09.逃げ出した少年 |
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「おい、ラファ?どうしたんだお前」 なんと宿屋前で待っていてくれたルナ(いつもそういうのはレインの役目なのに)は、 倒れこまんばかりに真っ青なラファを見てその肩を支えた。 「別に…」 「別にってことはねえだろ。ホラ、さっさと寝ろ。 多分歩きすぎで疲れてんだよ。明日は朝寝坊していいから」 そういうことじゃないのはラファ自身が百も承知している。 しかしルナにそれを言うのは憚られた。 この状況で問えばきっと、ルナも自分のことを教えてくれる。 だけどそれに付随して、自分の知りたくないことまで分かるのは嫌だった。 …不老不死とか。 そうだとして、俺とルナが本当は仲良くなっちゃいけないと言われて。 生まれが友人を左右するのは間違っていると思うのだ。 無印。そう、俺は無印のラファ。それでいい。 不老不死なんて、忘れてしまえ。 ◆ ルナは部屋に入るなり支えていたラファの肩をどんと押してベッドに倒した。 今までは優しかったくせに、やはりこういうところは暴君である。 恨がましげにじとりと彼を見上げるも、 ルナの方は他意があったわけではないらしい。 備え付けのコップを取っていそいそと水道に向かっている。 痛む頭を二の腕で押さえて、ラファは視線だけで部屋を見回した。 「…レインと、チルタは?」 「ラファを探しに行ったよ。ま、十分経っても見当たらなかったら ここに合流することになってるから放っておけば戻ってくるだろ。 ほら飲めよ」 差し出された水を飲む。生ぬるい鉄臭い味が口内に広がった。 ルナは隣のベッドにばさりと寝転んで天井を見上げている。 「まったく、心配かけんなよ。 方向音痴なんだからさあ、ラファは」 「違う!」 「へへっ、それそれ。ラファはそうでなきゃ」 いつもの調子で身体を起こして怒鳴ると、反してルナは嬉しそうに笑った。 謀られたのだと気づいて怒る気も失せ、再びベッドに倒れこむと、 ルナがぽつりと言った。 「なあラファ、俺さあ… お前とか、レインとかに、言ってないこと、実は結構いっぱいあるんだよね」 「……」 「だからさ、多分ラファも、俺のこと良くわかんねえとか思ってるかもしれないし… ひょっとしたら怒ってんのかもしれないけど…でもさあ…」 ラファはちょっと眉を上げてルナを見た。 腕でその黒い瞳を隠すルナは、いつになく弱弱しかった。 そういえば、あのクレイリスに会ってからのルナはらしくない。 チルタに会ったときも、ルシファの女の子に会ったときもだ。 レクセでのルナは、いつだって格好よくて、頼もしくて、 マイペースが狂うことなんて考えられなくて、ラファ達の暴君で。 それなのに今のルナは、そんな姿が想像もつかないくらいに、 蝋燭の灯火のように儚かった。 「でも…駄目なんだ。言ったら俺、絶対二人のこと、傷つけるから… 絶対言っちゃ駄目なんだ。 だから……俺、ごめん…きっとこれからも…そういうこと、あるから… でも、二人を騙したくて…隠してたんじゃないんだって… しんじ…て……」 「…ルナ?」 名前を呼ぶと、やがてそれは小さな寝息になって返ってきた。 ルナも二日間の強行軍で疲れが溜まっていたようだ。 ラファは苦笑して、水の残りを飲み干した。 「ああ、俺はルナを信じるよ」 だとしたら、例え自分がエルミリカの言うとおりノルッセルの末裔だったとしても、 自分たちは友達同士でいいのだと、そういうことだから。 ◆ 宿屋には書置きを残して、再びラファは神宿塔の前にやってきた。 そこには一人の少女が、階段に腰掛けてラファに向けて微笑んでいた。 「…よお、エルミリカ」 エルミリカ・ノルッセルは、まるでラファが戻ってくることが分かっていたかのように、 驚くでもなく優雅に立ち上がると、スカートをつまんで腰を落として礼をした。 「お待ちしておりました、ラファ。 その様子を見ると、私たちの言ったことの、 僅かでも受け入れてくださったということでしょうか」 「自惚れるなよ。俺は俺の親友の言うことを信じただけだ。 あんたたちを信じたわけじゃない。 …だけど、あんたには聞かなきゃいけないことがある」 ラファはひとつ息を吐いて、そして意を決して言葉にした。 「俺はレクセの無人廃墟で聖女クレイリスに会った。 あいつは俺に、自分が誰なのかも分からないのね、って言った。 俺はルシファの村でレフィルって奴に会った。 あいつは俺に、俺の言うところの『俺』ってのは誰なんだ、って聞いた。 …アンタなら知ってるんだろ、俺は、…誰なんだ?」 エルミリカは笑みを深めた。 答えを知っているのは確かだった。 彼女もまた、クレイリスやレフィルと同じように、 ラファに他の誰かを重ねているのは明白だった。 だが、その答えを教えるのは忍びないとでも言うように、 彼女は小首を傾げておどけてみせた。 「貴方はご自分を『俺は俺だ』と仰った。 ならば貴方は貴方なのでしょう。 …それ以外にどんな説明が?」 「だから!」 「貴方は貴方です。そんな古人の戯言は捨て置きなさい。 所詮あの方々は、貴方を自身の愛しい人に重ねているに過ぎない。 …ええ、そうですよ。かく言う私も重ねているのかもしれません。 でもね、ラファ。貴方がご自身をラファとして認めている以上、 貴方は『ラファ』その人以外の何者でもないんですよ」 「…訳が、分からない」 そうかもしれませんね、とエルミリカはくすり、笑った。 ラファが謎かけのようなそれを解けなかったことに対して嘲ったのではなく、 誰か他の人間にざまあみろとでも言いたげな笑いだった。 「貴方は自分を『自分は自分だ』と信じていれば、それでいいのです。 そうしていれば、彼らは貴方を脅かすことはできない。 心を強く持ってください。 それがきっと、貴方の力になる」 暗い夜闇に、エルミリカのその言葉はやけに響いて聞こえた。 ラファは、俺は俺だと信じていれば、それでいい。 彼女の答えは、しかしなんの答えにもなっていないのだけれど、 少なくともラファはラファでいいのだと、そう、認められた気がした。 そのときだった。 くい、ひとつ制服のシャツの背を引っ張られて、 ラファははっとして振り返った。 「やあ、散歩かい?もうすぐ会議だよ」 「……は…?」 そこに立っていたのは、背中まで流れる銀髪を後ろで括った青年だった。 瑠璃色の丸い瞳がこちらをじっと見ている。 旧知の者に対するそれに、ラファは戸惑った。 知り合いではない者に知り合い面されるのはもう慣れつつあったが、 問題は彼のその瞳だった。 エルミリカが二人だけだと言ったノルッセル一族の証を、 この青年も持ち合わせていたのだから。 「お、おい、エルミ…」 どういうことだ、と問い詰めようと振り返ったが、 しかしそこにエルミリカはいなかった。 それどころではない。 ラファが立っていたのは、神宿塔のあの階段の前ではなかった。 辺りを見回す。 肌に当たる空気は、ラトメのものよりも冷たかった。 渡り廊下だろうか、庭園を通るその白い石でできたそこはどこかの神殿らしい。 まさかエルミリカがあんな会話の途中で転移呪文を使うとは思えない。 ラファは困惑してその場に立ち尽くした。 すると、青年が首をこてんと傾げて尋ねてきた。 「どうしたんだい?」 「あ、…あんた、誰だ?」 突然目の前に立っている、当たり前のようにラファを受け入れる青年が怖くなって、 ラファは一歩下がりながら恐る恐る問うた。 すると青年は一瞬ぽかんとラファを見つめて、 それから盛大に噴出した。 「あっははははははははは!!!」 「!?」 「ちょ、お前、ボケるにはまだ早いよ…くくっ、さっき会ったばっかだよ! あっは、ミフィリだよ、ミフィリ。どう、覚えた?」 「み、ミフィリ…?」 ミフィリ、と名乗った少年は、そう、と答えてまた笑った。 「まったくもう、変な実験にかまけて記憶喪失にでもなっちゃったの?」 「違う!」 「じゃあ新手のギャグか。まったくもう、笑わせないでよ」 「そうじゃなくて…」 「どうかなさいましたか?」 そのとき、先ほど聞いたばかりの凛とした声が背後から響いて、 ラファは勢いよく振り返った。 そこには、いつの間に着替えたのだろう、 黒い神官服に身を包んだエルミリカが、なぜか虚ろな瞳をこちらに向けて、 手に大量の書類の束を乗せて歩いてきた。 エルミリカ、彼女の名を呼ぼうとすると、 ミフィリがラファの身体の影から首を出して陽気な声を上げた。 「やあエルミリカ。今日も研究かい?」 「いえ、今日は聖女と神都の様子を見に…」 聖女、その単語にびくりと肩を震わすが、 まるで突然目が見えなくなったかのように視線を揺らすエルミリカと、 それからエルミリカしか見ていないミフィリは気づかなかったらしい。 ミフィリはいいなあ、と羨ましげな声を上げた。 「僕たちはまたエルフとの会議だよ。 まったく…エルフ達は堅物ばっかでやんなっちゃうよ」 「無駄にプライドだけ高いですしね」 「え、え…?」 当たり前のようにラファも頭数に入れられて、 肩を叩かれたのでラファは困惑した。 するとエルミリカもどうしたのかという風に眉をひそめてきた。 「…どうしました?」 「い、いや、だって」 「こいつさあ、なんか知らないけどボケが始まったみたいなんだよね。 ま、そのうち治るだろ。前もそんなことあったし」 「ああ…ありましたね。また突発性記憶喪失ってやつですか」 さらりとエルミリカまで流してしまうので、ラファは思わず「違う!」と叫びそうになった。 しかし彼女はすぐにミフィリの方に顔を向けて話を戻してしまったので、 ラファは結局否定できずじまいになってしまった。 「…まあとにかく、そのエルフの話は聖女の耳には入れないほうがいいですよ」 「勿論。あの子はそういう差別が嫌いだからね。 じゃ、エルミリカ。神都見物の感想を待ってるよ」 「……ええ。きっと…」 ふわりと微笑んで、エルミリカはミフィリとラファの脇をすり抜けていく。 すれ違いざま、彼女のふんわりと舞った銀髪からなんだかいい香りがして、 ラファはその背中を視線で追った。 なんだか、その背中がやたらと小さく見えて。 行っちゃ駄目だと、叫びたくなった。 |
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