34.世界創設戦争 |
|
ラファは心底不思議だった。 自分が、ウラニアとレーチスの息子かもしれない。 馬鹿馬鹿しい。以前のラファならば即座に一蹴していたであろう仮説。 だってそのはずだ、自分には父も母も健在で、確かにこの瑠璃色の瞳は誰の由来か分からないけれど、 だからといって千年も過去の人間たちの息子だなんてどうして信じられる? …それなのに。 ラファは、心底不思議だった。不可思議でしかたなかった。 何故、自分は、ウラニアとレーチスの息子であるという仮説に、 全くこれっぽっちも、違和感を抱いていないのだろう? 次に見せられた場面は見覚えのある場所だった。 白い石でできた神殿。庭園を通る渡り廊下。 自分が、ミフィリと、虚ろな瞳のエルミリカと出会ったあの場所だ。 …自分が、レーチスと勘違いされた、 『ここはファナティライスト神殿よ』 ウラニアが説明した。 「ファナティライスト?じゃ、ここはもう戦争が終わった後なのか?」 辺りを見回しながら尋ねると、ウラニアはくすりと笑った。 しばらくの沈黙のあと、ラファの質問には答えずに、ウラニアは質問を重ねる。 『…ねえ、ラファ君?戦争は、いつ終わるんだと思う?』 「え?そりゃ…国同士で会合を開いて、協定を結ぶまで…」 『定義としてはそうでしょうね。確かに協定を結べば、 国々は剣を取り互いの国に向けて振るうことを禁じられる。 …でもね、だからといって、それで本当の「戦い」が終わるわけじゃないのよ』 「……どういう意味だ?」 ウラニアは答えなかった。というより、答えようとしたが唐突に口をつぐんだようだった。 人の気配を感じて、ラファは渡り廊下のむこうを見た。 奥から来た人物に声を上げそうになるのをこらえた。 にこにこと笑っているミフィリと、顔をしかめているレーチスが並んで歩いていた。 レーチスは少し背が伸び、顔つきもぐっと男らしくなり、以前にも増して格好よかった。 ミフィリはラファが会ったときと同じ、温和そうで柔らかな表情で、 顔のパーツのところどころはレーチスと似ていたけれど、 彼よりも背が高く、レーチスほど美しくはない。愛嬌のある顔立ちだった。 「ねえ、教えてよレーチス。エルミリカとの馴れ初め」 「……だから、覚えてないって言ってるだろ」 不機嫌そうにレーチスは吐き捨てた。ラファは、レーチスの喋り方が、 どことなく自分と似ているような気がした。 ミフィリはええ?と笑い混じりに声を上げる。 「そりゃないよレーチス。好きな相手との出会いくらい、普通覚えてるものでしょ?」 「だから覚えてないって…」 レーチスは突然言葉を切った。 何かを思い出すようにこめかみに手を当て、じっと目の前のミフィリを、 ほんのわずかに目を見開いて見つめている。 ミフィリが訝しげに声を上げた。 「…なに?急に見つめないでよ。どきどきするなあ」 「ふざけたこと言うな。……あれ?あのさ、ミフィリ。 一つ聞いてもいいかな」 「なに?僕に恋人はいないけど、男と、それも兄弟と恋愛するつもりはないよ」 レーチスはミフィリを軽く小突いて、それから押し黙った。 ミフィリがこてんと首をかしげた。 「どうしたんだい?」 「……君って、誰、だったっけ」 いきなり、「兄弟」であるはずのミフィリを、 全く見ず知らずの人間に話しかけるかのように尋ねたレーチス。 ラファは今度こそ声を上げた。 「あれ、この会話…」 自分が、ミフィリと出会ったときと、同じ? 本気でわからない、といった風のレーチスに、ミフィリが案の定噴出した。 「あっははははははははは!!! ちょ、お前、まだボケるには早いよ…くくっ、今まで話してただろ! あっは、ミフィリだよ、ミフィリ。どう、覚えた?」 「……ミフィリ?」 かみ締めるように、自問するように、レーチスは唱えた。 今さっき彼はその名前を呼んだばかりではないか。 それなのに、レーチスの記憶の中に彼はいないとでも言うように。 ミフィリは腹をかかえて笑っている。 「そう。まったくもう、変な実験にかまけて記憶喪失にでもなっちゃったの?」 「違う!」 「じゃあ新手のギャグか。まったくもう、笑わせないでよ」 「そうじゃなくて…」 「どうかなさいましたか?」 その時だった。ラファの覚えている一幕と同じように、 黒い神官服を着込んだエルミリカ・ノルッセル…いや、彼女の姿をしたウラニアが、 虚ろな瞳に臆することなくまっすぐに彼らの元へ歩いていった。 手には大量の書類。彼女はレーチスたちの数歩前で、 彼らとの距離感を確かめるようにゆっくりと止まった。 あの傲慢な笑みはその顔にはない。 その時、レーチスがどこか驚いた様子でウラニアを見た。 なんで彼女がここにいるのか、とでも言いたげだ。 口を開いたレーチスよりも先に、しかしミフィリが声を上げた。 「やあエルミリカ。今日も研究かい?」 「いえ、今日は聖女と神都の様子を見に…」 「いいなあ」 ミフィリが羨ましそうに声を上げた。 しかしレーチスは困惑した様子でウラニアとミフィリを交互に見ている。 何か考え込んでいる様子だ。 「僕たちはまたエルフとの会議だよ。 まったく…エルフ達は頭が堅くてやんなっちゃうよ」 「無駄にプライドだけ高いですしね」 「え…?」 とうとう訝しげな声をレーチスが上げたので、彼の異変にウラニアが気づいた。 彼女は眉をひそめてレーチスのいる方向を見た。 「…どうしました?」 「い、いや、だって」 「こいつさあ、なんか知らないけどボケが始まったみたいなんだよね。 ま、そのうち治るだろ。前もそんなことあったし」 「ああ…ありましたね。また突発性記憶喪失ってやつですか」 さらりとウラニアが返す。いや、本当に彼女はウラニアなんだろうか? ラファは僅かに疑いの心を持った。 なにせ、先ほどまでの記憶、そして頭の中でラファに語りかける彼女と、 今レーチスを見ている虚ろな瞳の彼女の性格には、微妙にずれがあるように感じられたのだ。 ウラニアはすぐに話を戻した。気にすることはない、とでも言いたげな。 以前のウラニアならば、血相変えて「どうしたんですか、レーチス様!」とでも 騒ぎ立てそうなものなのに。 「「…まあとにかく、そのエルフの話は聖女の耳には入れないほうがいいですよ」 「勿論。あの子はそういう差別が嫌いだからね。 じゃ、エルミリカ。神都見物の感想を待ってるよ」 「……ええ。きっと…」 憂えるように、少女は笑った。 レーチスの隣をすり抜けて、危なげなく歩いていく。 レーチスはその背を見送っていた。いつまでも。 それに気づいたミフィリが首をかしげた。 「…どうしたんだい?今日はなんか変だよ、レーチス」 「……待って」 ウラニアの背中を見たままレーチスが声を上げた。 「待って、……、エル」 一瞬、別の名前を呼ぼうとして失敗したレーチスが、 彼女の背中に向けてもう一度言った。 エルが振り返った。 「なんでしょう?」 「あ、いや」 レーチスは口ごもった。 「……君は、エルミリカ・ノルッセル…だよな?」 彼は何を聞いているのだろう!?ラファは憤りそうになった。 それから一拍置いてピンとくる。 "黒い本"に書いてあったじゃないか、ウラニアのことは、 人々の記憶から消えていったのだと。 それは、過去夢の君だったレーチスも同じだったんだ! ウラニアはくすりと笑った。 「何を仰っているんですか?」 「あ、ごめん…いや、なんかちょっと、俺の知ってるエルミリカと、 君が、なんとなく……違うような」 「レーチスってば、変なの。エルミリカは昔からこうやって、 慈愛溢れる女神みたいな性格だったじゃないか」 「ふふ、ミフィリったら」 くすくすとウラニアが笑う。レーチスは納得いかない様子だ。 「そう、だっけ」 「あら、レーチスは私がそんなに冷たい女だとお思いだったんですか?」 「違う!そうじゃなくて、……あれ?エルって俺のこと、 昔から"レーチス"って呼んでたっけ?」 「ええ、確か…違いましたか?」 エルミリカ・ノルッセルはきょとんとした。 ミフィリもいよいよ挙動不審なレーチスに眉をひそめていた。 構わずレーチスは続ける。 「だって君は、昔俺のこと"小童"って、」 レーチスがはたと何かに気づいた様子で言葉を切る。 「小童、って…俺に、ウラニアを奪われるのが、勿体無いって…」 最後のほうは声にならないようだった。 愕然とした表情でエルミリカ・ノルッセルを見つめている。 突然目が覚めたように、彼は信じられないものを見るような様子で、 その場に立ち尽くしていた。 「…レーチス?どうしたんですか、具合でも悪いのですか?」 心配そうな声音でエルミリカ・ノルッセルは問う。 しかし、レーチスは聞いていなかった。 「まさか」 「…?レーチス!」 「え、レーチス!このあと会議だよ!?」 弾かれたようにレーチスは身を翻して元来た道を駆けていった。 エルミリカとミフィリの呼びかけにも応じない。 すると、頭の中でウラニアが鋭く叫んだ。 『ラファ君!レーチス様を追って!』 「え!?」 言われるがままに彼を追う。レーチスは非常に足が速かった。 そこは自分とは大違いだ。息を切らせながらなんとかレーチスの背中を見失わずに走る。 レーチスはある一部屋に飛び込むと、扉を開け放したまま、 紙の束や本を床に積み上げた山をいくつも作った部屋を漁っている。 紙の束をひっくり返している。何かを探しているのだろうか。 「そうだ、確か、ここに……あった」 レーチスはある一枚の紙を引っ張り出した。 少し黄ばんだそれを覗き込む。ラファは息を呑んだ。 エルミリカとウラニアが描かれていた。 豪奢な椅子に座って傲慢に微笑むエルミリカ・ノルッセルは何故か瞳が虚ろで、 椅子の背もたれに柔らかく手をかけたウラニアの顔は何度も書き直され、 実物よりも少しエルミリカに似ている。 『レーチス様はこれを、二人が入れ替わった後に描いたのよ』 悲しげにウラニアが言った。 『だから、完璧に私たちを描くことは、できなかったの』 記憶がないから。 ウラニアが言う。ラファはもう一度その絵を見た。 レーチスは肩を震わせてその絵を見ていた。 そして、彼は紙をひっくり返して裏側を見る。 端正な文字で丁寧に書かれた一文。 『エルミリカ姫と召使ウラニア、ロゼリーにて』 ウラニアの名前のところで何度か書き直しが施されていた。 『二人が最後の"予知夢の君"となりますように』 「ウラニア」 そのか細い声にぎょっとして、ラファはレーチスを見た。 レーチスは泣いていた。 「ウラニア……」 何度も確かめるように、その文字を指先でなぞった。 ぐっと自分を抱き締めるように抱いた。 その姿は喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。 「レーチス?」 そのときだ。開け放した扉の外から誰かが声をかけてきた。 振り返ると、目を剥いた聖女クレイリスが間抜けに口を開いて、 レーチスに駆け寄る。 「ちょっと、レーチス、どうしたの? 何泣いてるのよ」 「レイリ…」 涙をこぼしたままでレーチスが彼女を見た。 「俺は馬鹿だ」 「はあ?」 「俺は馬鹿だ、大馬鹿者だ… 彼女を忘れるなんて、俺、どうかしてたんだ」 「レーチス?なんかおかしいよ、大丈夫?」 レーチスの脇に膝を付いて、背中を撫でさすっている。 その様子からは、今までラファが会ったあの気狂いのクレイリスなど 片鱗も見当たらない。 違和感がする。彼女は本当にクレイリスなのか? そう思ってしまうほど、目の前の聖女は別人だった。 その時、クレイリスの視線がレーチスの手元に留まった。 黄ばんだ紙の文字を読んで、彼女の眉が寄る。 「…エルミリカに、召使なんていたっけ」 「!」 「あ、そりゃいるわよね。なんたって女王様だし。 レーチス、その召使と知り合いだったの?」 「……レイリは、覚えてない、んだな」 レーチスが肩を落とした。彼はもう泣いてはいなかった。 絶望した様子で紙に視線を落としていた。 「覚えてないって?」 「…今、世界創設者の中にいる、エルミリカは… 彼女は、エルミリカ・ノルッセルじゃないんだよ、レイリ」 「え?」 「エルミリカなんかじゃ、ないんだ…」 クレイリスの、レーチスの背をさする手が止まっていた。 若草色の瞳がいっぱいにまで見開かれていた。 低い声で呆然と問うた。 「なにそれ」思わず口走ったような声だ。「どういうこと」 「そのままの意味だよ」 レーチスは俯いたままだ。 「彼女は、エルミリカじゃない。エルミリカの姿をした、別人だ」 クレイリスはよろよろと立ち上がった。 その表情は人間らしくなかった。 瞬きひとつせず、目を丸くしたまま唇をぎゅっと引き結んでレーチスを見下ろし、 拳を堅く握り締めて、やがて冷たい声で言い放った。 「信じない」 「レイリ」 「信じない!」 クレイリスは部屋を飛び出した。 すかさずウラニアがラファを促す。 『クレイリス様を追って!』 「またかよ…」 レーチスを追うだけでもラファはへとへとになっていたが、 クレイリスの足も速かったので、ラファはげんなりした。 戦時中の人間は足も速くなるのだろうか? 関係のないことを考えながら、彼は神殿の外へと駆け出していくクレイリスを追った。 ◆ クレイリスの行き先はある教会の門前だった。 そこでエルミリカ・ノルッセルが手持ち無沙汰に突っ立っている。 彼女は足音を聞きつけたようで、クレイリスのほうをぱっと向いた。 「レイリですか?」 クレイリスは黙ったままだ。唇の両端を伸ばしたままで、 エルミリカ・ノルッセルの手首をぎゅっと握りこむ。 「…レイリ?」 「ちょっと来て」 クレイリスは辺りを見回しながらずんずんと歩き出した。 歩幅の狭いエルミリカはよろめきながらなんとか彼女についていく。 しかしクレイリスはお構い無しに人のいないほうへと向かっていき、 そして辿りついた先は崖のすぐ傍だった。 崖。いやな予感がする。 そこは少し風が強かった。 なびく銀髪を押さえながらエルミリカが不安げに辺りを見回す。 「レイリ…ここは?」 「人のいない場所で話したかったから。 神都で人のいないところなんて、ここくらいしかないし」 クレイリスはエルミリカから手を離して腕を組んだ。 エルミリカは所在無さげに、しかし怯えた様子でその場から動かないようにもじもじしている。 きっと目が見えないから、ここがどこか分からないのだろう。 その時になってようやく、ラファはエルミリカの瞼にうっすらと傷跡があることに気づいた。 化粧で上手く隠れているから、今まで気づかなかったに違いない。 「ねえ、あなたがエルミリカ・ノルッセルじゃないって本当?」 「……はい?」 エルミリカは戸惑いながら首をかしげた。 「レーチスにも言われましたけど…どうしてそう思うんですか?」 「とぼけないで!レーチスは嘘なんてつかないもの。 レーチスが言ってたの。あんたはエルミリカじゃないって!」 「……レーチス、が?」 エルミリカは、その少女は、片眉をぴくりと動かした。 クレイリスはさらにまくし立てる。 「ねえ、いつからエルミリカの格好をしてるの? 私とエルミリカは会ってすぐに気が合って、 しょっちゅう一緒にいたけど。あれも偽者なの?あんたなの? それとも、あんたは私の親友のふりをしているだけなの?」 「………」 エルミリカが口を閉ざした。 しかし、何を言われているのか分からない、という風でもなかった。 思うところがあるように、考え込むように、虚ろな視線を彷徨わせている。 「ちょっと、答えてよ!」 「……わかりません」 エルミリカは震える声で言った。 「私は、エルミリカ・ノルッセルじゃないとすれば、誰なんでしょう」 「…ふざけないで!」 とうとうクレイリスが激昂した。 「私の親友のエルミリカを出してよ!」 「レイリ、私は…」 「私の親友じゃないなら、私をそんな風に呼ばないで!」 かの聖女は耳を塞いだ。エルミリカは途方に暮れた様子で伸ばしかけた手を引っ込める。 それから、自信なくぽつりと言った。 「…私は、分かりません。自分が、誰なのか」 「……」 「でも、嘘はついてないんです。 私は自分がエルミリカだと思うし、これまでだってそう思ってきました。 だけど…」 エルミリカは一瞬視線を彷徨わせた。 「時々、自分が自分ではないような、そんな気がするのは、確かなんです。 私は別の人間として生まれてきたけど、いつの間にかエルミリカ・ノルッセルという人間に なってしまったかのような、そんな気が…」 「私を馬鹿にしてるの?」 クレイリスは嘲笑した。歪んだ笑顔だとラファは思った。 「そんなことあるわけないじゃない」 「それは、そうですが…」 「適当に言い訳しないでよ。あんたがエルミリカじゃないなら、 最初からそう言えばいいじゃない!」 「レイリ、」 エルミリカが伸ばした手を、クレイリスが払った。 その反動でエルミリカがよろける。 彼女から距離を取ろうと、数歩後ずさる。 ラファは彼女のその立ち位置に、聞こえないと知りながら思わず声を上げた。 「危ない!」 彼女は盲目だ。間違いなく。 人にぶつからないように、余計に距離を取っている気がする。 だから、必要以上にクレイリスから離れようとしたエルミリカの足は、 そうと知らずに崖の外側へと踏み出していた。 ぐらりと、エルミリカの身体が傾いた。 彼女は、自分が崖にいることに気づいていなかったのだ! クレイリスの顔色がさっと青く染まった。 「エルミリカ!」 叫んで、前に出て、エルミリカの手を掴もうとする。 しかし、二人の距離が離れていたこともあって、 そしてエルミリカにはクレイリスの手の位置が分からなかったこともあって、 二人の手は交差することなく空を切った。 スローモーションで景色が見えた。 エルミリカが落ちていく。 ラファは崖の下を見る。 彼女は唖然とした様子で目を見開いていた。 それからその表情はやがて柔らかな微笑みとなり、 瑠璃色の瞳はあんなに虚ろだったのに、今では温かな光が灯っていた。 彼女は中途半端に腕を伸ばしたまま笑っていた。 その瞳には、涙が浮かんでいるように見えた。 エルミリカ・ノルッセルの最期の情景は最後まで映ることなく、 そしてラファは、気づけばまたあの闇の中に立っていた。 ウラニアが腰を下ろして、黒い本を開いている。 ラファは立ち尽くしたままつぶやいた。 「レインが、エルは崖から落とされて、気づいたら今の時代の孤児集落にいたって言ってた」 ウラニアは聞いているのかいないのかわからない。 黙って本を見ているだけだ。 「……クレイリスに、だったのか」 「彼女は何も悪くない」 神妙にウラニアは言った。 「ただ、タイミングが良くなかっただけ」 「だけど、あいつがもうちょっと場所を考えて… それに、ウラニアの話をちゃんと聞いてあげていれば」 「ラファ君、あなたなら聞ける?『この人は絶対に嘘はつかない』と信じている人に、 自分の親友は偽者なのだと言われたら」 ラファは口を閉ざすしかなかった。 確かに、混乱して、相手の言うことに疑心暗鬼になるかもしれない。 クレイリスの反応は至極まともだと言えた。 しかし、これまでクレイリスにはあまりいい感情を持たなかったことと、 逆にウラニアに何がしかの親近感を抱いていたために、 ここで認めることはできずにラファは言い募った。 「でも!無人廃墟の館で会ったクレイリスはまともなんかじゃなかった。 俺のこと…多分レーチスと勘違いして、訳の分からないことばかり!」 「…本当に?」 ウラニアを見ると、彼女はもう本など見ていなかった。 じっとラファを見据えて、真剣な表情で尋ねてくる。 「レイリは、本当に、まともじゃないのかしら?」 「…何が言いたいんだよ」 「本当にまともじゃないのは、誰なのかしら」 自嘲気味にウラニアは微笑んだ。 「……それは、本当に、レイリなのかしら」 どういう意味だ、聞こうとしたが、その時、ウラニアの身体を闇がぶつりと覆い隠した。 ラファは慌てて叫ぶ。 「お、おい、ウラニア!?」 「夢の終わる時間。ラファ君、よく考えて、答えを出すの。 ……いろんなことに、惑わされないで」 さらりと、闇に頬を撫でられた。ウラニアの手だと何故かラファには分かった。 「あなたに幸がありますように。 ラファ君、あなたが呼べば、わたしはいつでもあなたの助けとなりましょう」 「おい!」 ◆ 「おい、ラファ?お前なにさっきからボケッと突っ立ってるんだよ」 胡乱気な声が聴こえて、ラファは我に返った。 見ると周囲はレンガ造りの町並みになっている。ラトメだ。 目の前には実に嫌そうな顔で女物の服を着ている暴君。 そして首を傾げてラファを見るレインの姿があった。 戻ってきた?心の中でつぶやく。 小脇には、いつの間にウラニアから取り戻したのだろう、"黒い本"がある。 もしかして、全部全部、本当に夢だったのだろうか。 ラファは黒い革表紙を開いた。 すると。 一枚の羽根。白い羽根。それが、挟まっていた。 柔らかな羽毛がラファの指を掠める。 「あれ?さっきそんな羽根なんて入ってたっけ?」 レインの声も気にならずに、ラファはその羽根を目の高さまで持ち上げて、 呆然としたまま呼びかけた。 「…ウラニア?」 なあに、ラファ君? 楽しげな声が、頭の奥から響いてきた、気がした。 |
|
BACK TOP NEXT |