04.ルシファの村 |
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歩き始めて、早くも数時間。 ラファはしかし、自分にとっては途方もなく長かった道のりに、 これまた早くも短絡的にラトメに行こうなどと言い出したことを後悔し始めていた。 「まだ…着かない…の、か…?」 息も切れ切れに言うラファ。と、レインが振り返った。 レインもルナも、当然チルタも、全く疲れていない様子で、 ラファの数歩先を行っていた。 「ラファって本当に運動は苦手だよね」 「うるせえな!別に苦手じゃねえっての!選択科目は武道だし! 長距離を歩かないだけだよ!」 「よく言う、ラファは武道の才能ないくせに」 頭も良ければ運動も得意なルナはこちらを見向きもせずに嘲笑した。 チルタが後ろからルナを諌めているが聞きやしない。 神様って不公平だ、ラファは嘆いた。 ルナの態度にまた先に進む気が失せたラファに、 手のひら大の小さな巾着袋が突き出された。 「チルタ」 「飲むといいよ。疲れがとれる薬だから」 中を見ると、白い小さな錠剤が数十個、袋いっぱいに入っていた。 そういえばこんなものがレクセの学生バザーによく出ていたような気がする。 「ありがとな」 「ううん、無理しないでいいから、本当に辛くなったら言ってね」 優しい奴だ。ラファは感動した。 どうやらチルタ、ラファ達と同い年らしいが、 あの暴君ルナの幼馴染がこれほどまでにいい奴だとは想像だにしていなかった。 チルタはひとつにこりと笑ってルナの隣に戻った。 と、レインがこちらに足並みを揃えてくる。 「大丈夫?ラファ」 「なんでレインはそんなに元気なんだよ…!」 「孤児集落出身だって言ったでしょ?この辺は歩きなれてたもん。 それに僕、これでも武道の授業、成績いいんだからね!」 そうだった。ラファは悔しくなってレインから視線をはずした。 このなよなよしいフェミニストも、 身の丈以上もある槍を軽々と振り回せる使い手なのである。 チルタからもらった錠剤はよく効いて、 飲み込むなり体中の気だるさや痛みが嘘のように消えうせたが、 その時に感じた氷を流し込んだような冷気が、 余計に自分をむなしく感じさせた。 前方からルナが声を上げた。 「おーい、もうちょっとで中継点だってよ! それまで面倒だからぶっ倒れるなよ、ラファ」 ◆ どこが「ちょっと」だ! 結局ラファ達がルシファの村にたどり着いたのは、 もう真夜中も真夜中、日付が変わる直前だった。 それまでにラファは七つの錠剤を浪費しており、 さすがにチルタから困ったような苦笑をいただいてしまった。 「ご、ごめん、チルタ…」 「いいよ。気づかなかった僕も悪い。 ごめんね、やっぱり途中で休憩を入れればよかった」 「相変わらずチルタはお人よしだな。 おいラファ、ラトメに着いたらちゃんと買い直してやれよ」 「ええっ!」 ルナの台詞にラファは絶望して声を上げる。 いいんだよ、とチルタが優しく言うのが尚更罪悪感を助長した。 落胆して肩を落とすと、レインが慰めるようにその背を叩いてきた。 「ま、ラトメに着いたら適当に短期の勤め先でも探して稼ぐんだね」 「…言っとくけどお前だってチルタに宿代と食事代は世話になってるんだからな…」 だから僕も一緒だよ、と明るく言う言葉に若干救われると、 ルナがこちらを振り向いて言った。 「宿取りに行こうぜ」 「明日も早いから、寝坊しないように気をつけてね、ラファ君」 ◆ やはり数時間歩き通しは体力の限界だったらしい。 ラファはベッドに潜り込むなり、すぐに深い眠りに沈み込んだ。 レインもなんだかんだ言って同じらしい。 二人分の寝息が聞こえてきたところで、チルタが声を上げた。 「……その様子だと、君の事情は教えてないみたいだね、ルナ」 「別に。説明の必要なんてないし。 妙な誤解されても困る。 …ばれたらばれたで、また離れればいい」 ルナは近くで泥のように眠るラファを横目で見た。 ぶっきらぼうに、小声でチルタに問う。 「…どう思う?」 「ラファ君のこと?それは君のほうが詳しいんじゃないの。 僕は初対面だから分からない」 「…俺は、私は同属を見間違えたりしない。 でも、ラファは…」 ルナは唇を噛んだ。 「万が一、私の想像が間違っていたとしても、 あんなマズイ存在が出てきちゃ、どっちにしろ危険なことに変わりない。 それに私と一緒なんだ。 ラファも…それにレインも、巻き込むことだってある。 お前なら分かるだろ」 「巻き込まれた張本人だから?分かるよ」 「…こいつらを、お前の二の舞にするわけにはいかない」 ルナは窓の外を見た。この村の夜はひどく静かだった。 しばらくして、チルタがその穏やかで優しい声で、立ち上がり、言った。 「…もう寝ようか。明日も早いよ」 「そうだな」 そして、夜闇はさらに深まっていく。 ◆ 学生の朝は早い。 しかしそれにしても、今日は早く起きすぎてしまった。 ルナもレインもチルタも、まだ寝ているようだし、 ラファは大きく伸びをして、ルシファの散策をすることにした。 朝のやわらかく冷えた空気が頬をなぜる。 まだ陽が昇る前で、少し暗い。 宿から出たラファは、澄んだ空気を吸い込んで深呼吸をした。 レクセとは違う、レクセよりもやわらかいそれに、 ラファは口元に弧を描いた。 …こういうのも、悪くないかもしれない。 「旅がいいものだとでも思ってるのかい?」 見知らぬ、声。ラファは息を詰めて振り返った。 宿屋の扉の前には、ラファ一人だけ。 しかし聞こえた声は、確かに背後からのものだった。 一体どこから… 「こっちだよ」 「!」 見上げた宿屋の、赤い屋根の上。 そこにその少年は立っていた。 くすんだ茶髪は右半分だけ長く三つ編みになっており、 瞳は温かいハニーブラウン。 黒い神官服を身に纏っており、胸元には銀の十字架。 ラファと同じくらいの少年は、感情の読めない視線をこちらへと向けていた。 当然、知り合いではない。 「…誰だ?」 「ふうん。忘れたって聞いてたけど、 どうやら随分腑抜けた顔になったんじゃない?」 「忘れた」。その単語に、あの若葉色の瞳が不意に思い出されて、 ラファは目を吊り上げて叫んだ。 ぴりぴりするような朝早い空気の棘を縫って、 ラファの声はひどく大きく響いた。 「おっ、お前、あの女の知り合いなのか!?」 「"あれ"は僕の最愛の女の子。あの女なんて言わないでほしいな」 少年は肩をすくめた。 早朝の爽やかな気分も忘れて、ラファは少年を睨み上げた。 しかし意に介したふうもなく、少年はなおも言った。 「まあ僕は別に君が何を言おうとかまわない。 たとえ君が自分のことを何も覚えていなくても」 「っ!俺は俺だ!」 「そうだよ、君は君だ」 言い切った少年の台詞に、ラファは思わず息を詰めた。 あの女の仲間だとしたら、また妙なことを吹き込んでくるのかと思ったら。 自分の意思を尊重した少年に疑問符を浮かべるラファを見下ろし、 少年はわずかに笑んだ。 「僕を覚えていなくても、彼女を知らなくても、 …そうだよ、君は君だ。それは何があっても、変わらない」 それはそれは、泣き出してしまいそうな、顔で。 ラファは少年の顔に魅入った。 自分と同じくらいの年頃だろうに、 まるで彼は何十年も生きてきたかのように、深い瞳をしていた。 「……」 「だけどね、」 少年は笑っていたけれど、それが何故だかとても悲しげに見えて、 ラファが少年を知らないことを嘆いているようで、こちらまで胸が痛んだ。 別人であることを申し訳ないと思うくらいに。 「だけど、その『君』っていうのは、誰なんだい?」 魔法のように鮮やかに。 その切り返しに、ラファは絶句した。 誰って、それは… 「俺は、俺だよ。ラファだ」 「そう。でもラファ、君が、ラファである所以、ラファがラファである確証。 …そんなものは、どこにもない。証明できない。 だから、君は確かに君であるけれど、 僕やクレイリスの求める『君』でない確証もまた、どこにもないんだ」 全く持って訳が分からない。 そして、彼はあの少女をクレイリスと呼んだ。 それじゃ、ルナの言ってたあの馬鹿馬鹿しい仮説は、正しかったってことなのか? まさか。そんな大昔の人間が生きてるわけがない。 「お前…」 「僕はレフィル」 少年はラファに背を向けた。 顔だけ振り向いて、笑みを消し去ってこちらを見下ろす。 「また会うこともあるだろう。君らに幸がありますように」 「お、おい…」 ラファが止める間もなく、少年はどこかへと消え去ってしまった。 ◆ 「ラファ、機嫌悪いね。朝弱いの治したほうがいいよ」 「今日も歩くの、嫌なの?急がなくても今日中には着けるから、 無理しないでいいからね」 「ハッ、軟弱」 「違う!」 朝食を食べていざ出発、という時。 ルシファの入り口でラファは叫んだ。 正確には機嫌が悪いのではなくて、 先ほどの少年のことが気に掛かって考え込んでいるだけだ。 あの少女をクレイリスと呼んだ少年。 あの黒服はファナティライストの神官衣装だろうか。 聖女クレイリスはファナティライストの創立者… じゃあやっぱり、あれは聖女だっていうのか? ルナ達に相談したくても、なんとなく言い出す間がなかった。 代わりにラトメには詳しいはずのレインに声をかける。 「なあ、レイン。ルシファってラトメ領だったよな?」 「うん、そうだよ。それが?」 「ラトメとファナティライストって…敵国、だよな」 レインはきょとんとしてラファを見た。 そして、…どうやらいきなり戦争でも勃発しやしないかと心配して 不機嫌になっているのだと思ったらしい…にっこり笑って、 レインは首を横に振った。 「あはは!そうだよ、だけど今は休戦中。 神都の人間は"神の子"のいる土地にそうそう来れやしないよ。 ファナティライスト側の規制が厳しいからね。 だから魔物以外は安全だよ、安心してラファ」 「そういう意味じゃないけど」 ……じゃあ、あの少年はファナティライストの人間というわけではないのか? レフィルの正体が全くつかめなくて、ラファは唸った。 宿にそんな少年は泊まっていなかったらしいし、 探してみても村のどこにもいないし… その時。 ドンッ! 「うわあっ」 「きゃっ」 チルタの背に、思い切り誰かがぶつかった。 肩にかかったオリーブグリーンの髪がはらりと舞う。 少女とチルタは互いに尻餅をついた。 「いっ…つー…」 見るとまだ年下の少女だった。 地味な旅装束に身を包んだ彼女は、とても愛らしい顔立ちをしていた。 ルナと並んだらまさに美男美女だろう。 珍しいオリーブグリーンの髪と瞳の少女は、 打ち付けた尻をさすって顔をしかめていた。 チルタがさっと立ち上がり、少女に手を伸ばした。 「大丈夫?」 「あ…ああ、平気だ」 少女はアルトの声でそう言って、チルタの手をとり立った。 と、ルナが目を細めて親指を口元にやる。 あまりにもじっと見つめているので、 お前実は年下趣味?と尋ねてやろうかと口を開くと、 少女もまたルナに気づいて、そして息を呑んだ。 何故だか固まったように、彼の顔をまじまじと見つめる。 「お前…まさか」 「……」 「?ルナ、知り合い?」 チルタが少女の手を取ったまま振り返ると、 少女は弾かれたようにチルタの手を振り払って、後ずさった。 「触るなっ!貴様、シエルテミナが何故こんなところにいる!」 「へえ、やっぱり。お前エファインの血筋か」 「…ルナ?」 シエルテミナ?ルナの家のことだろうか。 首を傾げて少女と見比べる。 と、少女は食い入るようにルナをにらみつけた。 「ファナティライストを牛耳る黒髪の悪魔め! ラトメくんだりまで来て、まさか私たちの神都を潰す気か!? させはしない!この国は私たちエファインのものだ… 神の子なんかに渡させはしない!」 そう甲高い声で叫ぶと、少女はぎゅっと拳を握り締めて、 さらに一歩二歩と後ろに下がった。 チルタが困ったように首をかしげた。 「何のことだか分からないんだけど…」 「うるさいっ、お前達もこの男の仲間なんだろう!とぼけたことを言うな!」 「おいおい、話が見えないけどさ、喧嘩ならよそでやれよ、な? ルナの家とかかわりがあるのかは知らないけど、 こいつ実家が嫌いみたいだし…」 見かねてラファが一歩前に出て口を挟んだ。 瑠璃色の瞳をまっすぐに少女に向けると、 何故だか少女は目を点にして唇を引き結び、 驚愕のまなざしでラファとルナを交互に見やった。 「何故ノルッセルとシエルテミナが一緒にいるんだ!」 「はあ?」 「てめえ少し黙れよ。俺の交友関係に勝手に口出しするんじゃねえ。 俺はてめえみたいに家柄にはこだわらないんだ。 家系の檻に縛られてるなんて、いかにもエファインらしい家族愛じゃねえか」 「ふざけるな!貴様、分かっているのか!? 我等"不老不死一族"、互いに不干渉を貫くのが掟だろう!」 不老、不死? 何を言ってるんだ、と笑い飛ばそうとしたが、 チルタも、ルナも、至極真面目な顔で少女を見下ろしていた。 ラファはレインと困惑した表情を見合わせた。 ルナは冷たい視線で少女に嘲笑をやった。 「ハッ、不干渉?掟?俺の辞書にそんな文字はねえな。 俺は無印のルナ。こいつは無印のラファ。 それで俺たちが友人であることに何か不都合でも? 一発額に魔弾銃でもぶち込んで考えてみるんだな。 分かるか?小生意気な糞餓鬼。 俺はそういうお堅い考え方が大嫌いだ。 今後一切関わるんじゃねえ」 言い捨てて、さっさとルナは出口のゲートをくぐっていった。 ラファとレインが慌てて後を追うと、 チルタは三人の背を眺めて、それから少女を見下ろした。 「ごめんね。 ルナは別に悪い子じゃないんだけど…一族が嫌いだから。 気分を悪くしたら謝るよ」 「……」 「それじゃ、またどこかで会えたら」 ふわりと黒いコートをはためかせて、チルタもルシファを出て行った。 一人残された少女は、ぽつりと呟いた。 「…一族が嫌い?そんなことで抗えるものか。 私たちは、この檻からは出られない。そういう風に"できている"のに」 |
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