04.ルシファの村
歩き始めて、早くも数時間。
ラファはしかし、自分にとっては途方もなく長かったその道のりに、
これまた早くもマユキについてきたことを後悔しはじめていた。

「まだ…着かない……の、か…?」

息も切れ切れに言うラファ。と、トレイズが振り返った。
彼はといえば、全く疲れていない様子で、ラファの数歩先を行っていた。
「お前…ちょっと運動したほうがいいぞ。
いくら学生だって」
「してるよ!選択科目は武道だよ!
長距離を歩かないだけだよ!」
「ラファは武道の才能ないもんねえ」

にこにこと笑いながら痛いところを突くマユキ。
それにまた先に進む気が失せたラファに、
手のひら大の小さな巾着袋が突き出された。
「エルディ」
「これ、飲むと少し疲れが取れますよ」
中を見ると、白い小さな錠剤が数十個、袋一杯に入っていた。
そういえばこれは、レクセの学生バザーによく出ていた気がする。
「ありがとな」
「いえ」

相変わらずの仏頂面で、エルディはさっさとトレイズの隣へと戻ってしまった。
…耳が赤い。
どうやら少し照れているようだ。
「大丈夫?ラファ」
「なんでマユキはそんなに元気なんだよ…!」
「だって私、レクセに来るまで旅暮らしだったもの。
それに武道の授業で成績いいの、ラファだって知ってるでしょ?」
「……………」

そうだった。ラファは悔しくなってマユキから視線を外した。
エルディからもらった錠剤はよく効いて、
飲み込むなり体中の気だるさや痛みが嘘のように消えうせたが、
そのときに感じた氷を流し込むような冷気が、
余計に自分を虚しく感じさせた。

前方から、トレイズが声を上げた。
「あとちょっとで中継点に着くからな。
それまでがんばれよ!」



どこが「ちょっと」だ!

結局ラファ達がルシファにたどり着いたのは、
もう真夜中も真夜中、辛うじて日付が変わる直前だった。

それまでにラファは七つの錠剤を浪費しており、
エルディに錠剤の冷気などよりもずっと冷え切った目で睨まれてしまった。
「わ、悪かったよエルディ…」
「これ、高かったんですからね。ラトメに着いたら買いなおして下さいね」
「ええっ!?」

ラファは絶望して声を上げるも、エルディは聞いちゃいなかった。
落胆して肩を落とすと、マユキが慰めるようにその背を叩いてきた。
「元気出してよ、ラファ。
エルディだって本気で言ってるわけじゃないよ」
「はは…だといいんだけどな」

トレイズは我関せずを決め込んで、
荷物を肩にかけなおすとラファ達を見て言った。
「宿取りに行こうぜ。疲れただろ?」
「ほんとだよ…」
「そういえば、なんで転移呪文を使って一気にラトメまで行かなかったの?
エルディはできるんでしょう?」

マユキが指摘すると、何故かトレイズの肩が大きく跳ねた。
妙に上ずった声で、彼は言った。
「い、いや!歩いていくのもいいだろ!?
運動不足も解消されて!」
「「……」」
かなり怪しかった。
エルディは事情を知っているのか、ひとつ溜息をついた。

「…とにかく、のんびりしてる暇はありませんよ。
明日も早いんですから」



やはり数時間歩き通したので体力が限界だったらしい。
ラファはベッドにもぐりこむなりすぐに深い眠りに沈み込んだ。
「……やっぱり全部説明してから連れてきたほうがよかったんじゃないですか?
これじゃ僕達、場合によっては誘拐犯ですよ」
「エルミやクルドならちゃんと説明できるんだろうけどな…
俺達じゃいらぬ誤解されるだけだろ。
なら、ラトメに着いてからあいつらかフェル様に頼めばいいさ」
「それは…そうですけど」

エルディは側で泥のように眠るラファを横目に見た。
控えめに、小声でトレイズに問う。
「にしても…あのラファ様、でしたっけ?
本当に"巫子"なんですか?
見たところ、"印"があるようには見えませんけど」
「俺が同族を見間違えるわけないさ」
エルディの疑問を、トレイズは一笑した。

「それに、万が一ラファが巫子じゃなかったとしても、
巫子の存在を知っちまった以上、巫子狩りに利用される可能性は十分あるんだ。
知ってるだろう?以前、巫子がファナティライスト兵につかまりそうになって、
巫子を守ってた暗殺者集団が全滅したこと」
「聞いてます」
「………レクセを、あれの二の舞にはさせたくねえのさ」

トレイズは窓の外を見た。この村の夜はひどく静かだった。

しばらくして、エルディが普段より幾分か優しい声で、
立ち上がり、言った。
「……もう寝ましょうか」
「だな」
そして、夜闇は更に深まっていく。



学生の朝は早い。
しかしそれにしても、今日は早く起きすぎてしまった。
マユキもトレイズもエルディもまだ寝ているようだし、
ラファは大きく伸びをして、ルシファの散策をすることにした。

朝の柔らかく冷えた空気が頬を撫ぜる。
まだ陽が昇る前で、少し暗い。
宿から出たラファは、澄んだ風を吸い込んで深呼吸をした。

レクセとは違う、レクセよりも優しく柔らかいそれに、
ラファは口元に弧を描いた。
…こういうのも、悪くないかもしれない。

「旅がいいものだとでも思っているのかい?」

見知らぬ、声。ラファは息を詰めて振り返った。
閉じられた宿屋の扉の前には、ラファ一人だけ。
しかし聞こえた声は確かに背後からのものだった。
一体どこから…
「こっちだよ」
「!」
見上げた宿屋の、赤い屋根の上。
そこにその少年は立っていた。
くすんだ茶髪は左半分だけ長く、三つ編みになっており、
瞳は温かいハニーブラウン。
黒い神官服を身にまとっており、胸元には銀の十字架。
ラファと同じくらいの少年は、感情の読めない視線をこちらへと向けていた。
…当然、知り合いではない。

「……誰だ?」
「今後君が関わることになるだろう者だよ」
全く持って訳がわからない。
早朝の爽やかな気分も忘れて、ラファは少年を睨み上げた。
しかし意に介した風もなく、少年はなおも言った。

「君はきっと、これから"哀しい物語"を紡ぐことになるだろう」
「…?」
「僕らの責任を君達に押し付けるのはすごくいけないことだけど…
それでも、僕は願うよ」

疑問符を浮かべるラファを見下ろし、少年はわずかに笑んだ。
「………どうか、第九の巫子を救ってやって」
それはそれは、泣き出してしまいそうな、顔で。

ラファは少年の顔に魅入った。
自分と同じくらいの年頃だろうに、
まるで彼は何十年も生きてきたかのように、深い瞳をしていた。
「お前……」
「僕は、レフィル」

少年はラファに背を向けた。
顔だけこちらに向けて、笑みを消し去って見下ろしてくる。
「また会うこともあるだろう。君らに幸がありますように」
「お、おい…」

ラファが止める間もなく、少年はどこかへと消え去ってしまった。



「どうしたのラファ?なんか機嫌悪いよ」
「今日もいっぱい歩くから嫌になってたんだろ?」
「軟弱ですね」
「違う!」

朝食を食べていざ出発、という時。
ルシファの入り口でラファは叫んだ。
正確には機嫌が悪いのではなくて、
先ほどの少年のことが気にかかって考え込んでいるだけだ。
黒服だったし、ファナティライストの神官ということもありえる。
まさか、マユキを狙って…?

「なあトレイズ、ルシファってラトメ領だったよな?」
「ああ」
「ラトメにも巫子狩りって来るのか?」

トレイズはきょとんとしてラファを見た。
そして、…どうやら巫子狩りのことを心配して不機嫌になっているのだと思ったらしい…
妙に暖かい笑みでトレイズは首を横に振った。
「"神の子"のいる土地にはそうそう入ってこれやしねえよ。
巫子狩りが入ってこれないように結界も張ってあるしな。
だからこれからは安全だよ」

……じゃあ、彼は巫子狩りではないのか。
一旦は安心したものの、それではレフィルは何者なのだろう?
受付の者に聞いても宿にそんな少年は泊まっていないというし、
探してみても村のどこにもいないし…

その時。

ドンッ!
「うわ、」
「きゃっ」

トレイズの背に、思い切り誰かがぶつかった。
肩にかかったオリーブグリーンの髪がはらりと舞う。
その少女は跳ね返って、後ろに尻餅をついた。
「いっ……つー…」

見るとまだ年下の少女だった。
地味な旅装束に身を包んだ彼女は、
とても愛らしい顔立ちをしていた。
エルディと並んだらまさに美男美女だろう。
珍しいオリーブグリーンの髪と瞳の少女は、
取り落とした分厚い黒い革表紙の本を、
慌てて大事そうに抱え込む。

トレイズが身をかがめて少女に手を伸ばした。
「ごめんな。大丈夫か?」
「あ…ああ、平気だ…」
少女はアルトの声でそう言って、トレイズの手を取り…
その立ち姿に息を呑んだ。
何故だか固まったように、彼の顔をまじまじと見る。
「……?おい?」
「……………るな……」
「?」

トレイズが心配そうに少女の顔を覗き込むと、
少女は弾かれたように立ち上がり、
トレイズの手を振り払って、後ずさった。
「さわるなっ!!ラトメの犬が!」
「……は、あ?」
「神護隊が…まさか、この本を奪いに来たのか!?
この本はお前達には渡さない…
この本はお兄様のものだ…
神の子なんかに渡させはしない!」

そう甲高い声で叫ぶと、少女はぎゅっと本を抱きしめて、
更に一歩二歩と後ろに下がった。
トレイズは首を傾げた。
「何のことだか分からないんだが…」
「とぼけるな!」
「……話がよく見えないんだけど、ふざけるのも大概にしなよ?
君の被害妄想は分かったけど、
これ以上トレイズさんとフェルマータ様を侮辱するようなら容赦しないよ?」

ついにエルディが一歩前に出て口を挟んだ。
冷たい瑠璃色の瞳が殺気だって少女を射抜く。
それに少女はぴくりと肩を震わせたが、
唇を引き結んでエルディを見やった。

「…やれるもんならやってみろ!」
「へえ…いい度胸だね。それじゃ遠慮なく…」
「エルディ、やめろって」

トレイズが冷や汗をたらしてエルディの肩を掴むと、
彼は舌打ちして構えていたダガーを収めた。
それを見届けると、愛想のいい顔でトレイズは少女に向き直った。

「ごめんな、嬢ちゃん。
別に俺達、君の本を取りに来たとかじゃないからさ。
今からここ出るところだし安心してくれよ」
「…」
「じゃ、兄さんを大切にな。…行こうぜ」

ちらちらと少女を気にしながら、
ラファとマユキもトレイズとエルディに続いて、ルシファを出て行った。
一人取り残された少女は、腕の中の本を見下ろして、ぽつりと呟いた。

「今の銀髪の…まさか、"あの一族"の末裔か…?」
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