03.モール橋
一回のまばたきの間に、景色はまるで違ってしまっていた。
深緑の木々が穏やかな風に吹かれるのを、
ラファは妙に遠い目で見ていた。

「ここは…」
唯一冷静なエルディが、静かに答えた。
「ここはレクセディアとインテレディアの国境、モール橋です」

インテレディアとレクセディアは、大陸の東側に隣接している。

その国境は、内海から流れる大河ソーガラル川と、
川の脇に広がるセント・クロスの森の外側に沿って引かれていて、
だから川の中と森の中は完全な無国籍地帯のため、
そのあたりは治安が悪く犯罪が絶えないという。
ずっとレクセディアで育ち、国を出るつもりもなかったラファにとって、
縁の無い存在だと思っていたのに。

ラファ達が来たのは、セント・クロスの森の中でも、
モール橋のすぐ側らしい。
茂みの向こうに、広大な石造りの橋が見えた。
ファナティライストの兵と思われる黒い鎧の男達が、
一人の、これまた黒い神官服を着た少年を囲んでいる。

「チルタ様!どうやらレクセの学生はここを通っていないようです!」

チルタ、と呼ばれた鳶色の髪の少年は、
ふとその柔和な顔を背後の黒マント集団に向けて、
穏やかな口調で問うた。
黒マントの……巫子狩りに。

「紅雨のトレイズは、確かに仲間に、
モール橋で落ち合うように言ったんだよね?」
「はい。確かにそう言っておりました」
「ふーん…」
チルタは答えた巫子狩りから視線を外し、ふとこちらの茂みを見た。
……まるで、そこにいるのは分かってる、というように。

巫子狩りを振り返って、チルタは言った。
「…でも、"神の子"相手にケンカ売るにはまだ早いしね。
今日のところは撤退しようか」
「しかし!」
「紅雨がいるんだよ?結局今回も取り逃がしちゃったしね。
あの『万人殺しの紅雨』相手にこの兵力じゃあ負けは確定だね。
相手方には素人でも巫子が二人いるし」
「……」

巫子狩りは悔しげにうつむいた。
チルタは彼女(声からして、この巫子狩りは女だ)が
反論してこないのを見て取って、兵に向き直った。
「撤退だ!」



「……あいつ、俺達に気付いてたよな…」
「ですね。見逃してやったってとこですかね」
「今の子、私たちとそう変わらない年頃なのに
すごく偉い人みたいだったね」

マユキをちらと見て、エルディは返した。
「あれはファナティライストの神官の中で、
"世界王"のすぐ下に立つ"高等祭司"の一人、チルタです。
今高等祭司は二人しかいませんが、
チルタは軍事関係を全て牛耳ってるといいます」

いけすかない偽善者野郎ですよ。そう吐き捨てたエルディに、ラファは首を傾げた。
「会ったことあるのか?」
「ええ。トレイズさんに付き添って世界大会議の警備にあたった時に何度か。
あいつ、なんでか知らないけどトレイズさんのこと
目の仇にしてるんですよ」
「そういえば、トレイズのこと『紅雨』とかなんとか…」

するとマユキの台詞に、エルディは苦い顔をした。
しばらく黙り込み、言う。
「それ、トレイズさんにはあんまり言わないでくださいね」

なんで?と何も考えずにラファが尋ねると、
マユキから頭をはたかれた。
「なにすんだよ!」
「ラファの馬鹿、ほんとにデリカシーがないんだから!」
「全くですね」

エルディまで便乗してきた。
ようやく失言に気付いたラファは、しかしなおも言い返そうとした。
「お、お前ら…っ」
「ん?なんか仲良くなってんなお前達。
エルディが初対面にこんなに打ち解けるなんて初めてかもなあ」

背後に、先ほど別れたばかりの男が立っていた。
ちょっとの間、目の前の男が誰なのか考えて、
そして…

「「トレイズ!!」」
「おう、思ったより嬉しい歓迎だな。
出会い頭に一発ずつくらい殴られるんじゃないかって
トレイズさんヒヤヒヤしてたぜ」
その台詞にはっとして、ラファはそっぽを向いて口を尖らせた。
「べ…っ、別にそんなんじゃねえよ!
ただ、お前にはまだ色々聞かなきゃと思って…!」
「はいはいそれは橋を渡ってからなー。
エルディ、見張りの兵は?」

茂みの向こうを見ながらトレイズが質問すると、
エルディは首を横に振った。
「今さっき撤退しました。にしても早かったですね。
場合によっては夜中になると思ったのに」
「俺の実力をなめんなよ」

そういえばそうだ。
あの無人廃墟の館からここまで、
どんなに急いでも一、二時間は軽くかかるくらいの距離があるはずだ。
なのに、まだ転移してから二十分と少ししか経っていない。
ただでさえ巫子狩りと戦っている時間があったのに、
一体どんなスピードでここまで来たというのだ。

「トレイズは魔術師……じゃないわよね。
転移呪文で来たの?」
「いや、俺の場合はちょっと裏技があってな。
まあその辺は深く聞かないでくれよ」
さらりと流して、トレイズはラファ達に向き直った。

「…で、だ。できればこれからお前達にラトメまで
来てもらいたいんだが…いいかな?」
「いいわけあるかよ!俺たちは帰りたいんだ!
な、マユキ!」
「う、うん…」

マユキは赤くなった髪をいじくりながら困ったように眉を寄せた。
何か言い出せないことがあるとき、
いつもマユキは背中まであるその髪に触れる。

「……なに?」
「わ…私、行こうかな…」
「はあ!?」
居心地が悪そうにもじもじしながら、続ける。

「だ、だって、私、髪赤くなっちゃったし…
"手を取った"男の子も、『君は赤の巫子だ』とか、
そんなこと言ってたし……
レクセにいてまたあんなやつらが襲ってきたら、
私、ラファ達に迷惑かけちゃう…」
「そんなことないって!髪染めちゃえば誰にもわかんないさ!」
「そいつはどうかな」

トレイズが肩をすくめて見せた。
「"赤い印"は強力な魔力の象徴…ま、つまりそのまんま"印"だ。
マークがそうそう簡単に消えちゃ困るだろ?
それこそ巫子の絶対無敵の魔力でも使わなけりゃ、
その赤いのは消えねえよ」
「そんな…」
「ね?だから私は行くよ。
ラファは…なんかよくわかんないけど印もないみたいだし、
ルイシルヴァ学園に戻ってメアル先生に休暇届出しといてよ」
「出来るわけないだろ!?それなら俺も行ったほうがましだ!」

言ってから、気付いた。
……しまった。
ラファは深く溜息をついた。
その前で、トレイズがにやりとしてやったりな笑みを浮かべている。
自分は何もしていないくせに。

「言ったな?」
「……ああもう!わかったよ、行けばいいんだろ?」
「ラファ!」
マユキが声を上げるが、ラファは肩を落としこそしたが何も言わない。

「ねえ、ラファ。戻ったら絶対怒られるよ?」
「だな」
「学園の処罰がすっごくきついの、知ってるよね?」
「そりゃまあ腐るほど受けたからな」
「もしかしたら退学かも」
「だから、いいってば!ここまで来てマユキ一人ほっといていられるかよ!
俺も行くってば!」

マユキがおろおろしているのを尻目に、エルディが口を開いた。
「決まりですね」
「んじゃ行くか。さっさと橋渡ろうぜ」

さっさと行ってしまうトレイズとエルディ。
残された二人は顔を見合わせて、
諦めたようにもうひとつ溜息をついた。
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