13.インテレディア |
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「クレイリスの好きな奴って誰だったんだ?」 ひとまずはソリティエ一門の末裔に会いに行きましょうか。 そう告げたエルミリカについて転移した先はのどかな村だった。 緑に囲まれた農村は、インテレディアの気風だろうか。 レクセとそう変わらない気候に、ラファはふと安心した。 ソリティエ一門の家は集落の一番はずれにあるらしい。 その家に向かう道すがらエルミリカに尋ねると、 彼女は意外そうな顔をしてラファを振り返った。 「え?好きな奴?レイリに?」 心底驚いているらしい。目を丸くして繰り返している。 「知らないのか?」 「知ってるも何も。彼女はそういうことに興味なかったはずですよ。 男女も身分も関係なしに誰とでも仲良くできる子でしたから。 多分仲間内みんな友達としてしか見てなかったと思います。 好きな人が出来たら、それが誰であれ私に相談しないはずはありません。 創設者の女性陣の中でレイリと一番仲が良かったのは私ですから」 私はクレイリスの側近にして親友でしたしね。 なんでもないことのように答えたエルミリカに、 チルタが半ば感心したような目で彼女を見た。 ラファ達が迷惑を被っている元凶を、迷うことなく親友と呼んで見せたエルミリカ。 彼女はそれを誇りに思っているような口調だった。 昨晩のように、聖女を皮肉るような笑みはそこにはなかった。 真剣に唸って、クレイリスの想い人を考えているようだ。 「特別仲が良かったのは…レフィルと、レーチスでしょうか。 どちらも世界創設者のメンバーです。 確かあの三人は私と初めて会うより前の付き合いだったはずですし。 ああ、あとミフィリとも仲が良かったはずですね」 ミフィリとレフィルは実際に目にしたことがある。 ラファは目を丸くした。 じゃああの白昼夢のような出来事で出会ったミフィリは、 千年も前の人間だっていうのか? しかしその疑問は脇に押しやって、二番目の聞き慣れない名に妙に惹かれた。 「そのレーチスってのは?聞き覚えがないな」 尋ねたのはルナだった。 頭のいい彼のことだから世界創設者のメンバーなんて全員覚えているものだと思っていたが、 どうやら彼にも知らないことは存在しているらしい。 エルミリカはゆっくりと視線を逸らした。 「彼のことはあまり表沙汰になっていないんですよね、何故か。 レーチスは世界創設者の初期メンバーで、 クレイリスの親友の一人です。 クレイリスと、私、それにレフィルとレーチスは仲がよくて、 大抵一緒に行動していましたよ」 さらりと受け流すエルミリカの物言いは、 なんとなく彼のことを話題に出してほしくない、といった口調だった。 これまでラファ達の疑問には難なく答えてくれた彼女だからこそ、 その行動はどことなく不自然で、ラファとルナは顔を見合わせた。 すると、レインがふふ、と笑ってみせる。 「それで、好きな人だったんでしょ、エルの」 「え?」 「…レイン、余計なことは言わないでいいの」 エルミリカが顔をしかめた。頬が赤い。 …どうやら彼女にも見た目相応の可愛らしさが存在しているようで、 ラファはたちまち彼女に親近感が湧いた。 「恋人だったのかい?」 チルタが問うとエルミリカは勢いよく首を横に振った。 「いいえ。これ以上ないほどこっぴどく振られました。 あんな男に恋をするのはもう二度と御免です」 辟易した様子で肩をすくめてみせるエルミリカ。 ラファはくすりと笑う。 千年も昔の女性が恋愛ひとつに踊らされている様子は、 たとえばルナを追いかける女生徒とさして変わらなくて、なかなか愉快だった。 そんな時。 脳裏にふと低い男の声が浮かび上がってきた。 ――エル、エル好きだよ愛してる独り占めしたい。 でも駄目なんだ、俺絶対エルのこと大切にしないしできないから。 だから俺はエルのことホントに幸せにしてくれる奴のところまで、 お前の手を引っ張るだけで、それでいいんだ。 (…なんだ?) 足を止めて振り返ると、穏やかな風に髪を遊ばせて、 突然こちらを見たラファに首をかしげているチルタがいた。 「どうしたの、ラファ?」 「……あ、いや、なんでもない」 空耳だろうか。いや、そんなものじゃなかった。 もっと、心の奥底から湧き上がってくるような、そんな声だった。 ひとつ、涼やかな風が吹いた。 まるでレーチスという男が、泣いているような気がした。 ◆ その家は、村の西にある小高い丘の上に建っていた。 昔は一国を担う王族だというのだから、 こののどかな村に似つかわしくない大豪邸でもそびえ立っているのかと思ったが、 意外にもそこにあったのはごくごく普通の民家で、 ぬくもりの感じられる木造の壁はところどころ傷がついていた。 「え…ここ?」 レインが戸惑ったように声を上げた。 大方、彼もラファとそう変わりない邸宅を想定していたのだろう。 ルナがいつものように嘲笑した。 「ソリティエは半ば没落してるからな。 地位的には一般人とさして変わらねえんだ。 もともとソリティエはラトメの王族だったわけだが、 何でだか"神の子"に影武者を置く習慣ができてな。 その影武者たち…分家筋の今の"神の子"一族に立場逆転されちまったってわけ。 必然的にソリティエはラトメを追われることになって、 こっちの方に逃げ込んだって話だったが…成る程な、 確かにこんなところにいりゃ、誰にも不老不死だなんて分からねえだろうな」 屋根から伸びる煙突からはもわりもわりと穏やかな煙が上がっている。 家の奥からはどこか甘い香りがして、 何か菓子でも焼いているのだろう。 それはなんの特別もない、ただの一般家庭にしか見えなかった。 その様子をざっと眺めていると、丘を駆け上がってくる影がひとつ見えた。 「……誰?お客さん?」 彼は綺麗に切り揃えられた濃紺の髪をさらりと風に流していた。 腕には数冊の本を抱えて、どことなく機嫌がよさそうだった。 髪と同じ色の瞳が、すいとラファ達一人一人に向けられて、 ルナの黒髪、エルミリカの銀髪、そしてしばし遅れて、 ラファの瑠璃色の目に留められた。 口端を吊り上げて、年下らしい少年は笑った。 「不老不死の奴が僕の家に何か用?」 「ここ、お前の家なのか?」 「ラファ君。濃紺の髪と瞳は、ソリティエの象徴なんだよ」 チルタが優しく教えてくれる。 ということは彼もまた不老不死の一人なのだろう。 そうなると、この知的そうな少年も見た目で年齢は計れないというわけか。 するとエルミリカが一歩前に出て優雅に一礼した。 「お初にお目にかかります、エルミリカ・ノルッセルと申します。 突然押しかけてしまい大変申し訳ないのですが、 ソリティエのご当主様はご在宅でしょうか?」 「父さんと母さんならいないよ」 つっけんどんに言い放つ少年。そこには皮肉げな笑みが浮かんでいた。 しかしエルミリカはこれっぽっちも怯むことなく続けた。 「いつ頃お戻りになるのか、お聞きしても?」 「永遠に戻らないよ。父さんと母さんは先月死んだ」 なんでもないことのように言われ、ラファは一拍驚くのが遅れた。 少年の瞳には何の感慨もなく、ただ事実を述べただけのようだった。 彼はラファ達の間を縫って玄関にたどり着くと、 扉に手をかけながらエルミリカを見た。 「だから今は暫定的に僕が当主ってことかな。 と言っても、今ソリティエは僕と妹の二人しかいないから、 その言い方もどうも似つかわしくないと思うけどね」 入りなよ、抑揚のない口調で言われ、扉を開けた少年は、 ルシファの少女やマユキ、それにユールとは違って、 他の不老不死を見ても何も感じたりしない様子で、 ラファ達を家へと迎えたのだった。 ◆ 「兄さん、その人たちは?」 「客だよ」 その妹は、リビングで刺繍に勤しんでいた。 どうやら手先があまり器用ではないらしく、 描かれた紺色の花はあちこち歪んでいた。 彼女は真剣そのものの表情で見つめる布から顔を上げて兄を見て、 後に続く見知らぬ一行に眉をひそめた。 少年はテーブルに大切そうに本を重ねると、 ラファ達に「適当に座って。お茶を淹れるから」と告げて、 台所に姿を消した。 その背が完全に見えなくなってから、少女は刺繍を放っぽって こちらに身を乗り出してきた。 「貴方たちは誰?随分珍しい組み合わせですけど」 一同が名乗ると、少女は抜け目なく一人一人を眺め回した。 「ふうん。シエルテミナに、ノルッセル。 あ、私はリィナ。リィナ・ソリティエ。あのギルビス兄さんの、双子の妹。 ウチに何の用?ここには不老不死さんの欲しがるものは何もないはずなんですけど」 見て分かるでしょ?と腕を広げてみせるリィナ。 その挙動は年相応に見えた。 エルミリカは微笑んだ。 「私たちは、不老不死同士の団結を図ろうと思いまして、 ソリティエの方々にお会いしに参りました」 「だんけつ?」 「仲良くしましょう、ってことだよ、リィナ」 舌足らずに繰り返す少女に呼びかける声。 兄…確かギルビスと呼ばれていた…が、盆に人数分の茶を淹れて戻ってきた。 相変わらず口元は皮肉るような笑みだ。 「どうせ"神の子"の発案だろ。 最近ファナティライストとラトメの関係は悪化の一方だもんな。 不老不死を丸め込んで戦争回避しようって算段だろ」 「ハッ、妹はともかく兄貴のほうの頭は悪くないらしい」 ルナが長い脚を組んで椅子に腰掛けにやりと笑った。 けなされているのだと気づいて、リィナが頬を膨らませた。 それに構うことなく兄はリィナの隣の席に着くとひとつ溜息をついた。 「僕らは、それを回避するためとはいえ、戦争の道具には使われたくないんだけど」 「何で?仲良くするってことなら別によくないか?」 疲れた様子で言葉を紡ぐギルビスの態度が妙に腑に落ちなくて、 ラファが思わず口を挟むと、ギルビスは不思議そうにこちらを見た。 「仲良くできるもんならね。君はあんまり一族のことについて知らないようだけど、 僕らはそもそも仲良しにならないように"できてる"んだから、 そういう発想自体が不思議で仕方ないね。 …そして、ノルッセルはシエルテミナに恨みを持ってるって聞いたけど、 どうして君たちがさも仲睦ましげに一緒にいるのかも疑問だ」 ルナとラファのことを指しているらしい。 それは昨夜もエルミリカに指摘されたばかりのことで、 ラファは背筋がぞわりと凍るのを感じた。 神様の罰にラファが抗っている、という事実を思い出したからだ。 どうやら不老不死一族にとって、互いの不和を貫くというのは不文律らしい。 エルミリカも、そしてギルビスも当たり前のように口にした。 そう、ルシファの少女だって、ラファとルナが一緒にいることを、 まるで不可思議なものを見るかのように激昂していたではないか。 思わずラファが口を噤むと、なんと不満そうに口出ししたのはレインだった。 「その疑問っていうのさあ、やめない? 僕達好きで一緒にいるのに、一族だなんだって否定されるのは不愉快だよ。 いくら僕は一般人で関係なくても、友達二人がそういう立場に置かれるのは嫌だ」 「レイン…」 「俺も同意見だね。 俺たちが証拠じゃねえか、掟なんざ破ったって、 この四年間、俺たちカミサマの罰なんて受けたことないぜ?」 「ルナ…」 エルミリカとチルタも満足そうに笑っている。 ラファは、胸が何か温かいもので満たされていくのを感じた。 「…そ、そうだよ、俺たち、四年間親友やってこれたんだ。 一族ぐるみでそれができないってことはないよな! だって、ルナはシエルテミナの当主だろ? 掟が本物だっていうんなら、当主様なんて大それた人が、 他の一族と仲良くするのなんてできないはずだよ。 別に俺はルナのこと恨んじゃいないし、というか恨む理由もないし、 せっかく長生きなんだ、仲良くしたってばちは当たらないんじゃないの?」 ラファの台詞を一言一言咀嚼しながら、ギルビスは目を伏せた。 リィナはラファ達の主張の半分も理解できなかったらしい。 首を傾げて兄の反応を待っている。 そうして丸々一分考えた末、ギルビスは顔を上げた。 「嫌だね」 「…どうして!」 「なぜなら、僕らソリティエ一門は遠くない未来、滅びる一族だからだ」 二の句が告げなかった。 ギルビスはお茶を飲むリィナの頭を撫でた。 そのとき、口元の皮肉げな笑みが、途端にやさしいものに変わった。 「たとえ神に愛されていたとしても、 人里で生きる不老不死はただの苦痛でしかない。 なれば意地汚く生にしがみつくよりも、自らの手で終わりを迎えるのが、 せめてものソリティエの誇りなんだ。 …今ソリティエは僕ら二人になってしまった。 そして僕らもそう遠くないうちに耐え切れなくなって命を絶つだろう。 …安寧と秩序。それがソリティエの役目さ。 だから僕らは、永遠の安寧を迎えるためにソリティエの歴史に幕を下ろす」 「それは、自殺、ということかい?」 チルタが念を押すように問うた台詞に、ラファは目を瞬かせた。 自殺?不老不死なのに? 意見を求めてエルミリカを見ると、彼女は苦笑した。 「不老不死っていうのは、ラファ。ただ単に生命力の強さ、それに尽きるんです。 異常な再生能力によって老化も死も止めてしまえる。 要はただの体質なんです。 だからその回復を停止してしまえる道具で自身を傷つければ、 命を絶つことも可能なんですよ」 魔弾銃と言うんですけどね。エルミリカは呟く。 その単語はラファも聞いたことがある。 ルシファで、ルナが何度か口にしていたものだ。 ギルビスは薄く笑っていた。自嘲的な笑みだ。 「僕はソリティエの最後の一人になる。 いずれリィナが死んだそのときは、僕が不老不死皆に、 臆病者と蔑まれたまま逝く。それで閉幕だ。 …だから、僕らのことは頭数に考えないでいい。 僕らが死ねば、ソリティエが消えれば、きっと"神の子"の地位を脅かすものはなくなるだろう」 彼の濃紺の瞳はあまりに儚かった。 リィナは話に飽きてしまったのかまた刺繍に戻っている。 その挙動は幼くて、きっとギルビスの話など聞いていないのだろう。 けれど、ラファよりも年下に見える少年の決意は、 国を率いる者に相応しい覚悟と責任に満ちていた。 「……そうですか」 ふと、小さくエルミリカが溜息をついた。 ゆっくりと席を立つと、ラファ達を見下ろした。 「行きましょうか、皆さん」 「え…え!?いいの、エル?」 「自殺志願者なんだろ?止めなくていいのか?」 「おいおいラファ。話を聞いてたのか? どうせ不老不死なんて病気や怪我じゃ死ねないんだから、 魔弾銃で殺されるか自殺するかしか命を絶つ方法はないんだぜ? 俺たちがそれを止めるってのは、つまり永遠に苦しめってことだ」 ルナは冷徹な口調で返した。 彼もまた椅子を跳ね上げるように立ち上がり、 見下すようにギルビスに視線を向けた。 「へっ、根性のある奴は好きだぜ。 そのまま死なせちまうのはもったいないが、 それが一族の方針っていうんじゃ、止める筋合いは俺たちにはないな」 戸惑うラファとレインを押してギルビスの家から出て行くルナ。 エルミリカとチルタも一礼して後に続く。 残されたのは目を伏せたままのギルビスと、 刺繍の手を休めて上目遣いに兄を見上げるリィナだけだった。 「……お兄ちゃん?」 「ん、なんだい、リィナ?」 「…なんでもない」 紺色の花は、布の上でいびつに形を曲げながら、 それでも懸命に葉を伸ばしていた。 |
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