36.占術師のジレンマ
エルミリカが、分厚い化けの皮を被っていたことに一番衝撃を受けているのは、レインのようだった。
考えても見れば当然の話だ。
この中で最もエルミリカと付き合いが深いのはレインだし、
ラファと知り合いになるその前から演技をされていたのだと知れば、
彼女に対して猜疑心に苛まれるのも仕方のない話だろう。

けれど、エルミリカは再び仮面を被り、普段となんら変わらぬ、
物腰柔らかな態度でレインに笑みを浮かべ、世間話を始めていた。
ラファはそれを見て思う。エルミリカは男嫌いのはずなのに、
それでもレインを傍に置いておくのをよしとしていたのは何故なのか。
レーチスやニカを決して受け入れようとしなかった彼女は、
その辺にいる少年でしかないレインを何故気に入ったのか。

そもそも、彼女が本当にウラニアのふりをするなら、
どうしてレインにだけは敬語を使わないのだろうか。
ウラニアはもともと礼儀正しい人間のようだったが、
それこそエルミリカとして生きるようになってからも、
誰に対しても、決してその丁寧な口調を砕けたものにすることはなかった。
ウラニアが敬語を用いなかったのは、そう、夢の中、
息子であるラファに対してのみだった。

結局、謎は深まるばかりである。
ラファは溜息をつき、どうにか考えを纏めようとして…気づいた。

「……あれ?」
「どうしたんだよ、ラファ」
ルナが尋ねてきたが、それに返している暇はない。
これまでの体験が走馬灯のように駆け巡る。
クレイリス、チルタ、不老不死の人々、グランセルド、そして世界創設者…
クレイリスはラファをレーチスだと思っていた。
エルミリカはラファをウラニアと重ねていた。
では。

「…レフィルは、俺を誰だと思ったんだろう」
まず、レフィルは誰なのか。
ウラニアは、彼を「レーチスの親友で兄弟のようなものだ」と言っていた。
千年前の人間が現代でラファと顔を合わせるということは、つまり。

不老不死。

「ルナ達には言ってなかったけど、俺、ルシファの村でレフィルって奴に会ったんだ」
ラファはルナに向き直った。
「あいつは俺に、俺が『ラファ』である確証なんてどこにもないって言ってた。
あいつも俺と誰かを重ねてたみたいだけど…」
「レフィルってのも聞いたことあるな」
もう何を言われても驚かないぞとばかりにルナは肩をすくめた。
「世界創設者の一人だ」
「夢の中で俺、あいつを見たよ。レーチスの親友だって。
…レフィルも、俺をレーチスだと思ったのかな…」
「私の知るレフィルという人間は、そんな浅はかな者ではありませんよ」

後方をレインと並んで歩いていたエルミリカが口を挟む。
「ただ、彼は何があってもクレイリスの味方です。
レーチスも、エルミリカ…まあこの場合は私ではなくウラニアの方ですが…
彼らがいなくなってしまった今、彼女の味方であり続けられるのはレフィルただ一人ですから。
そういう観点で言えば、たとえレフィルの本心がどうであれ、
あなたをレーチス・ノルッセルだと思う『振り』をすることはあるでしょう。
…とはいえ、彼は本来現実主義的な人間です。
レーチス・ノルッセルが歴史から姿を消したのに、
未練がましくレーチスの生存を信じるような無意味な真似はしないでしょう」
「…お前ってさ、男嫌いって割には、ちゃんと人の性格とかを見抜いてるんだよな」
ルナが抜け目なくエルミリカを睨みつけながら言った。
しかしエルミリカはそれには返答しない。と、レインが首をかしげた。
「あれ、『歴史から姿を消した』って、どういうこと?
レーチスさんがその後どうなったかとか、ラファは何も言ってなかったよね?」

そういえば。ラファははたと気がついた。
エルミリカの正体をレーチスが思い出したあと、彼がどうしたのか、ラファは知らない。
ウラニアも何も言っていなかった。ラファはエルミリカを見た。
すると、彼女はふと目を伏せた。
「歴史書には、レーチス・ノルッセルの名は載っていません」
「そんなことはないだろ、だって…世界創設者の一人だろ?歴史の偉人だし、
聖女の親友っていうくらいなんだから、話に触れるくらいは」
「いや、そこの女が言ってるのは正しいぜ、ラファ」
ルナが珍しくエルミリカを後押しした。
「俺も歴史書は読んでるけど、レーチス・ノルッセルって名前は知らなかった。
ノルッセル滅亡の時、一族の生き残りが、エルミリカ・ノルッセル含め三人いるってことだけ。
多分エルミリカと、ミフィリと、そしておそらくレーチスなんだろうが…
少なくとも、レーチス・ノルッセルって名前は、歴史書には一度たりとも出てこない」

ラファは考えた。世界創設者の中でのレーチスの地位は低いのだろうか?
否、ミフィリはレーチスを、「クレイリスの右腕」と称していた。
そんな重要な存在を、歴史書が無視するなんてことがあり得るのだろうか。

「歴史書なんてものは、所詮は物語の一種に過ぎないんですよ」
エルミリカが口を開いた。
「おそらく、今、世に出回っている歴史書は、レーチスの存在を省いた内容が記されている。
要するに、レーチスは今や歴史から抹消された人物、そういうことです。
どのような経緯を経てそのような事態になったのか、私にはわかりませんが…
ともあれ、歴史に彼の生死が記されていない以上、彼の存在はこの世界においてとても希薄です。
どこかでまだしぶとく生きているのか、それとも既にのたれ死んでいるのか。
私としては後者を希望したいところですけど」
「だから、レフィルもレーチスが生きているかどうか分からない、ってか?
そいつはどうかな。レフィルがレーチスを匿ってるって可能性もなきにしもあらずじゃねえの?」
「いえ、それはないでしょう。そうなっていれば、
きっとレフィルはクレイリスとレーチスを無理矢理にでも引き合わせたはずです。
クレイリスがレーチスとラファを混同しているということは、
彼女の身近にレーチスはいないということ。
引いては、レフィルもレーチスの居所は知らないのでしょう」

ラファは考えた。レフィルは、ルシファの村でなんと言っていたっけ?

「そう。でもラファ、君が、ラファである所以、ラファがラファである確証。
…そんなものは、どこにもない。証明できない。
だから、君は確かに君であるけれど、
僕やクレイリスの求める『君』でない確証もまた、どこにもないんだ」

レフィルは何がしたいのだろうか。
ラファがレーチスではないことを知っていたなら、そんな意味深なことを言う必要はないはずだ。
混乱していると、不意にルナが足を止めた。
目的地に着いたらしい。ラファは顔を上げ、目の前にある宿屋の看板を見上げた。

「とにかく、その話は後にしようぜ。おいエルミリカ、
ユールとはこの店で合流ってことでいいんだよな?」
ルナが取り仕切ると、エルミリカは厳かに頷いた。
まだ釈然としない表情をしているラファとレインに、ルナは普段どおりに不敵な笑みを見せる。
「とりあえずは用事を済ませようぜ。不老不死一族の不和解消って奴を」
「…まあ、そうだな」

ひとまず頭を冷やそう。ラファはひとつ息を吐くと、宿屋の扉に手をかけた。



エルミリカに案内された部屋に行くと、ラファ達はすぐに目を丸くした。
部屋いたのはユール一人ではなかった。
ラファ達に気づくと、ユールは緩やかに会釈したが、そんなことに構っている余裕は無い。
ぱっとソファから立ち上がった少女と、その隣に座る少年を見て、
ラファは思わず声を上げた。
「リィナ!ギルビス!」
「皆さん、お久しぶりです」
リィナが一礼した。ギルビスはばつが悪そうにラファ達から視線を外して、
そのまま窓の外へと顔をそむけた。
そんな兄の姿など意にも介さず、リィナはラファに向かってちょっぴり微笑んだ。
「ラファさん、急に姿が見えなくなったから心配しました。
無事なようで何よりです」
「あ、そういえば…」
ラファは彼女やルナ達の目の前で、インテレディアの宿屋から姿を消したのだったか。
「悪い、ちょっと色々あったんだ。
それで…ここにいるってことは、ギルビスを説得できたのか?」
「人聞きの悪い」
途端にギルビスが苦々しげな表情でこちらを見やった。
「僕はリィナが願うなら、それを拒む理由はない」
「シスコンかよ、へっ、美しい兄妹愛なこった」

ルナが嘲笑した。しかし表情はぎらぎらと危うげに光っている。
恐らくレナ達を思い出したのだろう、ラファとレインは、
今にもギルビスに飛び掛っていきそうな彼女の肩を掴んで押しとどめた。
しかしギルビスも負けてはいない。ふんとひとつ鼻を鳴らした。
「やっぱり君、女だったのか。
シエルテミナの当主は十代の小娘だって聞いてたのに、おかしいと思ったんだ」
「てめえなんて俺より年下のガキじゃねえか。この中で見目と中身が釣り合ってない奴なんて、
ここにいる二重人格女だけだろ」
エルミリカを顎でしゃくってみせるルナだが、エルミリカはどこ吹く風。
彼女のことだから内心で何を思っているかは知らないが、
少なくとも表情からはルナの台詞など全くもってどうでもいい様子だった。

すると、ずっと黙っていたユールが、
ギルビス達と向かい合わせに腰掛けた椅子からラファ達を仰ぎ見た。
「とにかく、皆さん、座ったらどうですか。
ラファさん達は長旅でお疲れでしょう。お茶でも淹れてきます」
「え、ちょっと…」
レインが引き止める間もなく、ユールは部屋を出て行った。
その場に立ち尽くしたまま閉じられた扉を見ていると、リィナが苦笑した。

「おかしいですよね、"神の子"が客人にお茶を淹れるだなんて。
私びっくりしちゃいました。彼、すごく庶民的なんですね。
笑っちゃうくらい平凡。私、"神の子"ってもっと高飛車な人を想像してたのに」
「彼のお姉様はまさにそれを体現した方ですよ。
不老不死の協定を作る上で、そのうち会うことになるでしょうが」
ギルビスが心底嫌そうな顔をして、言ったエルミリカを見た。
ラファ達が各々席に着くと、それを一瞥して彼はぽつりと呟く。

「…あいつに聞いた。姉のマユキは、自分たちこそがソリティエの本家だと信じてるって」
「ユールって人は違うみたいだけど。
それで許されるなら、私たちに"神の子"の位を譲ったっていいって。
でも、それっておかしいですよね。それなら、どうしてもっと前に、
お父さんとお母さんが死んじゃう前にそうしてくれなかったのって感じ」

リィナもギルビスも、ユールの人柄を見て動揺しているらしい。
ラファは一度しかユールと会ったことがないし、ルナやレインも彼と直接面識はない。
しかし、互いを嫌いあう不老不死一族の中で協力を促す彼は、
おそらく一族の中でも奇特な人間だろうということは理解していた。

すると、ユールが人数分のカップと、ポットが載ったトレーを持って戻ってきた。
すかさずレインが彼からトレーを引き継ぐと、
ユールは穏やかにはにかんでレインに礼を言った。
「すみません、ありがとうございます」
「ううん。えーと…それで、君が、いや、貴方が"神の子"ってことで、いいんだよね?」
レインは念押しするように尋ねた。
すると、ユールは扉を閉めて緩やかに頷いた。
「はい。ユール・E・ラトメといいます。貴方はレインさんですね。
この度は僕の我侭に協力していただき、ありがとうございます」

ラファはしばし瞠目した。いつの間にユールはレインの名前を知ったのだろうか。
ラファとルナは、不老不死を探す旅に出る前夜にエルミリカに会っているから、
彼女からユールも話を聞く機会はあっただろうが、
レインが一緒だということは、エルミリカでさえ旅立ちまで知らなかったというのに。
知らないうちにエルミリカか、それともリィナ達が話したのだろうか。

ユールはにこりと血色の瞳を細めて笑った。
「それかラファさんと、ルナさんも。あなた方のご協力のお陰で、
不老不死一族四家の内、三つの一族と協定が結べそうです」
「こてこてのお嬢様だって噂の、お前の姉貴はどうなんだよ?」
ルナが尋ねると、ユールはちょっぴり困った様子で眉尻を下げた。

「あまりよくありません。本来ならば、あなた方…特に、
ギルビス様やリィナ様は、ソリティエの本拠たる神宿塔にお招きすべきですが、
姉が…こんなことは言いたくはないのですが、彼女は少し、頭が堅くて」
「本来不老不死一族とはそういうものでしょう。
それに、マユキ様が自分たちの立場を主張するのは、
保守的な神官たちが、ソリティエ本家が権力を取り戻すことで、
自らの発言力が下がることを危惧していることも原因の一旦を握っています。
彼女一人を説得したからと言って解決する話ではないでしょうね」
エルミリカがユールを宥めるように言って、カップを傾けお茶を一口飲んだ。
そしてにっこりしてユールを見る。
「いい茶葉です。これはどちらで?」
「エルミリカさんはエソル茶がお好きだと聞いたので、
クライディアから取り寄せました。ラトメにはエソル茶の葉はないもので」

その会話を聞いて、ラファはぼんやりと、
いくら演技していても、好きな茶の銘柄までは変わっていないのだと思った。
カップからは、柔らかな甘い香りが漂ってくる。
エルミリカを横目で見るが、サイと険悪な会話を交わしていた頃の彼女とは、
改めて別人のように穏やかな表情だとラファは実感した。

「でも、どうするんだよ。ラトメ内で派閥争いが起こるっていうなら、
結局不老不死が協力し合ったって、ファナティライストとの不和解消には繋がらない。
君からすれば本末転倒じゃないのか?」
「戦争回避はあくまで目的の延長に過ぎませんから。
例えラトメと神都の仲が修復不可能な状態になったとしても、
不老不死の協力は促すつもりでした。
……僕はただ、この世界をあるべき方向へ、戻したいだけなんです」
「あるべき方向?」

ルナが鼻を鳴らした。
「てめえの考えるあるべき方向ってのはなんなんだよ?」
「…先代の"神の子"、僕の母はかねてより、この世界を世界統一直後と同じように、
それぞれの都市と神都が団結した社会にしたいとお考えでした。
聖女クレイリスが目指した、そして作り上げた、当時の世界を取り戻したいと。
僕は母の思いを受け継ぎました。そして、それを成し遂げるには、
世界の主たる不老不死を、まずは味方にしなければなりません」

随分率直な物言いだ。ラファはユールを見て少しばかり感心した。
ラファにとってクレイリスとは、レーチスをひたすらに望む利己的な人間で、
ウラニアを殺した絶対悪のように感じていたが、
しかし世界に生きる大多数の人間にとっては違う。
聖女クレイリスは大戦争でバラバラだった世界を統一させた、歴史の偉人なのだ。
そういえばユールも、神宿塔で聖女のステンドグラスを見たときに、
「こんな人になりたい」と言っていたではないか。

しかしラファの感嘆とは裏腹に、ルナはユールの言葉があまりお気に召さなかったらしい。
「それで?お前はどうするんだ?第二の聖女…いや、男だから聖人か?
宗教偶像にでもなる気かよ」
「宗教偶像なら、もうなっているでしょう。僕は権力にも"神の子"の座にも固執しません。
ただ、母の作れなかった世界を僕が作り上げたい。それだけです」
「ハッ…麗しい親子愛なこった」

ルナは親とも折り合いが悪かったようだし、妹や使用人とはあの有様だ。
母を死んでもなお敬い続けるユールの思考は理解しがたいのだろう。
そして、ギルビスも不機嫌だった。
「だけどどうするんだ?不老不死を味方にしたところで、
ノルッセルも、ソリティエも、滅亡寸前。大した権力はないだろ」
「ついでにシエルテミナもな」
吐き捨てるようにルナが付け足す。リィナも兄の言葉に異論は無いらしい。
口を尖らせてユールを見ていた。
「ユールさん、私、あなたのその性格は嫌いじゃないけど、
それでもやっぱり納得がいきません。
不老不死のほうが重要だから、お姉さんのことは放置してるんですか?
そんな中途半端じゃ、私たちだって協力するなんて簡単に言えません」
「……姉のことも、そのまま捨て置きはしません」

ユールは拳を握り締めて言った。
彼自身、それを口にするのに勇気を振り絞ったようだった。
「姉が…いえ、マユキが僕のやる事において立ちふさがるというのなら、
そしてそれが彼女の信念であるというのなら…僕は、
彼女を捕らえることも、あるいは……倒すことも、辞さない考えです」
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