白きロナネッタ



act.48 裏腹の後悔

レインは、ルナの言うとおり、本当にどこにもいなかった。 一体なにがあったというのか。ラファが心配する隣で、ルナはなにやら考え込んでいるようだった。
「なあ、どうしてだよ!レインを置いて出発するなんて」
転移装置に続く扉をくぐりながらラファは文句の声を上げた。 ルナが何も言わないので、ラファの抗議はさらにエスカレートしていく。
「オイ、ルナ!ただでさえアイツ、エルミリカが拘束されてて落ち込んでるみたいだったのに…あ、 まさか、アイツエルミリカのところに行ったなんてことはないよな!」
「そりゃないな。アイツが取り乱すところなんて生まれてこの方一度も見たことがない」

そうだっただろうか?ラファは眉を寄せた。自分とレインはしょっちゅう口論していたし、 レインはずっと感情豊かな奴だと思っていた。 そのレインが何かやらかしたのではないかと、心配するのも当然ではないのか?
ラファのそんな考えを悟ったように、ルナはふと笑って見せた。
「奴はお前が思ってるよりも、ずっと平静だぜ。つーか、アイツが怒るのはラファに対してくらいだよ」
「え、嘘、マジ?」
「よっぽどお前のことが癇に触ったんだろうなぁ」
からかうように言うルナの台詞に慌てていると、ギルビスが助け舟をよこした。
「多分、そのうち追いついてくるでしょ。ユールも探すって言ってたし」
「そうそう。インテレディアの時なんて、お前がいなくなっても、 レインは『そのうち追いついてくるからさっさと行こうよ』なんて言ってたもんだけどなあ」
「そんな、薄情な」

うなだれるラファをよそに、ルナは不意に窓の外を見た。 ラトメの赤茶の町並みがずらりと広がっている。 その屋根を見下ろしてルナが笑みを一瞬吹き飛ばしたことに、ラファはしかし気がついていなかった。


ファナティライスト神殿の前で、ラファ達は無碍にこそされなかったが、 突然やってきた三人の不老不死に、兵たちは困惑したように顔を見合わせていた。
「世界王陛下は大変お忙しい方ですので…」
世界王への面会を求めると、 言外にさっさと帰ってくれという空気を醸し出しながら、見張りの兵士はそう言った。 どうしたものかとラファも途方に暮れた。
「そこをなんとか…」
「規則ですので」
突っぱねて兵士が言う。ラファがなおも口を開こうとすると、隣のルナがいきなり前に出た。 天の助けだ!ラファが喜んだのもつかの間、彼女の表情に、ラファはぎょっとした。

ルナは世にも愛らしい微笑みで、少し頬を染めて、絶妙の角度に首を傾げていた。 いつも適当に着崩している女物のきっちりとした衣装をいつの間にか調えて、 兵士二人の元へ優雅に歩み寄ると、少し腰を屈め、上目遣いでねだるように彼らを見上げる。
「そこをなんとか、お願いしたいのです、素敵な兵士さん方」
いつもよりワントーン高い甘ったるい声でルナが言うので、ラファは鳥肌が立った。 美少女の登場に、兵士たちの方も腰を引いた。
「わたくしたち、とても急いでいるの。不老不死としての証が必要ならば、 わたくしのシエルテミナの家紋がございますわ。 世界をも揺るがすような大切なお話なのですから、もちろん、優秀な兵士さん方ならば、 わたくしたちを優先して…くださるわよね。ねえ?」
恥じらうように視線を兵士から逸らしながら、艶やかな動作で髪をかきあげて左耳のピアスを見せるルナ。 兵士たちは顔を真っ赤にして、美少女の一挙一動を見守っている。
「それに…わたくしたち、ファナティライストへは初めてで… スラムとか、とても危険なのでしょう?わたくし、あんまりここに長くいると、 どんな目に遭うのか、恐ろしくって…」
「明日お取次ぎします!」
兵士の一人がとうとう叫んだ。演技する暴君の口元が一瞬ニヤリと笑みを模ったことを、 この兵士はきっと一生知ることはないに違いない。
「恐れながら、世界王陛下は大変ご多忙の身のため、 本日の新規の謁見はお断りしておりますゆえ、明日再びお越し下さい!」
もう一人の兵士も後を追うようにルナの手に落ちた。ラファはげんなりとしてギルビスを見た。 彼は恐ろしいものを見たとでも言いたげに、ルナの柔らかく笑う背中に苦々しい視線を向けていた。

「まあ!ありがとうございます…それでは明朝、お伺いいたしますわ。 世界王陛下に、どうぞよろしくお伝えくださいませ」
「ま、またお越し下さい!」
ルナは兵士たちに背を向け、してやったりと暴虐的な笑みを浮かべた。 ラファ達の暴君は、打算も回る女だった…ラファは、レインと再会したら真っ先にそれを教えてやろうと心に誓った。 「明日までどうするんだい?」
ギルビスが声を上げると、憤然とルナは鼻を鳴らした。
「ま、適当に宿でも取って休もうぜ。 もっと苦戦すると思ってたけど、案外ファナティライストの兵士ってのも柔いな。 簡単に女の一言でコロッと態度変えやがって」
「それを狙ったのはお前だろ…」
ラファはルナに言ったが、彼女はさらりと無視をして宿への道を辿りだした。 …しかし。

「お願いします!通してください!」
「ええい、駄目だ駄目だ!ここはお前のような身分の者が来るところではない!」
たった今後にした門から騒ぐ声が聞こえてきて、ラファ達は振り返った。 すると、小柄な少女が、兵士たちと言い争っている。 女の一言であんなにもあっさり陥落したまさにその男たちの厳しい声音に、ラファ達は思わず足を止めた。

「お願いします…一目だけでいいんです、ロビ様に、ロビ様にお会いさせてください」
さめざめと泣き出す少女に、兵士は更に目を吊り上げた。
「恐れ多くも我らが王子殿下をそのように気安く呼ぶな!王子殿下は誰も自分の元に通すなと仰せだ! 今すぐ自分の森へ帰れ!」
「そんな…そんな、どうして、どうして?ロビ様…」
それからもしくしくべそをかきながら、兵士に懇願する少女だったが、やがて諦めたように身を翻した。
さらさらとした淡いブラウンの髪に、綺麗な翡翠の瞳。雪のように白い肌はファナティライストの人間とも少し違う。 それも当然だった。彼女の耳はぴんと尖ったエルフのものだったから。

「エルフ?」
思わずラファが声を上げると、泣き顔のエルフの少女は顔を上げた。長い睫毛に模られた目の回りは赤くなっている。 彼女はラファ達がやりとりを聞いていたのだと悟ったらしく、はっと息を呑んで顔を真っ赤にした。 …先ほどのルナとは違う、わざとらしさの感じられない可愛らしい動作だった。
「も、申し訳ございません、お見苦しいところをお見せしました…」
「ねえ君、さっき『ロビ様』とか言ってたけど、ここの王子と知り合いなの?」

ギルビスが遠慮することなく問うと、その名前に少女はびくりと肩を震わせた。 どうやら何か訳ありらしい。エルフの少女はギルビスから顔を背けて俯いた。
「本当に、何もないので…」
「ねえ、僕たち明日、世界王陛下と謁見する予定なんだけど」
そのまま立ち去ろうとする少女に向けて、ギルビスが言った。 彼がこんな風に人の話に首を突っ込むのが何処か以外で、ラファは目を丸くした。 少女は立ち止まり、驚愕の視線をギルビスに向けた。
「僕たち宿を探してるんだけど。どこかいい場所を教えてくれたら、 明日、世界王陛下に、君が王子様と会えるように口利きしてもらってもいいよ」
「……本当?本当に本当、ですか?」
「まあ事情によるけど」
「お願いします!」
少女は即座にギルビスに追いすがって、涙交じりに訴えてきた。

「私はもう一度、ロビ様にお会いしなければいけないんです…お願い、ロビ様に会わせて!」


少女…ナエが連れてきたのは、ファナティライストのスラムから少し離れた、 森の中にある一軒の小奇麗な小屋だった。 食器や調理器具などもちゃんと揃っていて、おそらくこのナエの住む家なのだろうとラファは見当をつけた。
「汚いところですけど…どうぞゆっくりしていってくださいね」
ナエはそう言ってやんわりと笑った。ルナが物珍しそうに木製の家をあちこち眺めている。 どうやらこの家は暴君のお気に召したようだった。
「宿代が浮いたな」ルナがにやりと笑った。「お前、ここに一人で住んでんの?」
ナエはお茶を淹れていた手を止めて、一瞬とても悲しげな表情をした後で、それから困ったように微笑んだ。 なんだかウラニアがレーチスのことを思って笑うときに似ていると、ラファはぴんときた。
「今は一人で…少し前まで、一緒に暮らしている方がいました」
ナエの声は沈んでいた。
「あの、ちゃんと事情はお話します…だから、お願いします、どうか…」
「わかってるよ、世界王陛下に王子様と会えるように頼んでみるから」
ラファが請け負うと、ようやくナエは綻ぶような笑顔を浮かべた。

「私とロビ様は、一年前に初めてお会いしました。 ロビ様は森の前で倒れていて…ここのエルフの森は人間に厳しい方ばかりですから、 きっとエルフに襲われたのでしょうね…私はロビ様をここに連れてきました」
「ここには前々から住んでたの?」ラファが尋ねた。
「はい。森に住むよりも、ここの方が気楽ですから…
ロビ様は傷が癒えるまでここにいました。ロビ様は自分の名前しか教えてくれなくて、 私は彼がまさか世界王子殿下だなんて、思いもしませんでした」

ラファはもう一度食器棚に目を走らせた。どの食器も、おなじものが二つ以上取り揃えてある。 ラファの視線に気がついたのか、ナエは少し微笑んだ。
「ロビ様は度々、この家へ通ってくださるようになりました。 ロビ様はエルフの私にも嫌な顔ひとつしませんでしたし、恐れ多くも、私のことを気に入ってくださって… 私も、私もロビ様のことが、だんだん…好きになっていました」

不思議な話もあるものだ。ラファはナエの様子を見ながら思った。 ラファがゼルシャの村に行ったとき、問答無用でトレイズと一緒に牢屋にぶち込まれたというのに、 世界には人に恋をするエルフなども存在するのか。 少し頬を赤らめるナエは非常に愛らしかった。

「ロビ様も、私と同じ気持ちだと言ってくれました。人間とエルフですけど、そんなこと関係ないって、 ナエだから好きになったんだって、確かに、ロビ様はそう仰ったんです」
「…それで?」
ギルビスはナエの淹れた紅茶を飲みながら続きを促した。 ナエは手にしたハンカチを両方の目頭に当ててから、引き攣る声で先を続けた。
「先月のことです。突然、ロビ様が私に、『もう会いに来ない』って言い出して… それで、自分はファナティライストの世界王子だと仰いました。 身分のことがあって私と付き合えないのかと、私は尋ねましたけど、ロビ様は首を横に振っていらっしゃいました。 ただ、『エルフなんて僕にとっては虫けら同然だよ。君のことなんて遊びに決まってるだろ』って言い残して、 …それから彼は、私の家にはもう来ていません」

それからまたわっと泣き出したナエ。ラファは眉をひそめた。 恋愛沙汰にはレナのことがあって過敏なルナに相談はできず、頭の中のウラニアに尋ねる。
(…なんかおかしくないか?)
―何か、そのロビ様という方にも事情があるのかもしれないわ。
「それで、その王子様にもう一度会って話を聞きたいってわけだ」
ギルビスが代弁すると、ナエはこくりと頷いた。
「は、はい…私、突然すぎて、どうしてだかわからなくて…いてもたってもいられなくて… ロビ様が、わ、私を嫌いになってしまったのなら、それで仕方ないんです。 だけど、私、どうしても納得できなくて…だって、ロビ様はあんなに優しかったのに…」

「それで?そうじゃなかったら、お前はどうするつもりなんだよ」
突然無感動にルナが声を上げたので、ナエはびくりと肩を震わせた。
「そうじゃなかった…って…」
「そのロビとやらが、お前のことを嫌いでもないのに、何か事情があってお前を引き離したんだとしたら。 奴にとってお前が自分のところに乗り込んでくるのは、迷惑以外の何者でもないんじゃねえの?」
「ルナ、それはちょっと言いすぎじゃ…」
しかし、ルナの言うことも一理あった。確かにその王子殿下に事情があるなら、 ナエの行動は彼の厚意を無駄にするのかもしれない。 すると、ギルビスが声を上げた。
「じゃあこうしよう。僕らが、明日の謁見の後で、世界王子に事情を聞いてみるよ」
「!…ほ、本当ですか?」
「まあ、王子に会えるかどうかは分からないけど、それならまた日を改めて王子に話を聞く場を設けてもらえばいい。 それで、王子の事情を君に伝えに来るよ。それでもまだ会いたいというなら、僕たちは協力する。それでどうだい?」

ナエはまたぽろぽろと泣き始めた。よく泣く娘だった。 そしてナエは何度も何度も首を縦に振った。
「お…お願いします、お願いします!私、なんでもしますから!」

「なんか意外だな」
ナエが夕食の支度を始めると言って席を立ったところで、ラファはギルビスに声をかけた。 彼はふいとこちらに視線だけ寄越す。
「なにが」
「ギルビスがこんな慈善事業みたいなこと言い出すなんて」
「はあ?」
声を上げたのはギルビスではなく、逆隣のルナだった。 彼女を見ると、ルナは心底呆れたという様子でラファを見ていた。 優雅に腕組みをして、初対面の者の家だというのに全く気にした風もなくくつろいでいる。
「お前って変なところで鈍感だよな」
「どういう意味だよ?」
「いい?」
ギルビスも呆れ顔だったが、懇切丁寧に説明してくれた。
「僕たちはこれからエファインと約束を取り付けなきゃいけない。 けど、ユールが言ってたけど、シェーロラスディ世界王陛下は一筋縄じゃいかない人間だ。 だからこちらの味方は、多ければ多いほどいいんだよ」
「…つまり?」
ギルビスの言いたいことがよく分からずにラファは首をかしげた。
「つまり、その世界王子とコンタクトが取れるっていうのは僕たちにとってもラッキーだ。 ナエのことを口実に世界王子に会って、それからこっちの味方についてもらえばいい。 …ああ、心配しなくてもちゃんとナエのことも伝えるけど」
ギルビスのあんまりな目論見にラファはあんぐりと口を開け放した。 まさか、せっかくいい奴だと思ったのに、彼はやっぱり打算的な男だった!

「ま、このくらいいいだろ?どうせナエも俺たちを利用して王子様に会おうとしてるんだぜ。 このくらい駄賃のうちだよ」
ルナが悠然と微笑んだ。ラファは、二人の策士に挟まれて頭を抱えた。

to be continued..

2010-05-23

今のところ我が家に、RPGの正統派主役みたいな正義感だけで動いてるキャラは誰一人として存在しません。