38.ノルッセルとソリティエ
「…そんなの、おかしい」
ラファは思わず口走っていた。だって、おかしい。そんなのは変だ。
不老不死は、そしてそれに準ずる一族の者はいつもそうだ。
安易に人を殺そうとして、安易に自分が死のうとして、
命の重さをまるで分かっちゃいない。
誰かが死ねばそれで全てが解決すると思ってる。
だけど、そんなはずない。そんなはずはないんだ。

「そうですか?」
ユールは苦笑した。しかしラファの反論を喜んでいるような声音だった。
まるで、自分の台詞を誰かに否定してほしかったようだ。
「そうだよ!」ラファは怒鳴った。
「だってそうだろ?邪魔だったら殺すって、そんなの暴論だ!
お前らはおかしいよ!不老不死一族ってのは仲が悪いけど、
人の命の価値を全くもって理解してないって点では共通してるよな」

若干十七歳の子供である自分が、命の尊さについて論じる羽目になるとは思いもしなかったが、
ラファはそれでもこの言葉を止めることはできなかった。
ソリティエのギルビスは、世界から逃げるために一族を滅ぼすという。
シエルテミナのレナやチルタは、ルナのために自分たち以外を皆殺しにした。
ノルッセルのエルミリカは、ウラニアの望みを叶えるためにロゼリーを滅亡させた。
そして、ユールは、母の遺志を継ぐためならば姉を殺すことも厭わないと。

「俺はそんなことしたくないよ。
自分が生きるために誰かを殺すとか、誰かを生かすために誰かを殺すとか、
どうしてそんな風に簡単に人の生き死にをきめられるのか、理解できない。
チルタは俺を『擦れてない』って言ったけど、
不老不死になるっていうのが、人の命をなんとも思わなくなるってことなら、
俺はそんなの認めない!絶対に、そんな風にはならない!」

ニカは言っていた。
レーチス・ノルッセルとウラニア・ノルッセルには才能があると。
彼らの前には、不老不死も、エルフも、孤児も王族も、全てが無意味だと。
そして、彼らの息子には、その血が受け継がれるのだろうと。
ラファが彼らの息子だと言うのなら、
自分の中のどこかに、その血が紛れ込んでいるはずなのだ。

夢物語も関係ない。
今だけは、自分がレーチスとウラニアの息子なのだと信じていたかった。

黙り込んだ不老不死一族。
そして、レインがゆっくりと唇を開いた。
「……僕は不老不死じゃないから、ただの人間だから、言えることだけど」
この輪の中で唯一、不老不死となんら関係の無い少年であるレイン。
彼はしかしその中でも臆することなく、ラファの脇に立って言った。
「例えば僕にどうしてもやらなきゃならないことがあるとして、
そのために、ラファとかルナとか、エルを殺さなきゃならないのだとしても…
僕にはできないよ。かと言って、自分が死ぬのも、怖いよ。
普通なら、どっちも死ななくていいような考えを、まずたくさん考える。
…だけど、君たちはどこか…そういう、
『どうして人が死なない考えを先に思いつかなきゃならないのか』って、
そこから理解しきれてないような、そんな気がするんだ」

この場だけは、ソリティエもシエルテミナもノルッセルも関係なく、
不老不死一族は一体となって、レインの演説に聞き入っているようだった。
考え込むように俯いている。
自分の意思によって、自分の死に際を決められる彼らにとって、
死とは非常に安易なもので、だからこそ気楽に構えられるのだろう。
死に際を決められない普通の人間は、自分がいつ死ぬか分からず怯えて、
日々駆け巡るように生きなければならないというのに。

国なんて関係ない。とにかく、この価値観の差をどうにかしなければ、
不老不死の共存なんて見込めない。根拠もなくラファは考えた。

すると、ゆっくりと、畏怖を込めたような口調で、ルナが声を上げた。
「へえ」
ゆったりと、獅子が服従する相手を決めたように穏やかに、
目の前の暴君はすらりとした脚を組んだ。
両手の長い指を絡めて、睫毛が伏せられると、ルナの白い瞼があらわになった。
「俺はレクセに来て、ラファ達と会って…『人間』になった気でいたけど、
やっぱり、そうじゃなかったんだな」
「ルナ」
「理解はしてるんだ。人を殺すのはいけません、とか。
ルイシルヴァでも一年で習う倫理教育だよな。だけどどうも納得できなかった。
レナが一族を殺しまくった時だって、アイツを気違いだって罵ることはできた。
だけど…やっぱり、俺は分かってなかったんだな。
今、ユールが姉を倒すって言ったとき、やっぱり俺はどこかで、
その答えを期待してたんだ」

ルナは薄っすらと黒曜の瞳を開いた。
そして、美しいその視線を真っ直ぐに、かつ穏やかに、彼女はラファ達に向けてきた。
ルイシルヴァ学園の暴君として名を上げる彼女の、さざ波のように静かな口調。
「なあ、教えてくれよ、ラファ、レイン。
どうしてカミサマってやつは、不老不死を人間と同じ姿で生んだんだろう?
俺たちは人間なのか、そうじゃないのか。
俺たちと人間が根本的に違うっていうなら、
じゃあどうして俺たちは、人間と同じ姿をしているんだ?」
「何言ってるんだよ!」

ラファは声を荒げた。
ルナの声音は自嘲的なものだったが、ラファは自分まで侮辱されたような気がした。
「確かに俺だって、いや、まだそんな実感なんてあんまり湧いてないけど、
不老不死で、もうただの学生なんて言ってられないのかもしれないよ。
だけど、その前に俺は一人の『人間』だ!そうだろ?
楽しけりゃ楽しいと思うし、嫌なことは嫌なことだと思うよ。
それが『人間』ってやつじゃないのか?」
「…きっと君があまり『不老不死らしくない』のはその所為だね、ラファ」

ギルビスが辛辣に言い放った。彼は刺々しい表情でラファを射抜いた。
「『人間』?僕らはそんなに低俗なものじゃない。
もっと崇高で、栄誉ある存在だ。神の一番近くにいるくせに分からないの、ノルッセル。
…僕らが僕らたる誇りを忘れるなよ、新参者。
僕ら不老不死と、人間は、『ちがう』んだよ。全く別の生き物だ」
「なんだよ、その言い方」
ラファとギルビスが睨み合うのを見て、エルミリカが静かに口を開いた。
「…正直なところ、私もどちらかと言えばギルビス様に近い考えです。
不老不死と人間は完全なる別種族。姿が似通っているだけで。
けれどその所為で私たちは、あたかも人間と不老不死はおなじものだと、
どうしても錯覚してしまいそうになる。
…人間とエルフの確執が何故あんなにも大きいかご存知ですか?
寿命が違うから、ですよ。ただ少し耳が長い、身体的にはさほど代わらないのに、
エルフは人間よりも格段に長い時を生きる。
だから、エルフは人間をすぐに死んでしまう弱い生き物だと蔑み、
人間はエルフをいつまでも死なない化け物だと恐れます。
不老不死だって同じです。姿が似ているから、同一視できるのではない。
むしろ、姿が似ているから、余計に私たちは、人間とより強固に一線を画しているのです」
「な、なんで」

エルミリカの事のほか鋭い口調に、ラファはややたじろいだ。
相手があの狂った皇女エルミリカ・ノルッセルだと頭では分かっていても、
ラファにとってはまだ、彼女は常に穏やかに笑みを浮かべる「エル」なのだ。
レインもぐっと唇を噤んだ。
ギルビスとエルミリカの反駁に成す術もないラファ達に、
しかしリィナが険しい顔を上げた。

「これが兄さんの言う安寧なの?」
「リィナ?」
彼女は固く拳を握り締め、膝に押さえ込んでいた。
むっつりとした表情。彼女は、かつてルナを見たその時と同じように、
挑むような目線で自らの兄を見据えていた。
ギルビスが不安げに眉をひそめたのを契機に、リィナは怒鳴った。
「安寧、秩序!兄さんはいつだってそればっかりだった!
不老不死の不和を貫くっていうのが、まるで絶対みたいに。
馬鹿だよ、馬鹿みたいだよ、だってそうでしょ?
ラファさんはルナさんと仲良くしてたじゃない。
やろうと思えばできることを、兄さんたちは頭が堅いからできないんだよ!
そりゃ、私だって"神の子"は嫌い、エルフは怖いし、
それに人間と私たちは違うって、そう言われて育ってきたよ。
でも、それでどうなったの?私たちは二人っきりになっちゃったじゃない!
父さんも母さんも、結局怖くなって逃げ出したんだよ、この世から。
私はそんなことしないもん。そのためにならユールの案にだって乗る。
兄さんは人間を低俗だって言うけど、じゃあここにいるレインさんは低俗?
世界を取りまとめようとしてるユールは?
別種族だからって、それがなに?種族が違ったら仲良くしちゃいけないの?
友達になっちゃいけないの?それはおかしくないの?
ソリティエの誇りっていうのは、そんなに狭い檻みたいな考えなの?」

畳み掛けるようなリィナの論に、皆が目を丸くした。
この中で最も幼い彼女が、はっきりと兄やエルミリカを非難したことに、
当のギルビスは驚愕したらしかった。
愕然とした様子で妹を見て、二の句も告げない様子だ。
すると、ユールは一人穏やかに、困った様子で笑みながら俯いた。

「…きっと僕達は皆、籠の中の鳥なんでしょうね」
人間も、不老不死も、エルフも例外なく。ユールはそう付け加えた。
「双子神が死してなお、僕たちは彼らの呪縛から抜け切れていないのかもしれません」
「"神の子"が神を語る、か。でもお前はその呪縛から抜けたいんだろ」
「かく言う貴方も、ルナさん」
吐き捨てたルナに微笑むユール。
「そうです。この世界の歯車は狂ってる。
僕もきっと、ラファさんやレインさんの言うとおり、狂っているのでしょう。
けれどそれを教えてくれる人がいるだけ、僕たちは幸福だとは思いませんか?
僕たちの中の常識を疑うことができた。
ならば僕は、この権力を用いても、僕の父母たる双子神に抗ってでも、
この世界を籠から解き放つのは、間違っているのでしょうか?」
「…エルは、どうしてユールの話に乗ったの?」
レインが控えめに、エルミリカに問うた。
彼女は目を伏せて、エソル茶を一口飲んだ。
答えは無いが、ラファにはすぐにそれが分かった。
黒い本を抱える手に力が篭った。

ウラニアならきっとそうしただろう。
ソリティエのニカを身を挺して庇ったウラニアなら。
きっと皆が仲良くなれる未来を夢見ただろう。
だから、彼女の振りをするエルミリカは、そうしなければならなかったのだ。

ウラニアが夢見た世界を作るつもりなのだ。自分の思いはどうであれ。

「…なあ、俺はまだ納得できないよ。俺は自分のことを人間だと思ってるし、
不老不死と人間の何が違うって言われても、よくわからない。
自分のことを尊いとか、そんなこと考えてこともない。
…だけどさ、種族とか、そんな話にいかなくったっていいだろ。
俺はお前らがそうやってすぐに死ぬだの殺すだのとかいう話に持っていくのが嫌なだけだし。
これから不老不死同士で協力し合う意思があるなら、さ。
互いに差別したりするの、やめにしない?」

ラファが言葉を選びながら言うと、場は静まり返った。
自分の我慢できなかった一言でユールの野望が潰えたらどうしよう。
頭の中はそんな不安が駆け巡っていた。
そんな時、だ。頭の中で優しい声が響く。
―ラファ君、それでいいの。あなたの思うように生きて

ウラニアは息子に甘すぎるのだと、ラファは頭の中で呟いた。
するとくすくすと、柔らかな笑い声が反響した。
―確かに、ラファ君の言うことは理想論が過ぎるけど、
でも、時にはね、奇麗事を貫き通さないといけないことも、あるものなんだよ?

さあ見て、ウラニアの促しに従って場を見回すと、
ちょうどルナが深く溜息をついたところだった。
彼女はすらりと長い脚を組み替えて、苦笑気味にラファを見上げた。
…いつになく自信のない暴君の微笑みに、ラファはぎくりとした。
「まさかラファに説教される日が来ようとは、思ってもみなかったぜ」
顔色とは裏腹に、ルナの声は実に清清しいものだった。
「なあ、ギルビス。ユールの言うとおりだ。俺たちは結局籠の中の鳥。
だけど俺はその籠から出て行くんだ。てめえもそうしたいとは、思わねえのかよ?」
「……何を、」
「俺は、ラファにならそれができるんじゃないかって、そう思ってる」

いきなりルナにそんなことを言われたので、ラファは面食らった。
一斉に、一同の視線がラファに向けられたので、ラファはひるんで首をすくめた。
「お、俺は…」
「ラファ」
レインが、ぽんとラファの背中を叩いた。
…まるで、後に引くことは許されないとでも言いたげに。
「僕もルナと同じ考えだよ。
僕だって、ラファと同じように不老不死とか、よくわからない。
よくわからないから、今まで、何にも口出しとかできなかった。
不老不死だから、自分とは違うんだって思ってた。
でも、ラファは違うでしょ?
ラファは、不老不死の人たちが、自分と違う価値観でものを言ったとき、
ちゃんと『それはおかしい』って、口を挟んでたよ。
…ねえ、エルがラファを選んだのは、そういうわけなんじゃないの?」
「……ええ」

エルミリカは目を伏せた。
そして目を開いたとき、彼女の視線は、
ラファを通り越して、あの焦がれるような眼差しで誰かを見据えていた。
「出逢う前からそうだと思っていました。
だってあなたは、」
「…ウラニアとレーチスの息子だから、だろ。分かってるよ」
「ええ。…そして、何よりあなた自身が『人間』として生きてきたから、ですよ」

ふいとエルミリカは視線を逸らした。
エソル茶をぐいと飲み干して、彼女は立ち上がると、ユールを見た。
「ユール、あなたはどうしますか?
このままラトメという籠の中に閉じ込められるか、
それとも籠の鍵を自分から開けて解き放たれるか」
「…決まっています」

ユールの表情は決然としていた。
「"神の子"は母のために、我らが父祖に抗うと。もう何年も前に」
「勿論私も協力します!」
リィナの目が輝いた。そして、そのままギルビスに顔が向く。
「お兄ちゃん!」
「……僕は正直、自分がどうしたいのか分からない」

ギルビスの言葉に、盛り上がりそうになった場が消沈した。
ルナのこめかみがぴくりと動く。
「あのなあ、お前…」
「だけど、ラファ。君の見ている世界がどういうものなのか、興味が湧いたよ」

そして彼は、儚い濃紺の瞳をすいと細めた。
これまでこの世の終わりのような達観した表情で場に佇んでいた少年は、
いつの間にやら柔らかい微笑みを浮かべていた。

「"神の子"と肩を並べるのは癪だけど。
ソリティエの司る安寧がために、君に付いていくのは了承してもいい」
「え、ちょっと…」
「決まりだな。ったく、驚かせるなよ」
「別にシエルテミナと馴れ合うつもりはないよ」
小突くルナに嫌そうな顔をしながらギルビスは顔を背けた。
ラファだけが一人途方にくれている。

「え、あの…」
頭の中で、くすくすとウラニアが笑っていた。
「…なんで、俺なんだよ?」
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