24.シェイルディア
それからシェイルディア首都・クレイスフィーに入るまで、
とうとうマユキはラゼに一言も口を利かなかった。
平和主義のマユキにしては珍しい。
自分から人を嫌うことは決してしない奴だと思っていたが、
やはり人間である以上そうもいかないのだろう。

ラゼの方はといえば、なんとなく居心地が悪そうだった。
トレイズが気さくに話しかけているが、
まだ負い目を感じているらしく、どこかぎこちない。

これから先のことを思って、ラファはため息をついた。



軍事都市シェイルディア。
そのレンガ造りの町並みはセピア系の色合いで統一されており、
またとてもにぎやかだった。

ギルビスとラゼを宿の予約に行かせて、ラファはトレイズを見上げた。
「それで、巫子の居場所は分かってるのか?知り合いみたいだけど」
「ああ。これからクレイスフィー城に行くぞ」

そう言ってトレイズは、大通りの一番奥にある大きな城を指した。
…シェイルディアの王城、クレイスフィー城である。

マユキが不安そうに尋ねた。
「まさか…巫子って、王族とか…?」
「シェイル王室じゃねえよ。
ここの騎士団の団長をやってるんだ。
シェイル騎士団って知ってるか?」

しばし考えたのち、二人は首を縦に振った。
確か、シェイルディア王室お抱えの騎士団で、
年齢の関係なく実力のあるものを認めるのだとか。

その団長、ということは。
「そうか、トレイズはラトメディアの神護隊長だから、
立場の近い者同士知り合いにもなるよな。
神護隊と騎士団って、世界の二大治安部隊なんだろ?」
「いや、そういうのじゃなくて」

トレイズは、そして、苦笑した。
「そいつ、俺の幼馴染なんだ。
昔っからの腐れ縁」
「……え?」

幼馴染同士で、似たような地位に就き、その上巫子とは。
出来すぎた偶然もあるものだ。

そのことをラファが指摘しようとしたとき、
背後から誰かに声をかけられた。
「あのっ!」
「…?」

見ると、それはギルビスと同い年くらいに見えるエルフだった。
まだ子供。
エリーニャを思い出したのか、マユキの顔がわずかに歪む。
…インテレディアのときから、妙にエルフと縁がある気がする。

さらさらとした淡いブラウンの髪。
黒いワンピースに身を包み、
綺麗な翡翠色の目をいっぱいに開いてトレイズを見上げていた。

「あ、」
「トレイズ!トレイズじゃないですか!」

エルフの女の子はトレイズに駆け寄ると、
彼のマントの裾を掴んでにっこりと笑った。
「もしかして…ナエ?」
「はいっ!ナエです。お久しぶりですね、トレイズ!」

どうやら、トレイズの知り合いらしい。
疑問符を浮かべていると、トレイズが紹介してくれた。

「あ、ラファにマユキ。こいつはナエ。
これから行こうとしてた、第八の巫子の側近だよ」
「お初にお目にかかります、ナエです。
…ということは、あなた方は赤の巫子なのですね」

ナエは一礼すると、ラファとマユキに微笑みかけた。
…可憐、だった。

「おいナエ、ロビは?」
「また仕事を抜け出したらしくて…
多分、またスラムにでも行っているのでしょうから、
これからお迎えに行くところです。
トレイズは、ロビ様に会いに来たんですよね?」
「ああ」

ということは、その「ロビ」というのが、
今回会いに来た巫子のことなのだろうか。
「トレイズ達も来ますか?
ロビ様もきっとお喜びになりますよ」
「ああ…そりゃ喜ぶだろうよ、
第一声は"オモチャが帰って来た"だろうな」

重苦しい影を背負って言ったトレイズを、
しかしナエは笑い飛ばした。

「今日は久しぶりにロビ様の楽しそうなお顔が見れそうですね!」

はあ、と溜息をつくトレイズに、
事情を知らないラファとマユキは、顔を見合わせた。



ギルビスとナエが戻ってきてから、
ナエに連れられてやってきたのは、
暗く細い、悪臭の立ち込める地区だった。
身なりの悪い、薄汚れた服を身に纏った人々が、
地べたに座り込んで、少ないパンをひとかけらかじって今日を生き抜いている。

スラム。

そう呼ばれている、浮浪者の寄せ集めのその地区。
そこを、ナエは先頭を切ってずんずんと進んで行った。
濁った目が、幾対もナエに突き刺さる。

「ね、ねえ…こんなとこに入って、だ、大丈夫なの……?」

不安そうにラゼが尋ねる。
マユキもその意見には同感らしく、今回ばかりは嫌な顔をしなかった。
ナエは笑みを絶やさずに振り返って言った。

「はい、大丈夫です。
ただ、はぐれると大変なので、ちゃんとついてきてくださいね」

すると、彼女の背後に二人の男が立ち、
ナエの両肩を掴んだ。

「よお、ナエ。また来たのかァ?」
「ついでに俺達と遊んでってくれよ」

掠れた、下品な声。
しかしナエは臆することなく微笑んだ。

「お断りします。ロビ様を探す途中なので」
「チェッ、つれねえなァ」
「ま、こっちだってロビの奴の女に手ェ出すような度胸なんざねえさ」
「それは良かった」

子供らしからぬ大人びた笑みを浮かべて、
ナエは自分の頭四つ分背の高い男達を見上げた。
「よろしければ、
ロビ様の居場所をご存知でしたら教えていただけませんか?」
「四つ目の角でガキどもにパン配ってるよ。
見ろよこれ、パンを一個も食えるなんて三ヶ月振りだァ」

男は嬉しそうに、丸い、片手に収まる程度のパンを、
宝物のようにこちらに見せびらかした。
そしてラファ達に、
「お前ら、スラムの新入りか?
だとしたらロビとは仲良くしとくと得だぜ。
美味いモン食わしてくれるからなァ」
と言い、立ち去って行った。

するとナエがこちらへ頭を下げてきた。
「申し訳ありません。スラムの者がご迷惑を…」
「い、いや点」
「そのロビって奴、スラムの人間にパンなんて配ってるの?」

ギルビスの問いに、ナエは嬉しそうに頷いた。
「はい。スラムの方々は、今日の食事にも困る方ばかりですから。
街中から残飯を集めて。
下々の方々にもお優しい方なんです」

トレイズが彼に会いに行くのを妙に嫌がっていたから、どんな人間なのかと思えば。
そんなことをする地位の高い人間は、そうそういないだろう。
そう思ってトレイズを見ると、彼はずんと落ち込んでいた。
……何故?

「どうしたんだよトレイズ?」
「いや点とうとう会わなきゃいけないと思うと、
なんだか胃が痛くなってきてさ…」
「ロビさん、いい人だと思ったけど」
「位の低い奴とナエには、な。
でも他はてんで駄目。
人で遊んで楽しむような奴」

その上猫かぶりだ。
そう言ったトレイズの肩を、後ろから誰かが叩いた。

「心外だなあ」
心底おもしろそうな、けれど冷え切った印象を与える、明るい少年の声。
「人の陰口言うなんて。君がそんな人だとは思わなかったよ、トレイズ」

瞬間、トレイズの顔色が、さあと青くなった。
「出たあああああっ!!!」
「あら、ロビ様。用事はよろしいんですか?」
「ああナエ。来てくれたのかい?
…ほらトレイズ、人を幽霊みたいに言わないでよ。
僕傷ついちゃうよ?」

にこにこと笑った「ロビ」は、まだラファよりいくらか年下の…
十五、六歳くらいの少年だった。
黒い軍服に、白いマントをなびかせた、モスグリーンの髪の少年。
腰に長剣を吊っている。

ということは、彼が噂の「シェイル騎士団長」ということか。

まだほんの子供じゃないか。ラファ達は目を丸くした。
ロビはそんなことも気に留めず、
溢れんばかりの笑みでトレイズに詰め寄っている。

「君が遊びに来てくれるなんて嬉しいなあ。
なんの用だい?シェイルに住む気にでもなった?」
「そんなわけねえだろ!
何が悲しくてお前の近くに住まなきゃ…!」
「だろうね。まあ、城に来なよ。
お茶の一杯くらいは出してやってもいいよ」

そしてロビは、呆然とするラファ達に顔を向け、笑った。
「よかったら、そこの皆さんも一緒に、ね」
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