17.ゼルシャの村 |
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振り返る、そこに、先ほどまでいたはずの宿の一室はない。 またかよ、とラファは毒づいた。 ミフィリという少年に出会ったときと同じだ。 またしても、ラファはいつの間にか全く見知らぬ場所に立っていた。 「勘弁してくれよ…」 これもまた、クレイリスの策略か何かなのだろうか。 そう考えると無性に腹が立つ。 ラファは肩を怒らせて周囲を見回した。 セント・クロスの森とはまた違う、もっと不吉な香りのする森だった。 木々から落ちる葉は分厚くて色が濃く、晴天を覆い隠している。 地面の水分を含んだ柔らかな土には太くて硬い根がそこかしこに伸びており、 少し余所見をして歩いただけでも足を取られそうなほどでこぼこしている。 むっとするような草の香りに、ラファは思わず鼻を腕で覆った。 「どこだ、ここ?」 「ん…誰だよ、せっかく気持ちよく寝てたってのに」 唐突に頭上から、テノールの声が響いたものだから、 ラファはびくりと肩を跳ねて天を仰いだ。 眠そうな声を辿ると、一本の太い大木が目に入った。 幹から辿って真上の枝を見上げる。 と、そこから長い足がずり落ちていて… ラファの思考は、その足の持ち主から投げられた数本のナイフによって掻き消され、 足元に刺さったそれに尻餅をついた。 「うわあっ!」 「あ、やべえ、外した」 すとんと綺麗に刺さったナイフは真っ黒で、 おそらく投擲用なのだろう、短くて持ち手も小さかった。 棒手裏剣のようなものらしい。 つい先ほどまでラファの足があった場所にまっすぐ三本突き刺さったそれを、 ラファは恐怖の形相でまじまじ見つめた。 自分の命を脅かそうとしたナイフから目を離せずにいると、 ラファの目の前にその持ち主が音も立てずに着地した。 衝撃を吸収させるためにすいとしゃがみこんだ青年の首から、 黒い薄手のマフラーの裾がふわりと舞い上がる。 二十代前半だろうか。 赤い錆のような色が混じった薄いブラウンの髪に、きらめく金の瞳。 黒いマフラーは口元を隠している。。 同じく黒を基調とした服は、授業で習った隠密の衣装と似ている気がする。 「あ、ああ、あんた…」 「あれ?なんでこんなところにレクセの学生がいるんだ? やっべえ、危うく殺すところだったな」 全くもって反省していない様子で言う青年の口調は恐怖をあおる。 しかしそんなラファをよそに、青年はぐいぐいとナイフを抜いていた。 「まったくよお、こっそり抜け出してきたから、 てっきり賊の奴らが追っかけてきたのかと思ったぜ。 トレイズさん冷や冷やものだっての。…で、お前はなんでここに?」 「……なんかいきなり転移させられた…」 恐怖のままに正直に答えると、しかしトレイズというらしい青年には通じなかったらしく、 金色の目をぱちくりされただけだった。 その様子は少なくとも今すぐにラファを殺そうというものではないらしい。 ラファはいささか安心して、尋ねた。 「聞きたいんですけど…ここ、どこですか?」 「お前変わってるなあ。ここはレクセの北、ゴドル洞のあたり。 エルフの森だよ」 「えっ、エルフ!?」 素っ頓狂な声を上げるとトレイズはにかりと笑った。 レクセディアとインテレディアの北にはシェイルディアがあるが、 三国の間には無国籍地帯が広がっており、 そのうちレクセの北に広がる森はエルフの根城となっている。 エルフと人間の確執は深い。 近くに人里でもあれば、そこで転移呪文の使える人間を探し出して、 インテレディアに戻ることもできるのだろうが… その相手がエルフともなればお手上げだ。 …となれば、頼れる人間は一人しかいない。 「ご、ごめん!ひとつ頼みがあるんだ!」 「ん?なんだよ、言ってみろって」 「転移呪文、使ってくれないか?」 「はあ?お前この俺がそんな大層なモンを使えるように見えるかよ?」 それもそうだ。転移呪文は高等呪文のひとつ。 つまりよっぽど魔術の得意な奴でなければ使えない。 それをひょいひょいと、国境を越える距離を何人も連れて行えるエルミリカは、 よほど魔術に精通しているに違いない。 通りすがりの人間にそれを期待するほうが間違っていた。 「どうしよう…はやくインテレに戻らなきゃ」 「え、お前、レクセから来たんじゃねえの?」 「色々事情があって…」 ふうん、それ以上深くは聞かずにトレイズは話を逸らした。 「それじゃ、お前。ちょっと協力してくれねえ?」 「…は?」 「いやあ、俺ちょっと困っててさ。 人探しのためにこの近くにあるゼルシャの村ってところに行きたいんだけど、 俺ってちょっと方向感覚が鈍くて迷っちまったんだ。 俺一人じゃ日が暮れても着けないから付き合ってくれねえかな。 もし付き合ってくれたら、その村で転移呪文の使える奴を一緒に探してやるよ」 「この近くにある…って、じゃあその村って、エルフの集落じゃあ…」 「そうだよ。丸腰の学生一人行ったって何もできねえだろ? でも俺がいれば百人力だぜ。天下のグランセルドの一人だからな!」 トレイズの言ったその台詞に、ラファは気が遠くなるのを感じた。 ◆ グランセルド。 世界中を旅して回る殺し屋の一族だ。 世界創設戦争の時代から暗躍していた彼らの所業は恐ろしく、 殺人を快楽とすらしていると聞いている。 彼らの恐ろしさは代々語り継がれ、 世界中の子供たちは親から祖父母から、 「いけないことをするとグランセルドに殺されてしまうよ」と 脅しかけられたことが一度はあるものだ。 …つまり、相当性質の悪い奴らなのだ。 ラファにとってはそれも御伽噺の一種なのだと思ったが、 目の前に当たり前のようにその存在があれば信じざるをえない。 逆に、ラファを殺すことをなんとも思っていないようだった彼の挙動は、 グランセルドだと言われて納得するに相応しいものだった。 「俺の名前はトレイズ・グランセルド。トレイズって呼んでくれ。 まあ人によっては紅雨のトレイズ、なんて呼ぶ奴もいるけどな」 「べ、べにさめ…?」 「そ、紅い雨。縁起のいい二つ名だろ?」 縁起がいいなんてとんでもない。 その二つ名の意味するところを想像してラファは吐き気がした。 紅というその色はこの世で最も尊いとされる色だ。 けれどそれは軽々しく身に纏っていいものではない。 だからこの世界、紅い服を身に着けていい人間は限られている。 血の色だからだ。 人の命の色だからだ。 それが雨のように降り注ぐというのは、つまり人殺しの象徴。 それを楽しげに自己紹介してみせたトレイズの瞳は金色にきらきら光っていて、 ラファに喉の奥が突っかかるような痛みが走った。 「で、お前は?」 「…ラファ」 「ふうん、いい名前じゃん。よろしくラファ」 背の高いトレイズにぽんぽんと頭を叩かれてラファはぞわりとした。 しかしそれに気づいているのかいないのか、 トレイズはどこ吹く風、辺りを見回して尋ねてきた。 「それでラファ、村ってどっちにあると思う?」 「……」 ひとまず、日が暮れるまでにどこか生命のある地に行かなければ。 人肉を奴が食べるとは思わないが、 それでもラファが非常食にされるのは大変困る。 ◆ 「トレイズ、さんは」 「なんだよ他人行儀だなあ、呼び捨てでいいよ」 「…トレイズは、どうしてエルフの村なんかに?」 「………妹をさ、探してんだ」 いもうと?鸚鵡返しに繰り返すと、トレイズはふと微笑んだ。 「俺が六歳の頃だったかなあ、うちの母親と父親がさ、 俺を置き去りにしたまま蒸発しちまってさ。 そのとき連れてったのが俺の妹ってわけ。 妹を産んで、多分殺し屋家業からは足を洗うつもりだったんだろうな。 両親はすぐ見つかって殺されたんだけど、妹は行方不明でさ。 その辺の話は詳しく聞いてなかったんだけど、 最近になってようやく両親が死んだのがこの辺だってことを知って、 もしかしたらそのゼルシャの村ってのに妹がいるかもしれねえってことで、 ここまで遠路はるばるやってきたってわけだ」 ま、俺も無断で出てきたから見つかったら処刑だがな。 軽い調子で言ってみせたトレイズにぎくりとする。 「な、なんでそこまでして…」 「なんで、って…そりゃ、会いたいからだよ。 ま、元気でやってるようだったらそのまま旅人にでもなろうかなあ」 気楽な調子で笑ってみせるトレイズ。 ラファは上目遣いに彼の顔色を窺った。 彼の金色の瞳は決して笑ってなんていなかったけれど、 口元は緩やかに弧を描いていた。 「で、お前は?」 「…え?」 「レクセの学生が転移呪文なんかで飛ばされるかよ、普通。 せっかくこの俺様が事情を話してやったのにお前はなんにもなしか? そいつは悲しいじゃねえか。ちょっとくらい、 このトレイズお兄さんに話してみろよ」 「え、え…」 とは言え説明してどうなるものでもない。 ラファは視線を彷徨わせた。 「…トレイズは、歴史って詳しい?」 「あっはっは!残念ながら俺に学はないんだ。 暗殺術の類ならいつでも教えてやるぜ!」 「……遠慮しておくよ」 不老不死の協定云々の話は脇に置いて、 クレイリスに色々な場所に飛ばされる経緯をかいつまんで説明すると、 やはりトレイズには理解が及ばなかったらしい。 妙な形に眉をひん曲げてラファを見下ろした。 「聖女サマの好きな人とお前が似てるだってえ? で、なぜか生きてる聖女サマにその誤解を解かせなきゃならない?」 「噛み砕いて言えば大体そんな感じ」 「ハッ、俺も大概まともじゃねえと思ってたが、 お前も相当いい線行ってるぜ、ラファ」 「なっ、俺は真面目に…!」 「真面目に言ってるように見えるから変人なんじゃねえか。 俺たちグランセルドはなあ、カミサマも不老不死も信じちゃいない。 信じていいのはただ己と仲間だけ。 聖女サマなんていうのは嘘っぱちだ。 人々に道を指し示してくださるありがたい存在なんて、 そんな都合のいい人間がいたら世の中こんなに淀んじゃいないはずだ」 言い放ったトレイズをまじまじと見る。 もう彼は笑っていなかった。 殺し屋グランセルド。 恐ろしいとしか感じていなかったその存在が、 何故だか妙に儚いものに思えて、ラファは胸がうずいた。 そこまで話したところでトレイズが足を止める。 何事かと彼の視線を追うと、目の前には集落のゲートがある。 どうやら無事ゼルシャの村にたどり着けたらしい。 隣の殺し屋はにやりと口元を歪ませてラファを見下ろした。 「よくやったな奇人学生。変人でも方向感覚はいいのか」 「…奇人でもないし変人でもない」 男は聞かずに悠々とゲートの入り口へと向かっていく。 しかし大丈夫なのだろうか。 ゲートの両脇には見張りらしきエルフが一人ずつ待機していて、 その身の丈よりも長い槍を手にこちらを怪訝そうに睨んでいるというのに? 「ヨォ、ちょおっと道に迷っちまったんだけどさ、 ここはゼルシャの村でいいのかい?」 「何者だ、貴様?」 「いかにもここはゼルシャの村だが… ただの旅人という訳でもあるまい、 この地にいかなる用だ?」 飄々としたトレイズと、隣で縮こまる学生服のラファの組み合わせは、 やはりエルフ相手にも奇異に映るらしい。 彼らはラファ達を邪険にこそしなかったが、 それでも胡乱げに二人を見ている。 「ちょっと人探しにな。 なあ、ここに俺と同じ金の瞳の女がいないか?」 トレイズが問うと、何故だか見張りはぎょっとして顔を見合わせた。 どうやら心当たりがあるらしい。 しかし挙動不審な彼らに疑問を抱いて、 ラファは俯き気味だった顔を上げる。 「どうかしたのか?」 「い、い、いや!アイツに何の用だ?」 「へえ。ってことはやっぱり生きていたってわけだ」 そのときのトレイズの笑顔は、心から嬉しそうなものだった。 今までの面白くなさそうな無理矢理な笑みとは違う。 ぽかんとして見上げていると、 彼はラファを見下ろして照れくさそうに笑った。 「ありがとな、ラファ。 お前がいなきゃたどり着けなかったぜ」 「…俺は、別になにも」 ただトレイズと無駄話に励んでいただけだ。 ラファがいなくとも、そのうち一人で辿りつけただろうに。 ぼそりと吐き捨てると、彼はにこりと笑って、 それから見張りたちに視線を戻した。 「で、そいつに会いたいんだ。 いや、会わなくてもいいかな。 そいつのことについて教えてほしいんだけど」 「おっ、お前、アイツの、ラゼの関係者か!?」 そこまで来てラファは見張りたちの異様な空気に気づく。 まるで、トレイズの妹のことを…恐れているようだ。 トレイズも眉をひそめた。 「俺はアイツの生き別れた血縁者だけど…どういうことだ?」 「血縁者!」 もうおしまいだとでも言いたげに頭を抱える見張り二人。 「まさかお前も奴と同類ではあるまいな!」 「あの恐ろしい忌み子…レイセリア様がラゼを拾ったのは間違いだった! あの小娘は生まれながらにして血に飢えているのだ!」 「……血?」 ラファが低い声で問う。 トレイズは何かに気づいた様子ではっと息を呑んだ。 見張りは絶叫した。 「あの小娘は、『殺す』ことに快楽を覚えるんだ!」 |
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