18.隠されたもの
「やっぱりなァ、こんなことになってんじゃないかって思ってたよ」

嘆息まじりにぼやいたトレイズに面食らって、ラファは彼を見上げた。
赤錆とブラウンの髪をがしがし掻きながら、
トレイズはしょうがないとばかりに眉を寄せている。
ラファは小声で尋ねた。
「どういうこと?」
「俺たちはな、ラファ。殺し屋だ。
それは意識の違いとか教育によるものとかそんな小っせえ尺度じゃない。
遺伝子レベルで俺たちの義務なのさ。
自分が殺し屋であることを知らなくたって、
あるいはどんなに人殺しが非人道的か洗脳されたって、
俺たちは『グランセルド』の血から逃げることは絶対できない。
一族の生まれである限り、何をどうやったって人を殺さなきゃ生きていけない。
そうだな、『そういうふうにできている』んだ」

…そういう風に、できている。

幾度となく聞いた台詞だ、ラファは息を呑んだ。
そして悟った。
この世界の理。ギチギチに固められたレール。
不老不死だけじゃない。
この世界は、一人一人が役割を定められて、
そしてそれは自分たちの力ではどうすることもできない。
絶対に役割からは逃れられない。
不老不死同士が不和であることだって。
グランセルドが人を殺さなきゃいけないことだって、
ひょっとすると、ラファがクレイリスに要らぬ勘違いをかけられたことも。

あらかじめ決められて、変えようのない拘束力を持っているんじゃないか?

ラファは大声を上げて笑い出したくなった。
ふざけるな。そんなことがあっていいものか。
仮にそんな事実があったとして、じゃあどうしてラファはルナと仲良くなれた?
きっとそんなのはでまかせだ。
いやしない神様に、現代の人間を拘束する力なんてあるはずがない!

「まさか!トレイズの妹は単純に気が狂っただけだろ?
トレイズだって、じゃあなんで俺を殺さないんだよ」
「…ま、分からないならいいさ」

トレイズは肩をすくめて、大きな手のひらをラファの頭にかぶせた。
まるで聞き分けのない子供に対する動作みたいだ。
ラファは口を尖らせた。

会話は終わったかと苛々している見張りたちに、トレイズは陽気に言ってみせる。
「で、妹は今どこに?できればこっちで引き取りたいんだが」
「引き取るなんてとんでもない!牢から出した瞬間、
お前たちと共にこのゼルシャを潰すつもりなんだろう!」
「ラゼは死刑だ!あんな娘はこの世にいるべきではない!」
「死刑」

神妙にトレイズが繰り返す。
まるで遠い世界の御伽噺のようだ。
ラファはぼんやりと見張り二人の鬼気迫る表情を眺めた。
隣で青年がハッと笑ってみせた。

「困ったなあ。ここまできて妹の顔も見れずに殺されちまうのは勘弁願いたい」
「たわけ!お前たち、ラゼを逃がすためにやってきたんだな!
おい、こいつらも捕らえるぞ!」
「え、え…?」

急にエルフ二人が手にした槍をこちらに向けてきたので、
ラファは数歩後ずさった。
「ま、待ってくれよ!俺は無関係だって!」
「そう言って我らを騙すつもりか!」
「だから違うって!トレイズ、何とか言ってくれよ!」

助けを求めると、トレイズはなにやら考え込んでいる。
顔を上げるなり、ラファににかりと笑いかけてみせた。
「ラファ、悪いが一緒に捕まってくれないか?」
「………は?」
「なあに、大丈夫だって!俺がなんとかしてやるよ」

その絶対的な自信は一体どこから湧き出てくるのだろう。
そういえば彼はさっきラファを殺そうとしていたじゃないか。
彼にとってはラファは死のうと生きようと関係ないんだ。
もしかしてラファを囮にして、自分だけ逃げるつもりじゃ…

「いっ、嫌だ!俺はこんなところで死にたくない!」
「ええい、黙れ不届き者め!オイ、早く牢へ!」

武道の成績が悪いラファごときがいくらもがいても、
羽交い絞めにしてくるエルフの腕を振り解くことはできない。
隣で悠然と突っ立っているトレイズと共に、
ラファは成す術もなく縄にかけられた。



「過去を変えられるとしたらどうする?」なんてくだらない質問を、
いつだったか、ふとした時にルナに投げかけられたことがある。
現実主義のラファにとってはとんでもない。
その質問自体がくだらない。だって過去なんて変えられるわけがない。
ラファはひとつ鼻で笑った記憶がある。
この暴君が、そんな夢みたいなことを考えるとは思っても見なかった。
絶対口に出しはしないが、内心では彼には幻滅した。
だから冗談っぽく言い返してやったのだ。

「さあな、昨日のテストの点数が満点になるように、とか?」

そうしたら、ルナはげらげらと笑って見せた。
彼は間違いなく学園一の問題児のはずなのに、実際はとんでもない秀才で、
それこそ物語のヒーローみたいな奴なのだ。
「お前ホントに武道の成績ひっでえもんな!」
「うるさい!じゃあルナはなにを変えたいんだよ」

黒髪の美少年は、頬杖をついたまま笑みを引っ込めた。
ただしそれは一瞬だけで、すぐさま悪巧みをするような表情を貼り付けて、
にやにやと言い放った。
「決まってる。俺が生まれないようにするのさ」

それじゃ俺たち親友になれないじゃん。
目を細めて指摘すると、彼は酷く嬉しそうに「それもそうだ」と笑った。



神様仏様、この際ルナ様だって構わない。
今ならクレイリスにだって喜んで助けを求めるだろう。
なんでもいいからこの暗くてカビのにおいのする地下牢から出して欲しい!
ラファはきつく目をつぶって願った。
このままあらぬ疑いをかけられて死ぬなんてごめんだ。

「くそっ、なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだよ!」
自棄になって叫ぶと、斜め向かいの牢から快活な笑い声が響いてきた。
「悪ぃなあラファ。だぁいじょうぶ、俺がちゃあんと助けてやるって」
信じられるわけがない!
頭を掻き毟って唸る。無理矢理狭い牢からトレイズをにらんだ。
彼は暢気に手すりを弾くなどして遊んでいる。
この薄暗い空間では、彼の金色の瞳が不気味に光っていた。

「そんなこと言って、俺を囮にして逃げるつもりだろ。
お前にとっては俺が死のうと関係ないもんな」
「ははっ、おいおい、お前には俺がそんなに非情に映るのか?
俺だって人並みに恩を感じたりするんだぜ。
せっかくゼルシャまで連れてきてくれた恩人を、
こんなところでみすみす見殺しになんてしないって」

トレイズは今度は立ち上がり、ぐるぐると牢を歩き回っている。
一体何がしたいのかラファには検討もつかない。
ためしに牢の扉を全力で押したり引いたりしてみたが、
そもそも非力なラファに金属の扉をぶっ壊すなんて芸当、できるわけもない。
それに先ほど牢にぶち込まれたときに、
魔術の使い手らしき人間が、扉に何か呪文を口ずさんでいた。
もしかすると結界の呪文でもかかっているのかもしれない。

学校では破壊行為に用いる呪文は教えられない。
結界を壊す呪文もまた然り。
魔術はそれなりに得意だったが、
しかし知りもしない呪文を使えるほど万能ではなかった。

「畜生、死にたくねえよお…」
「おーいラファ、悲観するのも構わないが、
そこから見張りとかが見えたりしないか?」

出来る限り声を抑えて、トレイズが尋ねてきた。
ラファは泣きたいのをこらえて首を横に振る。
「人っ子一人いないよ…見張りがいれば俺の無実を証明できたかもしれないのに。
俺たちを突っ込んでそのまま入り口の小部屋に入っちまった」
「入り口の小部屋」

トレイズがゆっくりと繰り返す。
彼の入っている牢から右に数えてみっつ牢を跨いだ、
重そうな鉄の扉の小部屋である。
まだ見回りに出てきてくれればいいものを、
牢にさえ入れておけば安心だと思っているらしい、
彼らは音沙汰もなく詰め所から出てこない。

不満げにトレイズを見ると、彼はなにやら頷いて、
出し抜けに座り込むとブーツを脱ぎだした。
いい加減挙動不審な彼にラファは声を荒げた。
「何やってるんだよ!」
「へへっ、まあ見てなって」

右のブーツをひっくり返して、靴底に手をかけたトレイズは、
ぐっと力を込めて底をひっぺがした。
厚底のしっかりしたブーツの底は空洞になっていて、
中からごろりと小さくて黒い金属の塊が落ちてきた。
「…なにそれ」
「流石にブーツの底までは調べないって踏んでたんでね。
コイツは魔弾銃ってヤツだ。こう見えて武器なんだよ。
魔術を無効化するから、多分結界の呪文も壊れるはずだ」

…魔弾銃。
聞き覚えがある。不老不死を殺せる道具だ!

トレイズは鉄格子から腕を伸ばして、魔弾銃の銃口を鍵に向けた。
ぐっと引き金を引くと、爆発音と共に鍵がいずこかへと吹っ飛んだ。
ゆうらり、トレイズの牢の扉が開かれた。
「な、なんだよ今の!」
「騒ぐな騒ぐな。ホラ、急いで出るぞ。
あんな分厚い扉じゃ、多分見張りの奴らも気づいちゃいないだろ」

トレイズは手早くラファの牢も開け放った。
恐る恐る牢を出ようとするラファの腕をむんずと掴んで、
きょろきょろと辺りを見回している。
そして、あろうことか牢獄の出口とは逆の方向へと歩き出した。
「おっ、おい、出口はむこうだろ!」
「妹を探す」
「そんな!」
ラファは頭を抱えた。冗談じゃない!
「お、俺は逃げる!余計な時間食ってまた捕まったら…!」
「お前一人で逃げられるわけないだろ。
それに、どうやらここは随分広い場所みたいだぜ。
出口はひとつじゃないはずだ」

見ろよ、とずるずる引きずられていくと、十字路に差し掛かった。
あたりを見回してみると、なるほど、
あちこちに曲がり角があり、
しかも薄暗さも相まってどこまで奥が続くのかも見えない。

「め、迷路かよ…」
「多分村の地下全部が牢獄になってるんだろうよ。
さて、あれだけ俺の妹のことを怖がってるくらいなんだから、
さぞかし堅牢にでも閉じ込められてるんだろうな」
「ほ、本当に行く気なのか?」
「当然」

ぐいと腕を引っ張られてしまっては、ラファには止める術が見つからない。
へっぴり腰で進んでいると、不意にトレイズが立ち止まった。
「そうそう、これはお前に貸しておく」
「へ…?」
渡されたのは先ほどの魔弾銃だった。
丁度ラファの手の大きさのそれは、思っていたよりも重たい。
「その様子じゃ武器もないんだろ?
俺は体術でどうにもなるから、護身用に持っとけ。
魔力を込めて引き金を引けばとりあえず使えるから」
「あ、ありがと…」

いつでも使えるように引き金に人差し指を引っ掛ける。
確かこんな持ち方だったはずだ。
こんな小さなもので、不老不死なんて言われる一族を殺してしまえるのだ。
そう考えると、ラファは背筋がぞわりと凍った。

(あれ、待てよ?)
よくよく考えると、ラファも不老不死一族の血を引いているはずだ。
瑠璃の瞳はノルッセルの証。それでは。
(例えば俺が死刑になったとして、殺される心配はなかったんじゃないか?)

そもそも自分が死ねないというのも半信半疑だが、
エルミリカやルナの話から考えるに、ラファは本当に不老不死らしい。
ならば、死の危険といってもそこまで焦ることはなかったんじゃないだろうか。

途端に気が抜けて、ラファは盛大に溜息をついた。
気が緩んだのがトレイズにも分かったらしい。
ちらとこちらを振り返って言った。
「武器が手に入ったからって油断するなよ。
もしかしたら血に飢えてるらしい俺の妹が、
なりふり構わず殺しにかかってくるかもしれないぜ」

冗談のつもりらしい。トレイズはけらけら笑ったが、
ラファは到底笑う気にはなれなかった。
こんな恐ろしい経験は二度と御免だ。

「…過去が変えられるとしたら、絶対もうこんな経験したくない」
先ほど思い返していたルナとの会話。
今だったら確実に平和な日常を望むことだろう。
ラファがぼそりとつぶやくと、トレイズが首をかしげた。
「何だそれ、過去が変えられるとしたら?」

学生ってのはそういう話が好きなのか?
そう言うトレイズは、予想外に気分を害したようだった。
この奇想天外な男ならば、こんな夢見るような話題は好みそうなものなのに。

「過去夢の君じゃあるまいし、そんなのは考えるだけ無駄だな」
「…過去夢の君?」
「過去を変えられる人間のことをそうやって言うんだ。
双子神エルの兄貴のほうの末裔…とかいう話」

そういえば、以前クレイリスがぽろりとこぼしていた言葉だったか。
兄は過去を、妹は未来を。
双子神エルは、兄妹がそれぞれの時間を司っていたはずだ。
だが、そもそもカミサマが本当にいたかどうかすら怪しいのに、
「過去を変えられる人間」なんて馬鹿な話があるわけがない。

「俺からしてみりゃお笑い種だな。
過去に渡る、過去を変える、そんなことが簡単に出来たら、
この世の中もうちょっとマシになってるとは思わないか?」

その言葉を聴いてラファはぎくりとした。
…過去に渡る?
そう聞いて思い返すのは、ミフィリと会ったあの情景だ。
ミフィリは世界創設者のノルッセル。
もう死んでいるはずの人間。

じゃあ、俺が行ったあの場所は、「どこ」なんだ?

「…過去って、過去夢の君にしか、行けないのか?」
「当然だろ。そう何人も過去になんて行けるわけ…ラファ?」

ラファは立ち尽くした。
待て、それじゃ、

俺が行ったあの場所が過去だとして、
じゃあ俺は、「だれ」なんだ?
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