16.リィナ |
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せっかくインテレディアに来たんだし一泊くらいしてのんびりしようぜ、 そんなことを言い出したルナに、旅費を出す羽目になるチルタを慮って ラファは顔をしかめたが、対する苦労性の少年は全く気にしていないらしい。 チルタは快くそうだね、と答えた。 「いいのかよ、チルタ」 「ラファ君も、そんなに気にしなくていいんだよ。 どうせこれ、僕のお金じゃないから」 「え、」 思わず目を丸くして顔を上げると、珍しくも、 チルタは悪戯っぽい笑みでラファを見ていた。 いつも温和な少年からは考えもつかない挙動だった。 「毎月ね、ルナの実家…シエルテミナの本家からいただいてるんだ。 本家のお金は当主のお金。だから旅費は全部ルナ持ちなんだよ。 ね?つまりルナが贅沢言っても、別に何も気にすることはないんだ」 贅沢しすぎて、後悔するのはどうせルナだしね。 皮肉っぽく言ってのけたチルタに、当のルナはけっ、と声を上げた。 「どうせ有り余ってる金だ。散財やらかして本家も傾いちまえばいいんだ」 「…ルナ、それは僕に対する嫌味だよね?ねえそうだよね?」 孤児であるレインは常に金欠である。 そのために彼は毎日毎日放課後にはあちこちの店で手伝いをして、 僅かながら金を貯めているのである。 そのくせ友人との時間も大切にするのだから恐れ入る。 レインは暢気な見目とは裏腹に結構な努力家なのだ。 冗談交じりににっこり言ったレインに、若干ばつが悪そうに視線を逸らすルナ。 しかし言は撤回しなかった。 するとエルミリカがなんとなしに口を開く。 「いいんじゃないですか? ルナ様があちこちでお金を使えば、その分与えられたお金で周囲は潤うのですから。 どうせ大金を直接スラムに寄付したって上流階級の反感を煽るだけですし、 かといって慈善団体に与えても半分以上団体に搾取されて終わりです。 …まあ、第一、そういうのはルナ様の性に合っているとも思えませんが」 「わかってるねえ、エルミリカ・ノルッセル。 そういうことだ、俺の金は俺の金。だからどう使おうとも俺の勝手」 肩をすくめて無理矢理話を打ち切ったルナに、 レインももともと冗談で済ませる予定だったらしく追及はしなかった。 「…でも、エルは急いでないのか? 早く他の不老不死に会いたいんじゃないの?」 ラファがすばやく話を変えると、エルミリカはにこり、ひとつ笑った。 「そりゃあ、何年も掛かるようでは困りますが。 とりあえずは急いでません。 不老不死は四家。そのうちの三家はもう揃っていますから、 あとはエファインに会えればそれでいいのです」 言われて気がついた。 ノルッセルのエルミリカとラファ。 シエルテミナのルナ。 そして先ほど会った、ソリティエのリィナとギルビス。 まだ会っていないのは、エファイン一族だけだ。 ルシファで出会った少女を除けば、だが。 「エファインっていうのは、どんな一族なの?」 レインの疑問に、エルミリカ、ルナ、そしてチルタの三人はちらと視線を交わした。 …説明するのが億劫だ、そんな視線だった。 「多分レイン君も、ラファ君も知ってるはずだよ」 「どういうことだ?」 ルナは苦い顔をして吐き捨てた。 「エファインってのはな、ファナティライストの支配者だ。 つまり、世界王一族のことだよ」 ◆ この世界は、レクセ、ラトメ、インテレ、シェイル、クライの五大都市と、 その都市が抱える大陸の中央、内海にぽかりとひとつ浮かんだ孤島、 神都ファナティライストの、六つの都市からなるひとつの国しか存在しない。 五つの都市は、聖女クレイリスが建てたファナティライストとの契約(ディア)によって、 他の都市との戦争を放棄する代わりにそれぞれの自治権を認められており、 それゆえ五大都市はディアランド、とも呼ばれ、 それぞれの都市の名の後には「ディア」を付けて呼称されることが多い。 そして、世界王というのは、世界を統べるファナティライストの権力者のことだ。 自治権を認められた都市には、当時まだ五大都市が一国だったときに、 各国を支配していた権力者が引き続き政治を執っている。 だから昔は帝政だったシェイルなどには未だに皇帝がいるし、 ラトメの"神の子"だってそれと同じようなものだ。 しかし彼らは決して「陛下」とは呼ばれない。 その呼称を許されているのは、ただ一人。 世界で一番の権力者、世界王陛下だけだからだ。 自分の親友が一族の長だというのも衝撃的な出来事だったというのに、 引き続いて世界王にまで会わなくてはならないなんて。 ラファは恐れ多くて、考えただけで脚が震えるのを感じた。 宿屋の一室、ベッドに倒れ込んで嘆くラファ。 それを見たルナが嘲笑する。 「お前、世界創設者に会ったって方が、 世界王との謁見よりもすげえんだぜ?分かってんの?」 「だって!クレイリスは変人だし、エルが世界創設者ってのはピンとこないし! 世界王だろ?俺じゃ足元にも及ばない!」 「あのなあ、どうせ世界王っつったって、不老不死だぜ? つまりお前と同列。ノルッセルだって一国の王様だったんだから、 その末裔であるラファだって王族みたいなもんなんだよ。 …ほら、レインの奴を見てみろよ。お前なんかよりよっぽど冷静じゃねえか」 「…どうせ僕は一般人だよ」 ふてくされたように言うレイン。 口を尖らせる様はラファのように緊張しているようには見えない。 ラファは途端に自分が情けなく思えて頬を紅潮させた。 「レインはなんでそんなに落ち着いていられるんだよ」 「別に?どうせ喋るのはエルかルナでしょ。 僕たちは後ろでのほほんとその様子を見ていればいいだけ。 そう思えば王様の顔が何もせずに見られるチャンスじゃない。 学園に帰ったらきっと自慢できるよ」 「…帰れたら、の話だけどな」 ルイシルヴァ学園の恐ろしい罰則の数々を思い出し、ラファは今度はちょっぴり青ざめた。 しかし彼などよりも数倍近く多いお仕置きを受けてきたはずのルナは鼻で笑った。 「キチガイオンナに転移されちまって帰れなくなりましたー、 って正直に言えばいいじゃねえか。 お前メアルセンセーのお気に入りじゃん。絶対ラファのことなら庇うぜ、あの教師」 「うるさい、妙なこと言うなよ」 「すみません、ちょっといいですか?」 こんこん、控えめなノックの後に聞こえた声は涼やかなものだった。 最初に聞いたあの明るい声と比べて、 その台詞はあまりにも温度が違ったものだから、 ラファ達は一瞬誰が現れたのか判断に迷った。 扉を開けると覗いたのは、先ほど別れたばかりの紺色の髪と瞳だった。 ツインテールの少女はただただ抜け殻のように静かにラファを見上げて、 あの年相応な挙動もなりを潜めて、そこに立っていた。 その姿がどこか恐ろしくて、ラファは息を詰まらせながら彼女の名を紡ぐ。 「リィナ…」 「突然押しかけてしまって、ごめんなさい。 ちょっとお話があったんです」 「お前らとの話はもう終わったと思ったんだけど?」 後ろからルナの突き放すような声。 すると、するりとリィナはラファからルナへ視線を移した。 「兄さんとの話、それが終わっただけでしょう? 私ともお話をしませんかと、そう聞いているんです。 兄さんとの話は、すべて抜きにして」 冷ややかにリィナを見下ろすルナと、挑むようにルナを見上げるリィナ。 レインが慌てて彼らの間に滑り込んだ。 「ま、まあまあ二人とも!それで?リィナちゃんは何のお話なの?」 「先ほどの話、考えさせてもらえませんか」 抑揚もなくリィナは言い放った。 「不老不死同士が手を組むというお話のことです。 私たちソリティエも、協力させてもらえませんか」 ラファ達三人は、思わず顔を見合わせた。 判断を仰ごうにも、エルミリカとチルタは買い物に出てしまった。 ラファとレインは困惑して、思わず暴君を見つめてしまった。 ルナは不信そうにリィナを見下ろしていた。 「俺たちはついさっき、 お前の兄貴からソリティエはカウントするなって言われたばっかだぜ? それがいきなりどういう風の吹き回しだ?」 「それはあくまで兄さんの判断です。 ……私たちソリティエは、滅亡しません。 これからも不老不死一族がひとつとして、肩を並べていきます」 ギルビスとは話が違う。 どういうことだと問い詰めようとラファが口を開くと、 ルナを相変わらず抑えたままのレインが静かに尋ねた。 「…君は死ぬつもりはない。だから、ギルビス君が最後の一人にはならない。 そうすれば最悪二人は一族が生き残る。そういうこと?」 レインの台詞でぴんときた。 ギルビスはリィナが死ぬまで、自分が死ぬつもりはないと言った。 つまり、リィナが死にさえしなければ、少なくともこの兄妹は生き残るのだ。 …そして、彼女は。 リィナはゆっくりと頷いた。 「ソリティエはみんな臆病。 安寧も秩序も、ソリティエが世界を統べてこそ成り立つものなのに、 あの人たちは…兄さんも含めてだけど…それを言い訳にして、 この世界から逃げようとしてるんです。 世界が安寧に落ち着いているんなら、"神の子"が私たちを追ったとしてもいいじゃないか、って。 でも、私はそんなの嫌。 "神の子"なんてくそくらえ、です。 本当は仲良くしたくなんてありません。 だけど、あいつらが不老不死同士仲良くすることで新たな秩序を生み出そうとするなら、 私たちがそれに乗らないで、どうしてソリティエ一族を名乗れますか。 ここで死ぬのが一族の誇りだなんて、そんな馬鹿なこと、私思えません」 要は意地の張り合い、そういうことだ。 ひどく子供じみた考えだが、少なくとも弱腰のギルビスの姿勢と比べたら、 リィナの開き直ったような台詞のほうが誇りにまみれているように思えた。 流石の暴君ルナも感心した様子で目の前の少女を見据えている。 「だから私、死にません。 いつか"神の子"に立場を戻してもらえるか、 まあ考えたくもないですけど奴らが私たちの手に及ばないところまで、高みに上っちゃうか。 私たちが本家で、あいつらが分家である限り、 何をどうしたって私たちは一蓮托生です。 だから、お願いします。私たちも仲間に入れてください」 とはいえ決定権はラファ達にあるわけではなく。 困り果てて深々とお辞儀するリィナとルナを交互に見ると、 ルナはにやりと笑った。 「面白ぇじゃねえか。そういう意地汚いのは大好きだぜ。 不老不死一族の威光を笠に着た底意地の悪い奴らは大嫌いだがな。 そうやって誇り高く地の底這いずり回ってでも生きるのが、 神に愛された俺たち不老不死一族の役目ってもんだろ」 ルナがこうして、不老不死一族を認める台詞を吐くのは初めてではないだろうか。 ラファとレインは面食らって彼を見た。 すると、リィナはようやく年頃に見合った幼い笑顔を見せる。 「いつの時代も"兄"って臆病なものなんですよね。 それこそ双子神エルみたいに。 私はカミサマを反面教師にして生きていくって決めてるんです。 妹が死ねば兄も死ぬ。妹は大事な人よりも世界を取り、 兄は世界よりも大事な人を取る。 なら、私は兄さんを生かすために、自分も生きる道を取るだけです」 それが世界の安寧からかけ離れたものになってしまっても。 リィナの啖呵はますますルナを喜ばせるような威勢のいいものになっていた。 双子神エルの逸話。 妹は未来を視ることができ、兄は過去を視ることができる。 兄の死を視た妹が、未来を変えるために提示された道は二つ。 兄妹、二人で作り上げた世界を壊すか。 それとも妹が兄の代わりに死ぬか。 そして妹は結局二人の世界を捨てることができずに自分が死んだ。 兄はそうして悲しみに暮れ、世界を捨てて自らも死んだ。 そして取り残された世界に残ったのは、エルが光になった姿とされる、 不老不死一族の末裔のみ。 ラファはかすかに残る古代史の記述を思い出して、 リィナの啖呵がそれに則ったものだということに気がついた。 …それと同時に、どこか不自然な違和感が付きまとう。 そう、これは既視感にも似た不思議な感覚だ。 どこかで聞いた、あの台詞。 ――そうして貴方はいつだって彼女を選ぶ! 私は、絶対に貴方にだけは愛してもらえないのよ! 「……ラファ?聞いてる?」 「!」 レインに声をかけられて、はっとしてラファは顔を上げた。 見ると眉根を寄せたレインが困惑したようにこちらを見ている。 いつの間にかリィナは部屋に招き入れられ、 ルナと楽しそうに歓談していた。 「ご、ごめん、なに?」 「だから、エルにも事情を説明しなきゃならないから、 ラファ、ちょっと行って呼んできてくれないかって…」 「ああ、エルか!ちょっと待って、呼んでくる…」 慌てて入り口の扉に手をかけて思い切り開く。 とん、一歩前に出ると、しかし直後にラファは立ち尽くした。 木造、宿屋の廊下に出るはずだったはずのラファは、 何故だか次の一歩は柔らかい土に着地した。 周囲には鬱蒼と木々が茂り、ラファはほの暗い森に立っていた。 |
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