白きロナネッタ



act.47 紅いトラウマ

「僕がエルミリカ・ノルッセルと出会ったのは、もう何年も前になります」
エソル茶の缶は脇に置き、普通の紅茶を淹れて、ユールはラファ達にそれを差し出した。
「母が死んでから、そう時も経っていない頃です。 銀の髪に瑠璃の瞳のノルッセルの話は聞いたことがありましたから、 僕はすぐに彼女があの血族の末裔なのだと分かりました」

ユールの口調は、まるで自分に言い聞かせるようなものだった。 紅茶の香りは変わらずうつくしいものだったけれど、彼の心中は今や荒みきっているのだろうと、ラファは思った。

「"神の子"の座を継承したはいいものの、どう貴族や舞い手たちを纏めていいか分からずに途方に暮れていた僕に、 不老不死の協定の話を持ちかけたのも彼女です。 本来ソリティエが僕の住む神宿塔の主で、僕らの先祖は彼らを追い出してしまったのだと…エルミリカさんは言いました。 僕は、母の遺言を守るには、不老不死同士の協力が必要だと思ったんです」
ユールは自分の前にも紅茶を置いたが、決して手をつけようとはせずに、ただカップに入れられた澄んだ液体に映った、 自分の瞳を見つめていた。
「けれど、違ったんでしょうか…姉はエルミリカ・ノルッセルについて何か知っていたようだった。 もしかして、僕は、騙されていたのかも…」
「…」

ラファは考えた。エルミリカ・ノルッセル。彼女が不老不死の和平を願ったのは、 おそらくウラニアがそれを望んだからだ。 ウラニアが望むことをなんでも叶えようとする、エルミリカ。それがたとえどんな方法でも。
そこまで考えたところで、ウラニアが、怒りを押し殺すような声で呟いた。
―マユキ様が、邪魔だったから、かしら
(ウラニア?)
―エルミリカ様は、目的のためには手段を選ばないお方。それこそ、人が死のうがどうなろうが構わないのは、 ラファ君も知っているでしょう?エルミリカ様は、きっと、不老不死の協定を結ぶには、 それに反対するマユキ様が邪魔だったから、彼女を排除しようとしたんじゃないかしら
(だって、じゃ、誰が撃ったんだ?エルミリカのいた場所は、マユキを撃ったところから離れてた)
―エルミリカ様以外にも、誰か、ラファ君たちが知らないだけで、協力者がいるのかも

ウラニアの言は非常に説得力があった。エルミリカはウラニアただ一人のために、 ロゼリーの王宮を血の雨にするような暴虐者。けれど、本当にそうなのだろうか? エルミリカが怪しい。けれど、エルミリカはあまりに怪しすぎた。 逆に何か裏があるのではないだろうか。ラファはそんなことを考えて、それから自嘲気味に笑った。

すると、ラファの隣に座っていたレインが出し抜けに立ち上がった。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくるよ」
「あ…大丈夫か、レイン?」
レインの顔色はあまりよくなかった。ただでさえ幼馴染の状況がめまぐるしく変わっているのだ。 彼も混乱しているのだろう。 レインはしかし、やんわりと困ったように微笑んだ。
「うん。ちょっとまだ…エルのこと、よく分からなくなっちゃってるけど、 ごめん、一人でちょっと頭冷やしてくる」

レインが部屋を出て行くと、ルナがその瞬間を待っていたとばかりに口を開いた。
「なあラファ。お前はどう思う?」
「え、…どう、って?」
「マユキを撃ったのが、エルミリカの差し金だと思うか? …今んとこ、あいつについて一番詳しいのはお前だろ。そのお前から見て、どう思う。 エルミリカが犯人だと思うか?」
「……正直、よくわからない」
ラファは俯いた。
「エルミリカの性格から言って、確かに、不老不死の協定のためにはマユキは邪魔だったし、 マユキはエルミリカについて何か知ってたみたいだったし…邪魔者を排除しようとした可能性はあるよ。 でも、じゃあ、どうして今だったんだ? ユールがマユキの説得にうまくいってないってのは、前々から分かってたことなのに。 今この場で、しかもエルミリカが一番怪しまれるような状況で、 マユキを撃つような…そんな短慮な奴じゃないと、俺は、思うよ」

「…じゃあ、一体誰が姉さんを撃ったんです?」ユールが静かに憤った。 「僕の手の者にそんな命は出していません。姉さんはそう恨みを買う人じゃないんです。 殺される理由なんて、他に思い当たらない」
「それじゃ、エルミリカさんのほうに、何か今行動を起こさなきゃいけないような理由があったんじゃ」
リィナが発言するが、そのような理由は、ラファ達には思い当たらなかったし、 そもそもエルミリカが犯人かどうかもまだ不透明な疑いだった。 すると、ルナがひとつ溜息をついて紅茶を飲んだ。優雅な動きだった。
「なあラファ。エルミリカ・ノルッセル皇女は、不老不死一族のことをどう思っていた?」
「どういうことだ?」
「古い一族の中には、『純粋な』不老不死の血族を極端に持ち上げるやつらが多かった。 特に同じ血族の中での婚姻を重んじて、出来る限り他の不純な血…別の不老不死の血だとか、 ましてや人間の血を、血族の中に混ぜないようにしてきたんだ。 そうやって不老不死は自分たちの一族を大事に大事に守ってきたんだよ」
エルミリカ・ノルッセルは千年も昔の人間だから、その風習を厳しく教えられていた可能性がある。 そう言い切ったルナ。まだ彼女の言いたいことが分からなくて、ラファは首を捻った。 しかし、ギルビスとユールの顔色がさっと変わる。ユールが低い声で唸った。
「何を仰りたいんですか」
「…なあ、ギルビスよぉ。お前、実は知ってるんだろ、本来はユールから、 "神の子"の地位なんて奪う必要がないって」
「…どういうことですか、ルナさん。お兄ちゃん、何を知ってるの?」
リィナが困惑してそう言って、ラファと視線を合わせた。ギルビスは紅茶を一口飲んだ。 そして、細く長く息を吐く。
「……まあね」
「不老不死のネットワークってのはさあ、結構繋がってるんだよな。不干渉を貫いてる割には。 つまり、俺たちは他の不老不死が、どこでどういう風に血族を繋げているのかを知ってるわけ」
「ルナさん!」
ユールが叫んだ。「なんで…なんであなた方が知ってるんですか。 それは姉さんが、何よりも隠しておいたことなのに…」
「どういうことだ?」
ラファが問う。ユールは顔を背けた。すると、ルナはいつもの不敵な微笑みでにやりと笑って見せた。

「ユール、お前って父親似だよな。お前には今まで会ったことなくても、父親はちゃんと知ってるぜ。 一度屋敷に来たことがあるからな。なんかぼーっとしてる、濃紺の髪に瞳の男だった」
皮肉るような笑みだった。
「お前の父親はソリティエの血族、エルフェオ・ソリティエだろ。 お前もマユキも、外部の者みたいな立場を貫きながら、実はその不老不死の一人だってわけだ」
「…え?」
「所詮、ハーフです。褒められたものじゃない」
ユールは観念したようにラファを見た。
「黙っていたことは謝ります。でも、ラトメでもまだ、格式高い貴族たちの間では、 不老不死一族といってもハーフの立場は低いんです。特に僕たちは、不老不死の容姿をどこにも受け継いでいません。 あるのはただ、魔弾銃でしか滅びない肉体だけです」

ラファはようやく、どうしてマユキが「居場所」という単語にこだわっていたのか気がついた。 "神の子"という立場が、マユキとユールにとっての、自分たちの血を正当化する最後の砦だったのだろう。 国の第一権力者という立場に、彼らは守られていたのだ。

ルナはハッと嘲笑した。
「ま、あほらしい仕来たりだ。今じゃそう、他の都市じゃハーフだろうとなんだろうと気にしやしねえよ。 そもそも不老不死の概念自体が、上層部でも忘れ去られて来てるからな。 でもエルミリカ・ノルッセルは違う。あいつは世界創設戦争の、つまり権力者たちが、 こぞって不老不死の力を持ち上げてた時代の人間だ。 だから、アイツは、ソリティエの頂点に着くのは、あくまで純粋なソリティエである、 ギルビスやリィナであってほしかったんじゃねえの?」
「で、でもでも!ルナさん、それじゃあ邪魔なのはユールも一緒ってこと?」
「マユキをあの状況で殺せば、その疑いは当然、彼女と上手くいってなかったユールに飛ぶ。 ましてエルミリカ自身を疑わせれば尚更だ。エルミリカがユールの側についてるのは周知の事実だっただろ? ユールはエルミリカとの関係性を否定したって、どうせ苦境に立たされるようになってるんだよ」

ギルビスが静かに口を開いた。
「…僕もルナの意見に賛成だね。ちょうど不老不死の協定に全員が乗り気になって、 しかもそこで話の中心が、ユールからラファに移ったところだった。 ユールが協定の話を先導しているうちは難しかっただろうけど、 今の状況が成り立った後じゃ、エルミリカにとって君はお役御免というわけだ」
「……俺?でも俺、そんな、中心になんてなったつもり…!」
「最初からエルミリカはお前を持ち上げてたよ。不老不死なのに、誰とでも仲良くできる、 それがすごいってな。最初の頃は口癖みたいに言ってたじゃねえか。 奴は俺たちに、ラファがすごい奴だって刷り込ませてた。事実、不干渉を貫く俺たちにとって、 ラファの要素は確かに異質だったぜ。 あいつはお前を利用して、それから最終的に、お前を頂点に立たせる予定だったんだろ」
「頂点って!俺、そんなの頼んじゃいない!」
「分かってるって、お前が無関係なことくらい。ラファはどうせ知らないうちに巻き込まれてたんだろうよ。 でもな、俺は大体そんなところだろうと思ってる。あのいけすかない女が黒幕だってな」
「……ギルビスさん、どうしますか」

ユールがじっとギルビスを見た。ギルビスは無言で顔を上げる。
「あなた方が望むなら、僕はいつ退位してもいい。もともとこの座はあなたたちのものなんです。 半分しかソリティエの血が通っていない僕よりも、あなたのほうが、"神の子"に相応しい」
ギルビスもユールを見た。そして、不意に彼から視線を逸らして、呆れたような口調で声を上げた。
「履き違えるなよ、"神の子"」
そして何のためらいもなく、ユールの淹れた紅茶を飲み干す。
「僕がここで"神の子"の地位を君から奪ったところで何にもなりやしない。 ソリティエの掲げる安寧が遠ざかるだけだ。 君は精々、エルミリカにその立場を脅かされないよう全力を尽くせばいい。…仮にも半分ソリティエの血族なら、 そのくらい僕らの父祖の地に、ラトメに執着するのが筋だろ」
「そうだよユールさん!私"神の子"は嫌いだけど、あなたは嫌いじゃないから、 応援してあげてもいいですよ!何が何でも"神の子"の座、守ってくれないと怒りますから!」
リィナも身を乗り出して援護射撃したので、ユールは少し面食らって二人の兄妹を見比べた。 それから、決然とした表情に切り替えて、ユールは力強く頷いた。

「お約束します。エルミリカ・ノルッセルの目論見に、僕は決して屈しないと」


「で、結局続けるのか?不老不死協定の話はエルミリカに言われたんだろ」
「…いえ、このまま、皆さんにはファナティライストに行って頂けないでしょうか」

ユールは迷わず、ルナの質問に答えた。彼の紅い瞳は今や爛々と光り、 決して誰の言葉にも惑わされないという気概が見えた。
「姉の死によって、これからラトメは混乱するでしょう。 こちらも一刻も早く真相を暴こうと思いますが、この隙をついて、 ファナティライストが攻め込んで来ないとも限りません。 なので、やはり不老不死同士の協定は早く結ばなければ。 …ラファさん、お願いしてもいいでしょうか」
「俺?」
ラファは慌てた。これまでの話を聞かされて、なおも中心に立たされるのは不本意だった。 しかし、ユールは気にした風もなく頷いて見せた。
「たとえエルミリカ・ノルッセルの考えによるものだったとしても、 僕があなたを特別だと思っているのは本当です。 ラファさん、あなたがいれば、エファインもきっと協力を取り付けてくれるでしょう」
「そんな根拠もないことを…」

「じゃ、僕も同行させてもらおうかな」
ギルビスが腰を上げた。
「僕と、ルナと、ラファ。三家が揃って行ったほうがいいだろ」
「ええっ」ギルビスの言葉にリィナが声を上げた。「私は!?」
「リィナはラトメに残れよ」
「そんな!」リィナは愕然と頭を抱えた。
「ラトメに残って、ユールの手伝いをしてろよ。リィナでも、まあ役にたつことはあるだろ。 その髪とかその目とか」

ユールはそう言われて、じっとリィナの髪を見つめていたが、やがてはっと何かに気がついたように顔を上げた。 ギルビスに向かって言う。
「ギルビスさん、リィナさんをお借りしてもいいでしょうか」
「ええっ、ユールまで!」
「…ま、精々有効活用させてよ」
二人の間に何か通じるものでもあったのだろうか。 ラファが首を捻っていると、ルナが伸びをしながら入り口に歩いていった。

「それにしてもレインの奴はおっせえなあ。俺ちょっと呼んでくる。 準備が出来たらラトメの入り口に集合しようぜ。レインは俺が引っ張ってくるから」
「俺も行こうか?」
ラファが声をかけると、ルナは振り返ってにやりと笑った。
「馬鹿、お前世界王への謁見の仕方なんて知らないだろ? ユールの奴に講義してもらえ。男がゾロゾロ並んで迎えに来られるなんて屈辱だろうが」
そういうお前は女だろ…そう言おうかと思ったがラファはやめておいた。 たとえ女の格好をしていようとも、暴君に対して平民の発言は許されていない。

颯爽と部屋を出て行くルナを見送って、ユールがラファに向けて安心させるように眉尻を下げた。
「…世界王といっても、立場的にはラファさんと同列です。 同じ不老不死の人間なんですから、礼節もあまり気にしなくて大丈夫ですよ」
「え、でも王だぜ!?王様とどんな顔して会えばいいんだよ!」
「まあ、ルナを見よう見まねでやれば大丈夫じゃないの?」

それこそ無理難題というものだ。彼女のカリスマ性はラファごときに真似できるものではない。 ラファが抗議しようとすると、突然ルナが駆け戻ってきた。何か忘れ物だろうか? 焦ったような顔で、部屋の中をぐるりと見回すと、ラファに向けて怒鳴った。
「おい、ラファ!レインはまだ戻ってないよな?」
「え?ああ…なんで?」
「いない」

鋭い声で、ルナは言い放った。
「レインがいない」

to be continued..

2010-05-23

怒涛の展開そのままにソリティエ編おしまいです。 2の展開につられているのか、ロナネッタでも結構…なんか、陰謀が渦巻いてるなあ… エファイン編では陰謀なんかよりみんなもっと利己的な奴ばっかりなので、 あんまり小難しい話は出てきませんからご安心下さいませー