07."神の子" |
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「畜生…迷った」 それからまた一日中を歩き通して、 どうにかこうにかラトメディア首都フレイリアに着いたまではいい。 しかし、夕方のラトメディア大通りはえらく混み合っていて、 人ごみに流されて、ラファはルナ達とはぐれてしまった。 急いで合流しなければ、またあのルナの鉄槌が下ってしまう。 それはいけないと慌てて来た道を戻ろうとするが、 人ごみでうまくいかない。 …一体なんなんだこの群集は!毒づくも、人が去るわけではない。 結局、ルナはあの少女との会話についての言及を受け付けなかった。 チルタも苦笑するばかりで、ルナならいつか話してくれるよの一点張り。 あの頑ななルナが素直に秘密を暴露してくれるとは思えないが、 少なくともラファも関わっているらしいことは確かだ。 最近は自分のことで意味の分からないことが起きてばかりだ! ラファは頭をかかえた。 すると、後ろからどんと身体を押されて、ラファはバランスを崩した。 「わ…っ」 受身を取る暇もなく倒れこむ。 周囲の人々が胡乱げにラファを見下ろしながら避けて通るのを見て、 ラトメの連中はみんな嫌なやつばかりだ、と顔をしかめた。 すると、そんなラファの頭上にふと影が下りる。 「大丈夫?」 「え?」 見上げると、声をかけてきたのは少女だった。 小麦色の髪と瞳。ふんわりと微笑むその表情は柔らかく、 ラファはきっとこの心優しい少女が手を差し伸べてくれるのだろうと待った。 だが、少女はくすりと一笑しただけでラファを見下ろすばかりだった。 「…どうしたの、立たないの?」 「あ、いや…」 「もしかして、私が助けるの待ってたの? あは、嫌よ。だって服が汚れちゃう」 「……」 ラファは立ち上がりながら絶句した。 さてはこの女、貴族か何かの娘だろうか。 無邪気に笑ってみせる少女を見やる。 彼女は真っ直ぐ立ったラファに満足したのか、にっこりした。 「うん。気をつけて歩いてね」 「…ああ、気をつけるよ」 どうも最近女難の相が出ている気がする。 ラファは盛大に溜息をついた。 すると、背後から少女を呼ぶ声。 「マユキ様、おりましたわ。神宿塔の前でございます」 「ああ、ありがとう、サザメ。 それじゃあさよなら学生さん。私は行くから」 結局何のためにラファに声をかけたのだろう。 蒼銀の長い髪の女性を伴って、マユキと呼ばれた少女は去っていった。 どうせラファが転んだのを見て他人の不幸を嘲っていたに違いない。 ラファは決め付けて、再びルナ達を探す作業に戻った。 …が。 「まったく、ノルッセルって本当に小賢しいよね…人の弟を唆して」 聞こえてきた穏やかでないマユキの台詞に、ラファはぐるりと振り返った。 ◆ 人通りの少ない小道を探す。 確かラトメの話はいつだったかレインがしてくれたはずだ。 神宿塔、とか言ったっけ。 レインの話だと、大通りをまっすぐ奥に進めばたどり着いたはず。 大体の方角を予想して走ると、家々の隙間から白い塔が見えてきた。 小道を飛び出すと、人ごみはなく、 白い階段に一組の男女が向かい合って立っているだけだった。 一人は、小麦色の髪の少年だった。 眠そうな半目でぼんやりと向かい合う少女を見つめている。 着ているのはラトメの民族衣装だ。 妙に清潔感が溢れているところを見ると、 やはり彼もまた貴族か何かの少年らしい。 向かい合うもう一人は、なめらかな銀髪の持ち主だ。 背中まで伸ばした髪は艶やかで、大事に手入れしているのだろうと思わせる。 澄み切った瑠璃色の瞳の焦点は少年に合わせて、 人形のような白い肌は薄い笑みで彩っていた。 …文句なしの美少女だった。 「駄目ですよ、ユール。 お姉様をないがしろにしては、私が怒られてしまいます」 「…姉さんは間違っているんです。 僕らは不干渉を貫くべきじゃない。互いに協力し、助け合うべきなのに。 姉さんは分かってくれないんだ」 不干渉。その単語にラファは確信した。 彼らは、不老不死一族というものに関して何かを知っている! ラファは物陰に身を潜めて息を殺した。 すると、少女が鈴の鳴るような声で笑った。 マユキの穏やかなものよりも凛として、空に響くような声だ。 「助け合う、ですか。 ソリティエ分家の貴方が、この私にそんなことを言うなんて不思議ですね。 私たちは憎みあいこそすれ、助け合う立場ではありませんが」 「…とりあえず、僕個人としてはエルミリカさんは大切な友人ですから」 少女の名はエルミリカ、というらしい。 ユールと呼ばれた少年は目を伏せて、控えめに笑みを模った。 一体何の話だ?少々身を乗り出すと、 壁にしていた木箱が地面を擦って、思うよりも大きな音が出てしまった。 途端、弾かれたようにエルミリカがこちらを向く。 今までの麗しい笑みも消し飛ばして、厳しい表情でこちらを呼ぶ。 「誰です!姿を現しなさい!」 「い、いや、俺は!」 慌てて立ち上がると、エルミリカとユールの視線とかち合った。 エルミリカの瑠璃色に何故だか妙に見覚えがある気がして、ラファは戦慄した。 …自分の瞳の色とまるきり一緒だったのだ。怖いくらいに。 エルミリカもまたラファを見て驚いた様子だった。 わずか口を開いて、「まさか」と呟いている。 と、ユールが階段を下りてこちらに向かってきた。 「どちらの方ですか。神宿塔は今の時間開放していませんよ」 「お、俺は別に…」 「ユール、ちょっと待ってください。 …貴方の、貴方のお名前は、なんと仰るのですか」 言葉を選ぶように、エルミリカも階段を一歩一歩下りながら問うてくる。 ラファはたじろぎながら答えた。 「…ら、ラファ」 「………そう、ラファ」 かみ締めるようにラファの名を呼ぶので、 一体何事かとラファは息を呑んだ。 エルミリカの瑠璃色から、溢れんばかりに涙が潤ったからだ。 「やっとお会いできました。そう、貴方はラファというのですね」 「…な、なに、どういうこと…」 「エルミリカさん、お知り合いなんですか?」 「いいえ」 細い指先で涙を掬い上げて、エルミリカは笑った。 「突然申し訳ございません、私はエルミリカ・ノルッセル。 どうぞエルとお呼びください。 ノルッセル一門の長を務めております、ラファ」 「ノルッセル…そうだ、俺、あんたに聞きたいことが…」 「私も貴方に会って、どうしても伝えなければならないことがあるのです。 ユール、神宿塔をお借りできませんか。 ゆっくりとお話ができる場所が欲しいのですが」 「かまいません。僕も同席しても?」 「勿論かまいません。むしろお願いいたします。 ラファ、こちらはユール・E・ラトメといいます」 ユールは視線を合わせたラファにはにかんでゆっくりと一礼した。 その物腰があまりに優雅で、ラファは先ほどあった失礼な少女のことも忘れて、 慌ててお辞儀を返した。 ユールについて階段を上り、塔の内部に入る。 中は薄暗かったが、ユールが右腕を一振りすると、 一斉に壁に並べられた燭台に火が灯された。 それと共に、壮観な神宿塔の内部が明らかになった。 大理石の傷ひとつない床には一本の真っ赤な絨毯が真っ直ぐに敷かれており、 その両脇には等間隔で白い細かい彫刻が左右対称に、 所狭しと、かつ上品に彫られ、 奥には礼拝堂と思われるスペースにベンチがいくつか並び、 一番奥に漆塗りの机が置かれ、 両脇に一対の蝋燭がゆらゆらと炎を灯していた。 机の背後の壁には金色の大きな十字架が架かっている。 天井には大きなシャンデリア。 淡い金色のそれは、自らが発する光をきらきらと反射して、 幻想的な明かりを塔内に落としていた。 広いホールの端に、上へと続く螺旋階段が大きく構えている。 「すごい…」 思わず呟いたラファに、ユールはふわりと笑んだ。 そして二人を礼拝堂に導いて、一番後ろのベンチへと誘った。 「狭い場所ですが…こちらでよろしければ」 「かまいません、ありがとうございます」 「ここは…」 ラファはあたりを見回した。 ここがルナの言っていた神宿塔の礼拝堂で間違いないだろう。 ラファはあのステンドグラスを探したがどこにも見当たらない。 意を決してユールにたずねた。 「なあ…ここに、ステンドグラスがないかな?」 「ステンドグラス?ああ…十字架の裏のやつですか?」 ラファはさっと十字架のところまで駆けていく。 十字架の架かったそれは壁ではなく四角い柱のようなもので、 その裏に隠れるようにして、それはあった。 一人の栗毛の少女が、右手に剣を、左手に紅い花を持って立っていた。 足元は赤い花畑。 白いワンピースをその身に纏う少女は、 ただの村娘にも見えたし、戦士にも見えたし、どこかの高貴な人物にも見えた。 顔のパーツまで細かく書き込まれたわけではないから、 あの印象的な若葉色はこの絵のどこにもないけれど… 間違いなく、無人廃墟の館で出会った、あの少女に瓜二つだった。 「懐かしいですね。まだ残っていたんですか」 ラファの後ろに立ったエルミリカが懐かしそうにその絵を見た。 「ラファ、この絵をご存知だったんですね」 「いや…友達が、見たことがあるって聞いただけだけど… あんたは、ここに描かれた奴を知ってるのか?」 「聖女クレイリスですよ、知らないということはないでしょう」 今の世界を作り上げた偉人じゃないですか。 冗談めかして言うエルミリカには陰があった。 ユールもまたステンドグラスを見上げる。 「エルフと人間の壁も、不老不死一族同士の壁も乗り越えて、 ひとつになろうとした立派なお方ですね。 僕もいずれはこんな方になりたいと思っています」 「不老不死一族…」 当たり前のように紡がれた単語を汲み取ると、 エルミリカは微笑んだ。 「ラファ、ご存知ですか。 この世には『不老不死』と呼ばれる体質を持つ一族が、 全てで四家存在するんですよ」 それが、ノルッセル、エファイン、シエルテミナ、ソリティエ。 創世時代から存在するとされるこの四つの一族は、 今でこそ歴史には語られない影の存在だが、 その昔はそれぞれが国を建て、力を奮い、世界の根源にさえなっていた。 「けれど、彼らは互いにほかの一族を恐れていた。 不老不死。死なずの人間。強い魔力を持った、世界に愛された一族。 彼らは競い合って世界の頂点を目指した。 …でもね、そんなのはいけないんです。 強い力を持つ私たちが、他の人間を押しのけて頂点に上るのはフェアじゃない。 だからわれらが双子神は四つの一族に天罰を下した。 私たちは、互いに離反も協力もしてはいけない、 不干渉を貫かねばならないのだと」 不干渉が、掟だと。そう言ったルシファのあの少女。 それに怒ったルナ。 事情はまだ呑み込めないが、その檻の中に、 自分もいるのだとしたら? 「でも僕は違います。 とはいえ僕はソリティエ分家の立場ですから正確には檻にはいないのですけど、 とにかく互いに愛し合い、慈しみ合うためなら、 不老不死同士共存することも赦されてはいいのではないかと」 「その言葉を受けて、私は決めた。 かつてこの聖女クレイリスが、世界創設戦争を平定したとき成したように、 再び全ての人々が手を取り合い、愛し合える自由な世界を創ることを」 そうしてエルミリカとユールはラファを見た。 …違う。正確には、ラファのその瑠璃色の瞳を見たのだ。 「だから私は、かねてより私たちの意に賛同してくれるであろう人を探していました。 そう、…貴方ならきっと、また素晴らしい夢を魅せてくれるのではないかと」 「…!」 二人はまるで、ラファの瞳の奥に、 ラファではない他の誰かを見ているかのようだった。 それがなんだか怖くなって、ラファは後ずさってエルミリカ達と距離をとった。 「なっ、なんだよ!お前らも俺を別の誰かと勘違いしてるのか!? 俺は俺だ!他の誰でもない!俺はそんなわけのわからない一族じゃない!」 「別に勘違いなんてしておりません。 ラファ、落ち着いて聞いてください。 私たちは貴方を探していました。貴方が意識していないその先で。 ノルッセルはほぼ滅亡してしまいました。残っているのは私たち二人だけ。 だけど、神に愛された私たちなら、きっとそれが成せるのです」 ノルッセル。 どこを見てそう言うのだ。 この瑠璃色の瞳。誰とも分からぬ祖父からの隔世遺伝だと言われているが、 別にだからなんだというのだ。 不老?不死?じゃあ俺は、どうしてここまで成長してきたっていうんだ! 「ふざけんな!滅亡?俺の父さんも母さんもまだまだ無駄に元気だっての! 俺はただのラファだ!どいつもこいつも勘違いするんじゃねえよ!」 自分を他の誰かと勘違いしているエルミリカとユールに、 妙なことに巻き込んだクレイリスに、 そしてラファを妙に不安な気持ちにさせたレフィルに腹が立って、 ラファは踵を返して神宿塔を飛び出した。 取り残されたエルミリカとユールは真っ直ぐに締め切られた扉を見つめている。 そしてぽつりと、凛と、少女は呟く。 「それでも、ラファ。 貴方は、貴方がその瞳を持っている限りどこからも逃げ出せない。 誰からも救われない。 だって、血には抗えないのですから…」 |
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