12.旅立ち
「それでラファはこれからどうされるのですか?」

穏やかなその声。
慈しみに満ちた彼女の声に、ラファは不意に母を思い出した。
およそ優しさしか知らないような顔をして、まっすぐにラファに微笑みを見せている。
エルミリカ・ノルッセルは全権をラファに委ねるように尋ねた。

「…あんたは?さっきのユールだっけ?あいつと、不老不死同士仲良くなる世界を作るんだろ。
それに俺が必要なんじゃないのか」
「ええ、必要ですよ。でも特段貴方にして欲しいことというのはないんです。
私にもユールにもできないことが、貴方は自然とできる。
…特になにもしなくても、ね?」

エルミリカの言葉はクレイリスとはまた違った意味で難解だった。
あえてそういう言葉を選んでいるのだろうが、
こちらが困惑する表情すら楽しんでいるように見えてラファは不愉快だった。
エルミリカはふと、その細くて白い人差し指を路地裏に向けた。

「…?」
「お友達が、いらっしゃってますよ?」
「え?」

振り向くと、路地の隅に背を預けるようにして、
夜闇にその髪を瞳を溶け込ませながらルナが優雅に立っていた。
ラファがぽかんとしているのを見ているのかいないのか、
彼は白々しくも肩をすくめてなんでもないようにラファの隣にやってきたが、
視線は警戒心もあらわにエルミリカに向けられていた。

「ラファに会ったときから謎だったが、
どうしてノルッセルの生き残りがいるのかお聞きしたいもんだね。
しかも、銀と瑠璃を併せ持つノルッセルは現代に存在してるはずがないんだぜ」
「は…?おい、どういう意味だよ、ルナ」

「ええ、存在しているはずはありません。
存在していいはずもないのです、シエルテミナのご当主様。
私は規律を曲げてこの"時代"に存在しています」

この時代?鸚鵡返しに問うと、エルミリカの視線はラファに移った。
ルナが怪訝そうに目を細める。
それに構うことなく、エルミリカは続けた。

「私の名はエルミリカ・ノルッセル。
かの世界創設戦争の時代において、クレイリスの補佐を務めておりました」
「え!?」
「おいおいクレイリスの次はエルミリカかよ…
ここんとこ歴史の偉人ばっかり出てきやがって、
これは何かのびっくりショーか?」

口元を歪にゆがめながらルナは吐き捨てた。
ラファは慌ててエルミリカとルナを交互に見る。
「えっ、ルナ、エルミリカのこと知ってるのか!?」
「…お前はもうちょっと歴史勉強しような、ラファ。
エルミリカ・ノルッセルは世界創設者の一人。
そしてノルッセル一族が建てたロゼリー帝国の最後の女王だ」

ロゼリー。その名には聞き覚えがある。
世界創設戦争の最中に滅亡した王族のことだ。

「そう、そしてその戦争でノルッセル一族もほぼ滅亡しちまった。
確か生き残りは三人…そのうちの一人がこのエルミリカ・ノルッセル。
でもコイツはクレイリスと違ってちゃんと死んだ記述があるんだぜ?
そうだろ、エルミリカ・ノルッセルさんよお。
アンタは確か、自分の国の国民に国を守れなかった裏切り者だの称されて、
殺されたって聞いているんだが。
そんでもって、生き残りのあとの二人も死んだって聞いてる。
じゃあラファがここにいるのもおかしいよなあ?」
「歴史書なんてものは単純な御伽噺に過ぎません。
なればクレイリスを見た貴方がたならば、私の存在を認めることも可能では?
私にはあるがままを受け入れてもらうことしかできませんので」

エルミリカは夜に相応しい涼やかな声で答えた。
ルナが舌打ちする。
彼には悔しいだろうが、目の前の少女のほうが何枚も上手のようだった。

少女はルナの舌打ちを肯定とみなしたらしい。
満足そうに笑って首をかしげた。
「それで、貴方のお名前を伺っても?
その様子だといつもラファがお世話になっているようですね。
ノルッセルが一員として私からお礼申し上げます」
「…ルナ・シエルテミナだよ!これで満足か」
「……」

エルミリカの台詞がどこかこそばゆくて、ラファはうつむいた。
対照的にルナは熱くなってかっかとエルミリカを見ている。
すると、エルミリカは立ち上がり、階段を下りてラファ達の下へとやってきた。

「ラファ、先ほどの話の続きです。
貴方はこの、ルナ様と友人になれた。
それはいつからです?」
「え…?確か入学してすぐには一緒だったと思うけど…?」

ラファとレイン、それにルナがつるみ始めた経緯はよく覚えていない。
ただなんとなく教室で席が近くて、
なんとなく気があった。それが今も続いているだけだ。
思うに友人のなり方なんてそんなものだと思う。

しかしエルミリカは、まるでそれが何か特別なことのように、
真剣にラファの言葉に何度も何度も頷いて見せた。
その瑠璃には感動の色すら見え隠れしている。

「…なに」
「それなんです。ラファ、それにルナ様。
我ら不老不死一族は、本来は絶対に相容れない。
それは家系同士の不和とかそんな単純な問題じゃなくて、
そうなるように"できている"んです。
双子神は私たちに罰を下した。神様の罰に本来抗うなんて無謀でしょう?
どんなに自分たちが拒んでも、貴方たちは絶対に、
友達同士なんかに、なれるはずはないんです」
「何言ってんだてめえ。俺たちはバッチリ親友だっての」
「ええ。だから、ラファ様には何か特別な力があるのだと信じて疑えない。
何もしなくても、貴方は不老不死一族の仲を取り持つことができる」

その台詞はどこか畏怖が込められていた。
ラファは相変わらず難解なエルミリカの言ったことをゆっくり咀嚼した。
神様の罰に、抗ってる?俺が?
その自覚はないが、いや、自覚がないからこそ、
ラファにはそれが恐ろしく感じていた。
…神様に、抗える力を持ってる?俺が?

「まさか!だって、さっきエルミリカだってユールと一緒にいただろ?」
「それは単純にユールが本家筋の人間ではないからです。
それに、ユールが不老不死同士仲良くしようなんて言う奇特な人間だったからです。
事実私は彼の姉でいらっしゃるマユキ様とはまさに犬猿。
あの方は分家筋とはいえソリティエ一門の人間らしく、
ノルッセルとの不和を貫いていらっしゃいますから」

マユキ。あの無礼極まりない少女か。
弟を唆して、とか言っていた。あれはエルミリカの話だったのか。
ラファは再確認して、けれどまだ心の奥にしこりを残して、
それを解消したくてエルミリカに問い詰めた。

「そっ、そもそもなんだって、不老不死同士仲良くするって話になったんだ?
世界創設戦争のときは戦争のためだった、って感じがするけど、
この平和な世の中でそんな一致団結しなきゃならないことが起こってるのか?」
「…成る程な。ラトメディアとファナティライストの不和解消か」

これまで沈黙を貫き通してきたルナが納得したような声を上げた。
相変わらず億劫そうにエルミリカを見ていたが、
そこには先ほどまでの怒りは消えうせていた。
ラトメディアとファナティライストの不和解消?
ラファが繰り返すと、大正解だとエルミリカは微笑んだ。

「ええ。ラトメは"神の子"…つまりはソリティエの、
ファナティライストはエファイン家の持ち物。
もとより両者の確執は、ソリティエとエファインの不和によるものです。
けれどたとえばエファインとソリティエの不仲が解消されたとして、
両家が団結して困るのは…まあ、ノルッセルは国を持たないからともかくとして、
ファナティライストの裏で権力を握っているシエルテミナでしょうね。
そうしてまた大戦争が起こるのは回避したい。
だから現"神の子"であるユールはシエルテミナもまとめて、
不老不死一族全体の協力を呼びかけています」

どこか浮世離れした少年だと思ったら、あの眠そうな顔をしたユールは"神の子"だったのか。
意外な事実を突っ込もうとした矢先、エルミリカは疲れたように首を振った。

「もともと先の世界創設戦争の火種だって、不老不死一族の確執が、
原因の一端を担っていたようでしたし…
あんなひどいものを見るのは私としてもこりごりですから、
私はユールの計画に乗りました。
ただ、マユキ様はこてこてのお嬢様でいらっしゃいますから。
もとより他の不老不死一族なんて汚らわしいとお考えでしょうし、
"神の子"一族の教育は特に偏執的ですからね。
ご自身が、何よりユールが本当に文字通り"神の子"であると信じて疑ってない。
つまり、他の一族を見下しておられるんですよ。
ひょっとするとご自身が分家筋であることすら知らないかも。
だから今、ラトメ内でも派閥争いが起こりそうな雰囲気なんです。

だからユールはラトメの方に専念してもらって、
私は世界各地の不老不死一族を訪ねようかと思っていたのですが…」
「ひょっこり現れたのがシエルテミナ当主を連れたノルッセルのラファ、か。
なんだか嫌な予感がするくらいにいいタイミングだな。
これすら誰かに仕組まれた罠みたいな気がするぜ」

へっ、とルナはいつものように嘲笑した。
ラファもルナに同意見だ。
誰か…と聞いて思いつくのは一人しかいない。
あの栗色の髪に若葉色の瞳を持った怪しい少女。
聖女クレイリス。
彼女の意図する先も何も分からないけれど、彼女が関わっている、
それだけはラファには確信が持てた。

不気味だと繰り返すルナ。その一方で、エルミリカは穏やかに笑っていた。
「まあ、罠だと聞いたら喜んで乗るのがノルッセルです。
なのでできれば、私は貴方がたとご一緒したいのですが」
「あいにくとシエルテミナは罠だと聞いたら罠を張り返す一族なんだが…
まあ俺は構わないな。お前が本当にクレイリスの補佐だったっていうんなら、
聖女の時代についていくらでも聞きだせる、
つまりは当初の目的も果たせるってことだ。な?ラファ」
「…そういえば」

確かにラトメに来たのは聖女の探し人について調べるため、
引いては聖女の時代について調べるためだった。
それがあっけなく、目の前の少女の形をして現れたのには、
やはり作為的なものを感じずにはおれないが…
しかし、ラファはこうしてみると確かにノルッセルの血を持つらしい。
罠があれば喜んで飛びつく性質のようだ。

「…でも、これからどうすればいいのか分からないな」
「ラファはどうしたいんですか?
私としては、他の不老不死一族を訪ねるのにご同行いただきたいですが、
無理にとは言いません」

ラファは思案した。
自分の目的は、クレイリスに自分がラファだと認めさせること。
そしてその手がかりは、おそらく目の前にあるのだ。

「…エルに協力する。
俺も、他の不老不死ってやつに会ってみたい」

不老不死一族。
それを追っていけば、いずれクレイリスの求める存在にも、出会える気がした。



「ええっ!?ずるいずるいずるい!
夜中二人がいないって思ったらそんなことになってたんだ!」

翌朝、粗方の事情を説明してやると、
やはりレインは暑くて脱いでいた制服のブレザーを振り回して憤慨した。
ルナに聞いたところによると、一応起こそうとは思ったらしかったが、
この少年は一度寝たら朝まで起きない体質のために諦めたそうだ。
もとより夜更かしのできないレインのことだ、
万が一起きたにしても眠くて外になど出れるまい。

エルミリカと、次の日の昼にラトメ入り口で待ち合わせたラファ達は、
しかしたいした準備もなく首都の門前で少女を待っていた。
正午までにはまだ時間がある。
その間、事情を知らないレインとチルタに昨夜の出来事を教えてやったのだった。

チルタもルナの護衛として不満はあるのだろうが、
しかし主人の一言ですぐに陥落した。
…彼が優しい少年であるというのは見るも明らかだが、
しかしルナにほとんど意見できない従者というのも情けないものだった。

レインはレインで、歴史に関しては評定最悪の人間だったから、
エルミリカという単語は出さずに、クレイリスの知り合い、と言って
事情を説明したのだが、少なくとも歴史の偉人だということは理解したらしい。
僕もラファ達と一緒に会いたかった、とむくれている。

「大体、ラファもルナもこういう面倒ごとに首突っ込むの好きだよね。
前も学園で喧嘩騒ぎがあったときに真っ先に飛び込んでいったじゃない」
「殴り合いの喧嘩を見てると血が騒ぐんだ」
「いや…俺は別にそういうわけじゃないけどいつの間にか巻き込まれてるっていうか…」

正確にはいつもルナに取り込まれている気がする。
今回も、最終的にはラファが選んだこととはいえ、
ルナが乗り気だったこともラファの意見を後押しする理由になったには違いない。
しかし責任をルナ一人に押し付けるのもなんだか後味が悪くて、
ラファが言葉に迷っていると、喧騒の奥からぱたぱたと駆けてくる影があった。

「申し訳ありません、お待たせしました」
「あ、エル」

エルミリカ・ノルッセルは、旅装というにはいささか動きにくそうな、
ふんわりとした衣装を身にまとってやってきた。
そうしていると彼女の優美さがあらわになって、
やはりエルミリカは王族なのだという気品が現れていた。
太陽の下で見る透けるような彼女の銀髪にしばし見とれていると、
隣でどさり、と何かが落ちる音。
見下ろすと先ほどまでレインが機嫌が悪そうに振り回していたブレザーだった。
そのまま視線を上げると、愕然としたようなレインの固まった表情が目に入った。

これはエルミリカの美しさにあてられている、という様子ではない。
そう、これは…

「え、エル…?」
「まさか…レイン、なの?」

敬語を取り払ったエルミリカの口調は初めて聞く。
ということは二人はそれほど気安い仲だということだ。
「知り合い?」
ルナも目を丸くして尋ねる。
くわ、と目を見開いて黒髪の美少年に詰め寄るレインは、いつになく挙動不審だった。
「えっえっえっエル!?クレイリスさんの知り合いってエルミリカのことだったの!?」
「おいお前、どうしてエルミリカ・ノルッセルのこと知ってんだよ。」

「この子だよ!
僕が孤児集落で面倒見てた女の子!」
「……は?」

ルナと揃ってエルミリカを見る。彼女は照れくさそうに笑っていた。
あの穏やかで大人びた微笑からは想像もつかないほど、
明るくて花開くような、そんな鮮やかな表情だった。

「久しぶり、レイン。
その節は本当にお世話になりました」
BACK TOP NEXT