも同じらしかった。二人して窓の外を見る。

まだ、陽は沈んでいない。

急激に脚に力が戻ってきた。
そうだ、やっぱり幽霊なんているわけがない!
レインと顔を見合わせると、二人はルナを追って居間へ飛び込んだ。

「ルナ!」

ルナの背中は呆然と立ち尽くしているようだった。
いつも余裕で、学園の暴君だったルナが、
まるで恐怖にも似た表情で部屋の奥を凝視しているのが分かって、
ラファはその状況に面食らった。

「る、ルナ…?」
ルナは答えなかった。
震えているようにも見えた。
ラファはルナの視線を追った。
中央に置かれた、赤い革張りの、二人がけのソファ。
その右側に、一人の少女が、ひどく楽しげにラファ達を眺めて腰掛けていた。

栗毛の長くて多い髪は二つにくくられている。
きっと癖っ毛なのだ、盛り上がった髪の上部をカチューシャで留めている。
こちらを見て楽しげに細めた瞳は若葉色だ。
純白のワンピースは、血のように真っ赤なソファに妙に映えていた。
肘掛に置かれた細い左手は、赤い花を指先で摘んでいる。
そして、少女だけではない。
彼女の隣の、もう一人分のスペースには、
まるで少女が誰かのために確保しているように、
透き通るように美しい白銀の長剣が、真っ直ぐに突き刺さっていたのだ。

「だ、誰…?」
レインが震える声でつぶやいた。
そう、この少女の笑顔は妙にこちらを不安にさせた。
笑顔そのものが何か不可思議な力でも持っているかのように。

少女は答える代わりに、弾むような声で明るく少女は言った。
「こんにちは!それとも、こんばんは、かなあ?」

まるで、道行く知人に挨拶するような口調だ。
ラファはそのとき、完全にその華奢な少女一人に気おされていた。
…気づいた。少女の若葉色の視線は、真っ直ぐにラファに固定されていたことに。

「うふふ、やっと会えたね、愛しい人」
「…は?」

ルナとレインも、少女がラファだけを見ていることを知って、
戸惑ったようにこちらを見てくる。知り合いなのか、と。
勿論そんなはずはない。こんな怪しげな少女、会ったこともなければ見たこともない。
けれど少女はまるで古い友人に接するような口調で続けた。

「麗しの邸宅へようこそ!愛しい人」

ずぼ、と音を立てて少女は美しい剣を抜いた。
無造作に握られたその手ですら恐ろしいと感じた。

こいつは誰だ。

「ねえ、貴方のためにこの席を空けておいたのよ。
だって私の右隣はいつも貴方の場所だったものね?」

こいつは誰だ。

「うふふっ、さあどうぞ、ちょっと穴が開いちゃったけど、
昔から貴方はそんなこと気にしなかったんだから平気よね?」

こいつ、こいつは誰だ!?

「アンタは誰だ!?俺はアンタなんて知らない!」
「………?」

なけなしの勇気を振り絞って叫んでやると、少女はこてんと首をかしげた。
若葉の瞳をまんまるに見開いている。
ラファが何を言っているのか理解しかねる、といった顔だった。

「…忘れちゃったの?」
「何も忘れちゃいないよ、人違いだ。
アンタが誰だか俺は知らないし、まして知り合いのはずはない」
「そ、そうだよ!君は誰なの?」

レインも便乗して声を上げる。
ふらり、少女の視線が一瞬だけレインに逸れたが、
少女は不愉快そうに口元をひん曲げただけで何も言わなかった。
ルナはただ立ち尽くすばかりだ。
いつも真っ先に行動する彼にしてはらしくない挙動だった。

少女は困ったように眉根を寄せて儚くつぶやいた。
「ふうん、そう。忘れちゃった、忘れちゃったんだ」
「だから…!」
「じゃあ、貴方は今、自分が誰なのかもわからないのね」

絶句した。
なんなんだこの女は!

「ふざけるな!俺は俺だ!変なこと言って…」
「やめろ、ラファ」

衝動的に少女につかみかかろうとしたラファを押しとどめたのは、ルナだった。
彼は左腕をまっすぐに伸ばしてラファの行く手を阻んでいる。
それは少女への配慮というより、ラファへの心配という風に取れた。
…いったいさっきからルナはなんなんだ。この少女を知っているのか?

すると若葉色の瞳の少女はくすりと微笑んだ。
戸惑うラファが心底面白いようだ、嫌な女だ!
「そっかあ、忘れちゃったんだあ!」

それすらも、何かの冗談を喜ぶ様子で。
「そうか、そうか。それじゃあ思い出させてあげなきゃいけないね?」
「何も俺には思い出すことなんかねえよっ!」
「そう?本当にそう思う?うふふ、そう思うなら、辿ってみなよ、過去夢の君。
その軌跡はきっと、貴方を奈落に突き落としちゃうよ」

辿る?過去夢?奈落?訳が分からない。
この電波女の戯言は聞き飽きた。
行こうぜ!叫んで踵を返そうとすると、
一瞬、ぐらりと足元が揺れた。

「!?」
「な、なに!?」
「…!おい!」

突然の揺れにバランスを崩して皆して尻餅をつく。
そう、そして、

尻餅をついたそのとき、ラファ達がいたのは、
もうすでに無人廃墟の館ではなかった。
TOP NEXT