28.黒い本さえなければ
そりゃあ、確かにルナは妙に女々しい部分があった。
例えば風呂は絶対に大浴場を使わずに、寮の自室にある狭っ苦しいシャワールームで済ませていたし、
着替えなども人前じゃ絶対にしない。でも、あまり気にならなかったのは、
ルイシルヴァ学園は「ワケ有り」な人間もやってくる場所だったし、
そういう奴らには深く追求しないのが暗黙の了解だったからだ。

それにしたって、女と言われても妙に納得がいかない。
ルナ様はその性格を除けば全校生徒の憧れの的だったし、
ラファやレインなどよりもよっぽど男らしい気概を持っていた。
どんなに華奢でも、立ち居振る舞いが上品でも、
ルナはいつだって自信に溢れていて、それがとても格好良かったのだ。

シエルテミナの豪奢な屋敷に通されてラファ達は困惑した。
派手な装飾には金をかけていることがありありと分かる。
そのくせホールにも廊下にも人っ子一人見かけないのも不気味だ。
全く落ち着けない客間で、ラファは一口お茶をすすった。
きつめの香りがぷんと鼻先を掠めた。

「まあ…それじゃ、お姉様はご自分の性別のことを、
ラファさん達にお教えしなかったのですか?」
おっとりと向かいのソファでレナが言った。
彼女に悪気がないのは分かるのだけれど、大仰な驚きのしぐさが、
「あなたたち、お姉様に信頼されてないのね」とでも言われているようで、
ラファ達は居心地が悪くなった。

「どうしてかしら…お姉様のことだから、
その辺の男を適当に引っ張っていらして、
子を産むくらいのことはすると思っておりましたのに」
「は?」
「だって、お姉様は性格が悪くていらっしゃるのだもの。
ご存知?お姉様って人のものが大好きなのよ。
チルタだってそう。もともと私のものとなるはずだったのに、
お姉様が屋敷を出て行かれたときにチルタを私付きから外されたの。
私とチルタが愛し合っているのを嫉妬したに違いないわ」

にわかには信じがたい台詞がぽんぽん飛び出して、ラファとレインは絶句した。
最初の「性格が悪い」という発言以外一笑に付すような言葉だ。
確かにあの暴君はお世辞にもいい子だとは言えないが、
何にも囚われない突風のような性格は誰をも惹きつけたし、
人なんてどうだっていいさ、とでも言いたげなクールな性格は、
決して嫉妬なんて邪な感情とは無縁に見えた。
まして、チルタとこの少女が愛し合っている?
ここに来るのを、温和な彼があれほど嫌がっていたのに?
レナを見る目が、まるで侮蔑を含んでいたのに?

「レナ、口を慎むべきだ」
その時、客間の扉が開いてチルタが戻ってきた。
質素な旅装束を脱ぎ捨ててすらりとした使用人服に身を包んだ彼は、
少し伸びた前髪を掻きあげた。
レナの顔が輝く。
「まあ、チルタ!思ったとおり、とっても似合っているわ」
「そりゃどうも」
言葉少なにレナを一瞥すらせずに流すと、チルタはラファ達を見下ろす。
「ラファ君、レイン君、レナの言うことを鵜呑みにしないでね。
彼女は少し、…いやかなり、思い込みが激しいものだから」
「そりゃ、まあ」

彼女の言を信用しろというほうが無理だろう、ラファは内心で付け加えた。
しかし本人を前にしてしれっと言ってみせるチルタの度胸には感心した。
レナは瞳をきらきらさせて、熱っぽい視線を彼に送っているのに、
彼のほうはといえばレナの視線も気持ちも丸ごと無視して、
ゆるやかな嘆息のあとで扉を振り返った。
「ルナ、そんなところで突っ立ってないで入っておいでよ。
ラファ君たちが待ちくたびれちゃうよ」
「ルナ?」

顔を上げると、開けっ放しの扉の向こうから「こっちを見るんじゃねえ!」と、
激しい口調で怒鳴るルナの声が飛んできた。
いつもなら理不尽な暴君の怒りに眉をひそめるところだったが、
今度ばかりは声を上げてくれて助かった…でなければ、
シックな漆黒のドレスに身を包んだ色白の少女の正体に気づけなかっただろうから。
薄い化粧が施されているようだから、余計にルナの女性的な顔立ちが際立って、
それでも表情だけはルイシルヴァ学園の暴君そのものなのだから恐れ入る。
白粉越しでも分かるほど顔を真っ赤に染めて、
ルナはまだ開け放たれた扉の前で仁王立ちしたままだった。
長手袋越しの腕はほっそりとしていて、
どうして今まで彼…いや、彼女が女であることに気づかなかったのか疑問だった。

ラファの隣で、レインがお茶入りカップを口元に寄せかかったまま唖然とつぶやいた。
「ルナってホントに女だったんだ…」
その台詞を聞くに、レインだってラファと似たり寄ったりな意見らしい。
ルナは盛大に舌打ちをして、相変わらずチルタを見つめるレナの隣に座るなり、
憤然と長い脚と腕を組んだ。
姉妹が並ぶと、こんなにそっくりな二人なのに、性格はまるで正反対なことが伺える。

「ルナ、髪飾りが曲がっているよ」
チルタがさっとルナの脇に身をかがめて、黒髪を彩っていた白いコサージュを整えた。
だがこの暴君は気にも留めずに肩をすくめる。
「出来るだけ適当に着てきたんだ、こんな反吐の出るドレスなんて、
さっさと脱ぎ捨てて出てってやる」
「まあ、そんなこと言わないでお姉様。わたくし、一生懸命選んだのよ?
それにお姉様、せっかくチルタが連れ戻してくれたのに、
またこの家を出て行くだなんて言わないで。
別に他の不老不死なんかと仲良くするのは構わないけれど、
ええ、お姉様が変な方だっていうのは前々から知っていたもの…
だけど、お姉様がいないとチルタが探して屋敷を出て行ってしまうのよ?
私たちのことを思うなら、ここでシエルテミナ当主としてのお役目を成すのが、
せめてもの家族への敬意というものではないかしら?」
「敬意!ハッ、馬鹿げたこと言ってんじゃねえよ。
お前と同じ性格だってことすら憎らしいってのに、
なんでてめえなんざ敬ってやらなきゃならねえんだ?
レナ、お前もよくよく周りを見るべきだな。
少なくとも、そこにいるチルタの表情くらいは。…ああ、それとも、
お前はこいつのこんな顔がまさかデフォルトだなんて思ってるわけじゃねえよなあ?」
「…ひどい!ひどいわ、お姉様!ねえ、そう思うでしょうチルタ?」

媚を売るようにチルタに擦り寄る親友の妹と、
不機嫌にその様子を見ている親友を見ていれば、
この姉妹は互いに軽蔑しあっていることは容易に想像がついた。
何があったのかは知らないが、間にチルタを挟んだ決別なのは見て取れる。
レインは理由を聞こうかともぞもぞ尻を動かしている。
だが、触らぬルナに祟りなし、この四年間で痛いほど学んだ経験が、
ラファにもレインにもそれを躊躇させる。
苦肉の策として、レナにしがみつかれて顔を歪めるチルタに助けを求めると、
彼もまたよい助け舟が入ったとばかりに微笑んだ。
「さて、姉妹喧嘩を見るのも飽きたよね?何から聞きたい、二人とも」
「えーと…じゃあ、とりあえず、どうしてルナが男の格好してたってところから…」

しどろもどろに問うと、早速ルナの表情が苦虫を数匹噛み潰したように歪んだ。
化粧も素材も台無しの憤怒に満ち満ちた形相である。
レインが逃さないとばかりに追い討ちをかけた。
「そうだよ、ルナ!僕らびっくりしちゃった。
どうして言ってくれなかったの?」
「お前らは数年来じゃれ合ってた親友がいきなり女でしたって言われて、
ハイそうですかって納得できんのか?隠したほうが楽だったからに決まってんだろ」
開き直った様子でルナは嘲笑する。
だが、その矛先はラファ達ではなく、ルナ自身のように、
彼女は自分で言った台詞に傷ついたかのように唇をひん曲げた。
ちらとレナを見てから続ける。
「別に。小さい頃から男の格好はしてたし、何もルイシルヴァに限った話じゃない。
女当主なんて長いシエルテミナの歴史でもそうそうある話じゃなかったしな。
ある種の心構えってのもある」
「だからって、もともと男の振りまでする必要はなかったんじゃないか?」

ルナはもう一度レナを見た。その意を素早く汲み取ったチルタが、
腕にぶら下がった妹姫を見下ろした。
「レナ、ちょっと席を立ってもらえるかな」
「どうして?チルタ、そんな意地悪を言わないでよ」
「どうしてもだ。レナ、君は話の邪魔なんだ」

レナは気分を害したようだったが、チルタの言葉に逆らいはしなかった。
ぷりぷりと肩を怒らせて部屋を出て行って、
扉が閉まってから数秒たってから、ようやくレナは続きを口にした。
「お前ら、あの妹、レナを見てどう思った?」
「どうって、可愛いけど人の話を聞かない奴だな、とか?」
「チルタのこと好きみたいだけど…」
「…昔はな、レナは俺たちより一個下のくせに、
才色兼備っていうの?とにかく貴族の娘の鑑みたいな奴で、
ついでに俺とチルタとも仲が良かった」

信じられないような話だった。
今の三人には埋めようもない溝があるのは見るも明らかだというのに。
ルナは横目で、綺麗に磨かれた大窓を見るともなしに見ながら微笑んだ。
「昔のレナは病弱だった。だから俺が守ってやらなきゃって思ってたし…
その、な。まあ、当時レナと、ここにいるチルタはまあ…所謂両思いで、さ。
アー…それで、俺は浅はかながら、二人の間には入れっこないと知っていながら、
チルタに…あの、横恋慕ってやつ、してたんだよな、うん。
男のふりしてたのは、それで。
チルタに女扱いされるのは…まあ、色々と複雑だったし、
俺は純粋に、俺さえ邪魔しなければレナとチルタは上手くいくって思ってたから。
この馬鹿の恋愛対象外になるには、男の振りしたほうが手っ取り早かったんだ」
「ルナのほうこそ馬鹿だよ。
その話を抜きにしても、ルナはいつだってレナに遠慮してたんだから」

うるさい、消え入るようにチルタに向けて声を絞り出したルナの肩は震えていた。
そんなルナの姿を見るのは初めてで…いや、違う、
ラトメの宿屋で、ベッドに倒れ込んでラファに訴えていたルナ。
今の彼女を見ると、これまでラファが散々手を焼かされてきた暴君の姿は仮初めで、
細い肩を揺らす彼女こそが、本物のルナなのだと分かった。
それと共に、ラトメで虚ろにつぶやくルナの台詞が蘇る。
――信じて。
あのルナの姿が本当だとしたら、きっと、
彼女が必死になって隠していた真実を、
ラファ達が傷つくと気にしていた彼女の隠し事を、
今この瞬間に、勇気を振り絞って彼女は明らかにしようとしているはずなのだ。

「…何があったんだ?」

静かに、ラファは問うた。
何があっても、自分はルナの友達なのだという、思いをこめて。

ルナは黒曜の瞳を今度はレナの出て行った扉に向けた。 「いつだったか…レナの奴が、一冊の本を手に入れたんだ。
といっても、あいつがどこからか本を買ってくるのはいつものことだった。
病弱なレナはベッドで寝たきりの時も多かったし、
でなくとも周りは大人ばっかりだし、同年代の友達なんていやしないし。
そうなると必然的に本がおともだちになるってわけ。
黒い革表紙の、題名のない本だ。装丁にも何も書いてない。奴はそれを"黒い本"と呼んでいた」
「"黒い本"…」
「そう。だけど、何故かは知らないが…その本は、
俺たちが何をどうやっても、開けなかったんだ」
「開けないって、どういうこと?」
「そのままの意味だよ、レイン君。
まるで全部のページがくっついてるみたいに、
梃子でも中身を見ることができなかったんだ」

チルタの解説に、ラファとレインが顔を見合わせた。
まして表紙も無地だ。本としての価値は皆無と言ってもいい。
「だけど驚くべきは、レナがそれを全く気にしていなかったことだ。
いや、むしろ喜んでた、不気味だったさ、
俺とチルタが躍起になって開こうとしてた本を見て、
『まあ、すごいわ!本物なのね!』って騒いでいやがった」
「…本物、って?」

ラファが聞き返す。チルタとルナの表情を見る限り、
決して心地のいい話になるはずもなかったが、
ここで話をやめるわけにはいかなかった。
ルナが嘆息した。続きを話すのも億劫な様子で。
「"黒い本"は、とある血筋の者にしか開けない、そんな代物らしい。
内容は、そう、何かの暗号書だったはずだ。あいつも詳しくは話さなかった。
どっちにしろ、開きもしない本だ、
レナはまた新しい、今度はちゃんと読むことのできる本を買うだろうって、
俺もチルタも全く気にもしなかったし、次の日にはその本の存在だって忘れてたよ。
…ところが、だ」

ひくり、ルナの喉が痙攣した。
チルタも顔を背けて、レインの空っぽになったカップを眺めた。
「そりゃあおったまげたさ。あいつはな、
次の日に、その"とある血筋"の血液を、自分の体内に注射で入れてたんだ」
「なんだって?」
「"自分にその血が流れてれば、きっと本だって開けるわ"って言ってた。
レナの予測は大当たりだったよ、次の日から、
彼女は寝るのも食べるのも忘れて、三日間ひたすらその本を読み続けた。
何かに憑かれたみたいだったよ…僕はあの時初めて、レナを恐ろしいと思った」
チルタがぶるりと震えた。
ルナも自分だってそうしたいとばかりに両腕をさする。
「すっかり幽霊みたいな顔して部屋から出てきたあいつは、別人みたいになってた。
ワケがわかんねえよ、こけた顔でさ、にっこり笑うんだぜ?
あいつは病弱なんだ、そんな不養生じゃすぐ死んじまうって、
俺は医者を呼びに行こうとした。…そしたら」

言ったのだそうだ、幼いレナは、ひとつ年上のルナに右手を差し出して、
「ねえお姉様、魔弾銃を貸してくださらない?」と。

「気が狂ったのかと思ったね。いや、実際その時にはもう狂ってたんだ。
何をするつもりかって、変な本を読んで自殺でもしたくなったのかって聞いたら、
レナはへらへら笑ってよ、『大丈夫よ、誰も死なないから』って抜かした。
…そこからは悪夢だったね。当然俺は魔弾銃なんて貸しやしない。
安心したと思ったら、俺が部屋を空けたうちに奴が忍び込んできて、
隠しておいた銃を勝手に持ち出したんだ。
丁度その時、俺はチルタを屋敷に呼ぼうと思って出かけてて…
帰ってきたときには、ああ、奴はその時屋敷にいた、
シエルテミナの連中を片っ端から、」

その結末は、最後まで口にされなくても予測がついた。
氷を呑み込んだ時のように、喉からさあと冷たいものが流れ落ちていく。
もしかして、屋敷の中で人を見かけなかったのは、

「ああそうさ、あの事件以来、残った連中は必要以上に屋敷に帰ってこない。
残ってるのは、レナと同じように気が違った奴ばっかりだ。
それで、だ。俺とチルタは血相変えてレナを探した。
最初はまさか、ホールが血の海になってるのが、
可愛い可愛い俺の妹だとは思っても見なかったし、
とにかくレナが心配で、俺たちはあいつを探し回ったんだ。
…俺たちがレナを見つけたとき、レナは丁度俺たちの敬愛する母上殿の頭を、
気持ちがいいくらい綺麗に撃ち抜いたところだった。
俺たちに気がつくなり、あいつは相変わらずへらへら笑ってたんだ。
それで、それで…」
「それで、レナは言ったんだよ。
"お母様たちのこの命を使えば、ねえチルタ、
あなたも私たちと同じように不老不死になれるわ"って」

その"黒い本"とやらに、きっと人間を不老不死にする方法でも、
書いてあったのだろう、そうに違いない。
レナの暴挙は、その企みは、しかし、失敗に終わった。
その場で、ルナはチルタの腕を引っつかんで、その足で屋敷を飛び出したのだそうだ。

「"誰も死なない"ってのは、確かにレナにとっては正しかった。
ルナもレナも、お世辞にも家族というか…互い以外のシエルテミナの人を、
まるで存在してないみたいに扱ってたんだ。
二人揃って、家が嫌いだったんだから」
「当たり前だ。シエルテミナの屋敷にいる連中はどいつもこいつも強欲で、
だからだろ、レナもこいつらなら殺したっていいって思ったんだ。
冗談じゃねえ。あいつの行動はチルタを想うゆえで、
不老不死のレナと、普通の人間のチルタが、
一緒に生きていくことができないからだってのは分かってる。
どんなに頭がよくても、あいつはやっぱガキだったんだよ。
倫理感もなにもあったもんじゃねえ。
レナは、未だにチルタは、そんな馬鹿やったレナを好きで、
俺は二人を無理矢理引き裂いた悪女なんだって思ってやがる」

そこから三人の確執が始まったのか。
チルタの様子と、引いては彼の性格を考えれば、
レナのそんな現場を見てしまってもなお彼女への愛が持続するとは思えないし、
まだ当時は揃って子供なのだ。耐え切れるわけもない。

「だけど、チルタは…その、ルナを探して旅してたって言ってただろ?
ルナを連れ戻そうとしてたんじゃないのか?」
「そもそも、一緒に出て行ったのに、
どうして二人とも…分かれて行動することになったの?」
二人で問うと、ルナとチルタは意味ありげに視線を交わした。
「…さっき、屋敷に残ってるのは、気が狂った奴だけだって言っただろ?
その筆頭が、うちのお父上ってわけだ」
「彼は、つまり、ルナの先代だね。ルナのお父上は、
レナのことをすごく気にかけてた。
聡明で、お淑やか、おまけに病弱。手の掛からないルナと違って、
レナを物凄く可愛がってたんだ。
僕らはそれでも、彼ならレナのことを止めてくれるって思ったんだ。
その時シェイルの城に行っていた彼に会いにいって…
だけど、分かるだろう?彼はレナには甘いんだ。
お父上は、こともあろうに、僕のためにレナがやってくれたことを、
無駄にしちゃならないって、僕を引っ張って屋敷に連れ戻そうとしてきた」
「なんでだよ!ルナ達の母さんってことは…自分の奥さん、殺されたんだろ!?
なんでそんなことが、」
「不老不死の奴ってのはなあ、ラファ。そういうもんだ。
命の重さっていうの?まるで理解しちゃいねえんだよ。
自分で自分の死に際を決められる奴にとっては、
その灯火が不意にぱっと消えちまったところでたいした問題じゃねえんだ」
「だけどルナは違う」

レインがきっぱりと言った。懇願にも似た響きだった。
「ラファだって、エルだってそうだよ。そうでしょ?」
「俺は一般論を話してるんだ、レイン。だから俺は、親父からこの金のイヤリング…
シエルテミナの当主の証、こいつを奪い取ってそのまま逃げた。レクセに。
イヤリングを持ってる奴が当主だ。別に儀式があるわけでもなんでもない。
シエルテミナは当主の決定が絶対だから、
レナのやることに反対した俺が当主の座を得れば、
どうしたってレナの奴はチルタを不老不死にはできない。
…まあ、ルイシルヴァで男の振りをする必要は確かになかったかもな。
だけど、俺が女のルナ・シエルテミナだって痕跡は残しておきたくなかったし、
何より俺が男装のほうが楽だった」

最後は肩をすくめて、ルナはそう締めくくった。
突拍子もない物語にラファは大意を咀嚼していたが、
ふと疑問をぽろりとこぼした。
「あれ…だけど、チルタはモール橋で会ったとき、
ルナを探してたって…屋敷に連れ戻すつもりだったんだよな?
そんなことがあったんなら、屋敷になんて戻らないほうがいいんじゃないのか?」
「まあね。でも、ルナはやっぱり当主だから。
もともとは僕を助けてくれるために得てくれた権力だけど、
ルナはそれと一緒にシエルテミナの責任まで背負い込んじゃったんだ。
当主である以上、この狂った屋敷を変えられるのは、やっぱり当主しかいない」
「ハッ、お笑い種だな。その責任から逃げ回ってたと思ったら、
今度は実家どころか不老不死全体の命運まで握っちまったってんだからな!」

げらげら笑うドレス姿のルナはやはり淑女には程遠く、
相変わらず中身は暴君であることが伺えた。
笑った勢いで、またもコサージュがふらりと傾いたのを、
チルタがやんわりと付け直してやっている。
その様子は仲睦ましげな恋人というよりは、やはり保護者と手のかかる子供のようで。
本人を前にして恋心を暴露しているあたりを見ると、
ルナのほうは、今ではチルタへの思慕は鳴りを潜めてしまっているらしい。

ひとしきり笑うと、ルナはふっと息をつくとともに、
ばつが悪そうに口角を上げた。
いつもと同じにやりとした不穏な笑みなのに、
眉尻が下がっているからか、どこか不安げだった。
「…ま、俺が隠してたことは粗方言っちまったな。軽蔑した?
性別、騙してたり、さ。結果的に俺は家を捨てたわけだし」

言葉尻が震えている。
やはりルナは年端も行かない少女に過ぎないのだと思い知らされた。
ラファにとってはルナは暴君で、親友で、
確かに女だと知って、あれやこれや、異性だと知っていたら、
きっと言わなかっただろうこともたくさん、たくさんあって。
家を捨てたと言われても、ラファにはぴんとこない。
レナの一件は衝撃的だったし、ルナの血縁者と言われれば、
ひょっとするとルナにもそんな一面が隠れ潜んでいるんじゃないか、なんて。
そんな馬鹿みたいな考えもふつふつと浮かんで。

だけど。
信じるって、言ったんだ。ルナは寝ていたから聞いていないだろうけど。
そうだ、自分が特殊な家の生まれだと知ったとき、
ルナの家とは相容れないはずなのに、
それでも彼女は一笑して自分たちは親友だと豪語してくれた。
その誠意に、その信頼に、今度は俺が応えるべき時じゃないのか?ラファ。

「…なあ、ルナ。俺たちって親友、だよな」
「お前がまだ俺のことをそう思ってるなら、そうなんだろうな」
「じゃあ、いいよ」
ルナは瞠目した。すると彼女の顔立ちがあどけないことに今更気づいて、
ラファは気恥ずかしくなって彼女から目をそらした。
「別に、俺が不老不死だって分かっても、ルナもレインも、
変わらずに俺のこと親友だと思ってくれてるだろ?
なら、ルナが女だったとしたって、そんな大した問題じゃないって」
「そうだよルナ!女だろうと男だろうとルナはルナだよ。
それともルナは、男の僕たちとはもう一緒にいられない?
僕達の絆って、そんなものだったの?」

レインも便乗して力強く言った。
ルナは親友二人を交互に眺めて、そして、一瞬、ほんの一瞬だけだったけれど、
きらりとルナの瞳が潤んだ光を放った。
こらえるような瞬きのあとで、ルナは、この世の幸せを片っ端からかき集めたような顔で、
一輪の花がぱあと柔らかに開くみたいに、わらった。

「ありがとう、ふたりとも」

今まで聞いていた、吐き捨てるような少年の声ではなく、
ハスキーな少女のアルトボイスで彼女は春風のようにささやいた。
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