11.決意 |
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エルミリカの背を見送って、ミフィリはラファに向き直るとにかりと笑った。 「さて、じゃあ僕らは大会議室に行こうか。 そろそろエルフのお偉方がしかめっ面して待ってる頃だよ」 「お、俺も!?」 「そうだよ当たり前だろ?君はクレイリスの右腕じゃないか」 さらりと言ってのけたミフィリの台詞に、ラファは彼をまじまじと見つめることで返した。 右腕。右。 『だって私の右隣はいつも貴方の場所だったものね?』 蘇る、クレイリスの台詞。 「なあ…ミフィリ」 ミフィリが見ているのが、エルミリカが見ていたのが、 もしかして彼らみんながラファに重ねている別の誰かだとしたら。 「俺って…誰だっけ?」 ここで聞いてみれば分かるはずだ。 聖女クレイリスが探す人間の正体が。 するとミフィリは冗談の続きか、とでも言いたげにまた笑って、 くすくす笑い声を混じらせながら君はね、と口を開いた。 「君はね、聖女の右腕で、」 「――私の大事な、剣だったのよ」 弾むような、声。 ラファは振り返った。 少女は相変わらず紅いソファに腰掛けていた。 背後の燃える夕焼けにその身をさらしながら。 楽しげにその若葉の瞳を細めて、じっとラファの瑠璃色を見ている。 気づけば正面にはミフィリはいない。 ラファはいつの間にか、無人廃墟の館に帰ってきていた。 「……お前!」 憤ってラファが叫ぶも、クレイリスはくすくすと笑うばかりだ。 「お帰り、愛しい人。 駄目だよ、安易に答えを尋ねたら。 だってこれはゲームじゃない! 貴方が自力で自分を見つけるまで、いつまでも続くゲーム。 簡単に教えてもらっちゃ、つまらないでしょ?」 「…ゲーム?」 不審に問うと、クレイリスは左手の紅い花を指先でいじりながら返した。 「どうせこれは夢。永遠に覚めない変わらない。 夢には夢を重ね、幸せな日々は何度でも繰り返し、 いずれ来る滅びを避け続けてる。 うふふ、わかる?貴方は私たちを思い出さない限り、 永遠に苛まれ続けなきゃならないの。 …"忘れた"ことへの、罰にね」 罰?なんの罰だっていうんだ。濡れ衣だ! だってラファは、生まれたときからラファでしかないというのに? 「でも、エルミリカは、俺が俺でいいんだって言った!」 「エル?エルならそう言うでしょう。 あの子はノルッセルには無条件で味方するんだから。 貴方が自分は自分だと主張する限り、エルはそれに従うしかない」 「…レフィルだって、俺は俺だって、そう言った」 「…本当にそう思う? うふふ、レフィルは優しいから言わないのよ。 貴方の拒絶が彼を苦しめてること」 「どういうことだ!」 大声で怒鳴っても、クレイリスは笑い声を上げるばかりだ。 ラファは苛々と地団太を踏んだ。 すると、クレイリスが考えてもみて、と歌うように言った。 「私たちは貴方を自分たちの愛しい人として見ているのに、 貴方はそれを覚えてないの。 私たちの愛はいつまでも通じないまま。 そんなのは悲しいでしょう?」 「…!」 でもそれは、ラファが本当に彼らの「愛しい人」と同一人物だったら、の話だ。 ラファにはこの十七年間欠如した記憶なんてものもなく、 生まれてから自分がラファであることになんの疑問も持たなかったのだから。 けれど、クレイリスのその言い様を聞くと、 どうしてもそれに疑問を感じずにはいられない。 …俺は本当に、俺なのか? しかしそのとき、ラファはエルミリカの言葉を思い出した。 ――心を強く持ってください。それがきっと、貴方の力になる。 「俺は、ラファだ。無印のラファ。 だからお前たちのことなんて知らないし、分からない」 「だから辿ってるんでしょう?貴方と、貴方を愛しく思う者達との軌跡を」 「俺は!最後まで、俺が俺だと信じてみせる!」 言い切ってやると、クレイリスはようやく笑みを吹き飛ばした。 つまらなそうに顔をしかめた。 ずっと楽しそうにしていた彼女の表情が、ようやく崩れた。 それに奇妙な満足感を覚えて、ラファはにやりと笑った。 「どうだよ、お前が、お前たちが何を言っても、 俺が自分が自分だと信じてる限り、お前たちは何もできないんだろ。 じゃあ俺はそうしてお前たちから自分を守ってやる。 お前たちが諦めるまで!」 「…生意気。さっさと認めちゃえばいいのに」 それはこっちの台詞だ、という言葉は内心に留めておく。 下手に大きな反応を返してクレイリスを喜ばせるのは勘弁したかった。 案の定、今までのようにいきり立つラファを見れなかった彼女は、 険悪な雰囲気で若葉色の瞳をついと逸らした。 「精々足掻けばいいわ。どうせ貴方は、最後にはここに戻ってくる」 「どうかな。俺は結構しぶといんだ」 「……戻ってくるわ。だってこれは私の夢だもの」 こちらを睨みつけるクレイリスの口調は確信に満ち満ちていた。 至極当たり前のことのように口にした単語に、 ラファは今までの優越感も吹き飛ばして彼女を見た。 「…なんだって?夢?」 「そうよ、これは夢。 現実が嫌になって逃げ出した、私の長い長い幸せな夢。 だから、最後には私の思うとおりの結末になる。だって、これは私の夢だもの!」 嘘をついている口調ではなかった。 馬鹿馬鹿しい。いよいよクレイリスの異様さが際立ってきた。 これが夢だとしたら、さしずめラファは彼女の夢の登場人物。 彼女が目覚めれば消えてしまう存在だとでも言うつもりか? ありえない。ラファにはこれまでの十七年間の記憶があり、 それがまさか人様の儚い夢の一幕でしかないなんて、嘘に決まっている。 けれど少なくともそれはクレイリスの中では真実だったようだ。 きっ、と見せ付けるように若葉をラファに睨み据えて、 両拳には白銀の剣と紅い花を握り締めて、 ソファの前で仁王立ちしたままラファに対抗していた。 聖女、なんて肩書きの似合わない、ただの少女だった。 「私の夢だから、貴方は絶対にあの人なの。 ここには悲しい物語なんてどこにもない!いらない! この世界じゃ何も、悲しいことなんて起こらなかったのよ! そう、起こらなかった!だから、貴方は戻ってきてくれたんでしょう!?」 ヒステリックにわめき続けるクレイリスの言葉は欠片も理解できなかった。 けれど彼女が、聖女と謳われた歴史の偉人が、 まるで欲しいものが与えられない子供のように駄々をこねていることだけは分かった。 そう、きっと彼女は望んでいる。 ラファが彼女の望む「あの人」であることを、望んでいる。 その人物とラファがどれだけ似ているのかは知らないが、 多分、少女が「これは夢だ」と思わせるほどにその人物と会える確立は無きに等しいもので、 そしてその夢に希望を賭けているのに違いない。 だが、ラファは譲るわけにはいかなかった。 …心を強く持て、ラファ。それはきっと俺の力になる。 「それでも、俺はあんたの探してる人間じゃない」 「…ッ」 「あんたの夢を覚まさせてやるよ。 これが夢じゃなくて現実だってことを認めさせてやる。 それで、俺が俺だって、認めさせてやる!」 「やめて!」 クレイリスが、左手の紅い花を、ラファの眼前に突きつけてきた。 僅か香るその花は、この世界で尊いとされる赤色を、 ひどく不気味にラファの視界にさらしていた。 「そうして貴方はいつだって彼女を選ぶ! 私は、絶対に貴方にだけは愛してもらえないのよ! 何をしたって、彼女を殺したって! これは私の夢なのに、だから貴方は私のものなのに! それなのに、貴方はやっぱり私を愛してはくれないの…?」 一体何を、とつぶやいたところで、目の前にもうクレイリスはいなかった。 はっとして辺りを見渡すと、背後から凛とした歌声が聞こえてきた。 振り返る。相変わらず白い階段に腰掛けたエルミリカ・ノルッセルは、 夜闇に溶けるような、清らかな声で、愛しい子をあやすように歌っていた。 「……戻ってきた…?」 「…それで、貴方は認めることができましたか?ラファ」 歌を中断してエルミリカは楽しげに問うてきた。 分かっている。彼女の笑みは、クレイリスを皮肉るものなのだと。 ラファは挑戦的にエルミリカを見上げた。 「自分が、自分だって」 「当然だ」 言い捨てた。誰が味方で誰が敵かは分からない。 たとえばこれが聖女のつかの間の夢に過ぎない世界だったとして、 その筋書きがどんなものかすら。 「俺はラファ。レクセディアの学生。それだけで十分だ」 「…はい」 エルミリカはにこりと笑った。 ラファと同じ瑠璃色の瞳は、もうこちらをラファとしか見ていなかった。 |
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